第15話 陰謀

文字数 3,090文字

 翌朝、レイはホテルを去った。
 シャリルはもちろん、リリアとも顔を会わせなかった。リリアの身を上を思えば、シャリルの顔を一回ぐらい殴っておこうかとも思ったが、それは次の機会に残しておくことにした。
 繁華街、官庁街を抜け、大広場の向こうの古びたコロシアム跡がある。そこの観客席に腰を降ろし、周囲に誰もいないことを入念に確認した。
 そして、リリアから託された封書を開いた。 
 封書には、十数枚におよぶ報告書の写しが入っていた。断片的な情報の寄せ集めであるが、これらを統合して考察すると次の推論が容易に浮かび上がる。
 
 自由都市サキアスのジョシュ・ロイスデール市長を暗殺し、その混乱に乗じ、政治中枢を占拠する。
 謀略には、複数の国家および組織、機関による関与が疑われる。
 要諦として、その引き金は、やはり蕃人(ばんじん)がこれを引かねばならない。
 現在、各機関にて浮浪蕃人を集めており、いずれ市内へ潜伏させるものと思われる。
 時期は、市長が外遊から帰還した直後が最有力視され、都心にて決行される可能性が高い。

 驚愕すべき内容であった。
 リリアが、なぜ、これを自分に託したのか。
 考えてみたところで、分かるはずがない。だが、いずれ直接、本人に尋ねてみたいと思った。
 レイはすぐに行動に移った。

「ここか… 」
 庁舎前の広場にやって来た。
「今回は僕が待つ番てわけだな」
 カールが通るのを、ひたすら待つと決めた。が、なかなか現れず、やがて小さな花壇のブロックに腰を降ろした。
 待つこと、二時間。
 レイは半ば眠りこけていた。
 その時、近づく影が現れ、差し出された手がレイの肩を揺り動かした。
「ミスター・カヅラキ、どうしてここに?」
 目を開けて大きく欠伸(あくび)をした。肩を揺らした手の主はカールであった。
 レイはカールの手を借りて立ち上がった。
「ミスター・クル… なんだっけ… 」
「カール・クラウジニウス。カールでいい」
「こんにちは。カールさん。レイで」
「やあ、レイ… 」
 不安げな表情のカールへ、レイは微笑みかけた。
「突然でもうしわけないのですが、少し二人だけでお話できませんか? ええと、今すぐに」
 
 二人は、前後になって、広大な庭園の回廊をゆっくりと歩いて行く。前を行くのがレイである。
「美しい庭園ですね。めずらしい花がたくさんあって」
「昔は薄気味の悪い森だったそうだ。それをエレーナ様が造り変えられた。そうそう、昔から、ここには別名があるらしいのだが、君は知っているかい?」
「いいえ。何というんです?」
「『密約の森』」
 レイは振りむいて笑った。カールの表情も明るくなっていた。
「それはいいですね」
「政治的な陰謀や悪だくみは、たいてい、ここで生まれるそうだよ。そして、今あたらしく生まれようとしている…」
「困りました。否定できません」
 やがて二人の足が止まった。
「そろそろ話してもらおうか」
「そうですね」
 レイは丸められた紙を懐から取り出し、すっと差し出した。カールはそれを受取り、広げて内容を読んだ。すぐに顔色が変わる。
 そこには暗殺の企てがあることを示唆する標題が記されていた。
「ターゲットは(市長なのか)? 」
「はい。間違いなく」
 カールはもう一度初めから入念に内容を確認した。
「しかし、これだけでは、まだ足りない。他に情報はないのかい?」
 レイは首を振った。
蕃人(ばんじん)側は拉致された同朋の足取りを追っています。それとて、あまり本気でもないようですけどね。とにかく、テロそのものを防ぐつもりはない」
「あとは自分たちで何とかしろ、というのだな…」
 カールは(あご)に手をあてて考え込んだ。
「僕も少し探ってみますよ。何か分かればまたお知らせします」
 カールには、その意味するところが分からない。
「どういうことだ? 蕃人側は本件に関与しないのではなかったのか?」
 レイは(うなづ)いた。
「はい。でも僕は彼らとは違います。むしろ嫌いでして。僕としては、サキアスが平和であってほしいんです。今は、それが何よりも大切なんです」
 カールは(あき)れた。
「フフ、うれしいことを言ってくれるね。でも、勝手なことをしては、君の身が危ういのでは?」
「ばれなければどうってことはないでしょう。たとえ、ばれたところで何もおこりません」
「そうかい」
 カールは微笑んでいる。
「それにこれはヤシマとしての僕の意志なんです。つまりヤシマの意志なんです」
 カールにはよく分からない。だが、ほんの少しだけ分かったような気もする。昔、絵本で読んだ神話に出てくる騎士の物語に、そんな(くだり)があったような気がする。
 騎士とは、各々の心が(おもむ)くままに、孤独に戦うものだ、利害も生死も愛すらも関係なく、正しいと信じる道のために戦うものだ、と。
「ヤシマの意志、か… 」 
 それにしても、いつもレイは実に穏やかな表情をしている。それが神話の騎士の姿と重なって見えてきた。
「ヤシマだって何だっていい。僕は君という人間を信じる。頼む。この町を守るために僕たちに協力してくれ」
 
 レイはその後、カールが用意したホテルに移り住み、そこを拠点として調査に協力した。
 そして、どういうわけか、度々女装して外出するようになった。
「それが一番ばれにくい。もちろん、素材によるがね」
 とのカールの助言に従った、いや、半ば強制された。
 女装にあたっては、カールが差し向けた女中が、毎朝ホテルの部屋を訪れて手伝ってくれた。そうして「地味な女学生」に成りすました。
 街を歩けば一日に一度ぐらいは男共から(よこしま)な声をかけられ、幾人かの憲兵隊員からはデートの誘いを受けた。それだけ完成度は高かったと言えよう。
 また、何度か憲兵隊本部へカールを尋ねるうちに、あれは愛人ではないか、との噂が立った。
「あなた、婚約者がいるんでしょ? 大丈夫ですか?」
 と念のため尋ねてみた。
「まだ婚約者ではない。そんなことを今は気にするな。それよりも次はこっちの報告書の件だ… 」
 カールは誰よりも仕事熱心、いや、市長や町を守るために熱心な男であることを、あらためて知った。
 調査は彼ら二人と、カールが絶対的な信頼を置くごくわずかな者だけにより極秘裏に進められた。
 そして十日ほどで一段落した。
 レイはホテルを立ち退き、庁舎へ最後の挨拶に訪れた。
 『密約の森』で、二人は固い握手を交わした。
「君はこれからどうする?」
「まだわかりません。とりあえず、()を描きながら、世の中のことを勉強したいと思っています」
「ならば、宿舎を用意するよ。でないと落ち着いて画も勉強もできないだろう?」
「ご厚意はありがたいのですが、けっこうですよ。接点は残さない方がいいでしょ。誰かが、あなたの足元を(すく)うことにもなりかねません。何しろ、ここはスパイ天国ですからね」
「…」
 カールは、それはそうかもしれない、と思った。今回の件で、サキアス内では、想像をはるかに超える様々な工作が営まれていることを知ったのである。
 ふと、脳裏に、以前のレイの姿、ボロをまとった彼の姿、が浮かんだ。
「君はまた、あの…宿なしの生活に戻るのかい? 何だか、哀しいね…。何か必要なものがあれば、いつでも言ってくれ…」
 心なしか、カールの目が潤んでいる。
 レイは首を振った。
「いやですねえ、そういう顔をされては。僕は敵国の人間なんですよ」
「違う。君は我々の味方だ。僕の真の友だとすら思っている」
「ありがとう。でも、これでお別れです」
 冷たい風が二人の間を通り抜けた。
 互いの立場に(とら)われず、自らの心が正しいと信じる道をただ歩む青年。
 かくも正しい精神を持ちながら、かくも孤独を好む者でもあった。
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