第11話 野心 (2)

文字数 2,414文字

 レイは紅茶の味を楽しみながら、長い自慢話を聞かされていたわけだが、とっくに耳が飽きていた。
 リリアは先ほどからそれを察していたのだが、ようやく、
「お義兄(にい)様、そろそろ本題へ… 」
 と兄の(そで)を引いた。
「そうだな」
 シャリルは眼鏡をかけて書類の束を手に取り、パラパラとめくった。
「ヤシマと言えば昔話ばかりが有名で、とっくに絶滅したのかと思っていたが、まだ存在していたとはね。こう平和が長く続いては君たちも商売上がったりでつらいところだね。だが…」
 一枚の書類をテーブルの上に置いた。それはレイの経歴書であった。
「君の訓練成績を知って正直、驚いたよ」
「…」
「兵科はどれも優秀。戦略・戦術課程は最優秀。おまけに歴代最年少で戦史研究のマイスターを取得。君は相当に頭がいいんだね。おっと、忘れるところだった、画才もあるんだったね」
「…」
「私は、ずっと頭を使う仕事ばかりで、剣なんてもう振るえないが、リリアはこう見えてなかなかの手練れなんだ。だが、君にはとうてい及ばないだろう」
「…」
「もっとも、剣よりも絵筆ばかり握っていて、腕が落ちてなければ、の話だがね」
「…」
「まあ、最近は銃という便利な武器が出回っていてね。各国が改良を競っている。となると、やがて君たちとて普通の人間と同じレベルに成り下がるわけだがね」
 心無しか紅茶が苦くなってきた気がする。
「ヤシマはその手の情報を外へは出しません。たとえ身内に対してさえね。どこから仕入れた情報か知りませんけど、そんな不確かなものを信じているのですか?」
 シャリルは、フッと鼻で笑った。
「残念ながら信用できる筋からのものだ。もちろん、どの筋かは明かせないがね。ヤシマは徹底した秘密主義らしいけれど、所詮は人の集まりに過ぎない。幸い、金を積みさえすれば何とかなったみたいだよ」
「… 」
「さて、何から始めるかな」
 シャリルは、リリアにワインを注がせた。
「まず、今日から君には、ここでしばらく暮らしてもらい、しかるべき任務に備えてもらう」
 レイは気になる点を尋ねた。
「僕には監視が付いていますから、何日も姿を見せないと、当局がざわつきますよ」
「それは心配には及ばない。我々がすでに手を打った。君はもう監視対象ではない」
 今朝、尾行を見かけなかった理由がこれで分かった。
 それと、カール何某の行動も、これに関係しているのであろう。
「そうでしたか。ところで僕は面倒くさがりなので、あなた方のようなスパイの真似はできませんよ」
 するとシャリルが、突然、笑い出した。
「ハハハ、言われなくても君がスパイに向かないことは承知しているさ。画家の修行を名目に潜入するとは、なかなか大胆なことをするものだ、と我々もヒヤヒヤしながら見ていたのだが、一体、何がしたかったのか、本当に理解できなかったんだ」
「どういう意味でしょうか?」
「意味?言葉のままだが?」
「…」
 この手の男のことはよく耳にする。
 たとえば部隊を全滅させる指揮官は、大方こういう男だ。自己評価が高く、傲慢で、他者への敬意に欠ける。
 レイは立ち上がった。
「紅茶、ごちそうさまでした。そろそろ失礼しますんで…」
「は?」
 シャリルは、一瞬、何が起きたのか分からなかった。なぜレイが気分を害しているのか、その理由を考え、ある結論に至った。それを勝手に正しい理由とみなした。
「え? まじで? うそだろ?」
 含み笑いから始まり、とうとうこらえきれず、腹を抱えて笑い出した。
「まさか、本気で画家になるつもりだったのか、君は? 冗談はよしてくれ! しかし、これは傑作だ!」
 大爆笑するシャリルの隣に、リリアの苦い顔がある。さすがにやりすぎと感じているようだ。
「いや、悪かった。悪かった。謝るよ。お互い冷静になろうじゃないか。さあ、席に座りたまえ」
「僕はずっと冷静ですよ。あなたが不真面目すぎるだけです。では、これで」
 もう話すことは何もない。
 レイが背を向けると、リリアが立ち上がった。
「待って。この任務には、どうしてもヤシマの参加が必要なの」
「サキアスには、もう一人いたはずだよ。そっちへ頼めばいい」
「断られたのよ。別の任務があるから、て。それで、あなたを紹介してくれたの」
「余計な真似をしてくれたものだなあ。でも僕はやるつもりも義務もありませんので」
「… 」
 リリアが引き留めるために近づこうとしたとき、シャリルがそれ制した。
「カヅラキ君、まあ、落ち着こうじゃないか。無礼は謝る。すまなかったよ。ただね、報酬は望むものを出す。このホテルを見てみろ。我々の財力は相当のものだぞ。金だって、女だって、屋敷だっていいさ。君が欲しいものを何でも言ってみなさい」
「あなたから何も頂きたくないんですよ。他を当たってください。では失礼します」
 レイは出口へ向かう。するとシャリルが追いかけてきた。
 後ろから肩を掴んだ。ムキになっている。
「待て! これは本国の命令だ!」
「あなたの命令には従いません」
 次いでシャリルの左腕がレイの胸ぐらを掴んだ。
「命令に背けば敵前逃亡とみなす!」
「ご勝手にどうぞ」
「敵前逃亡は死刑だ!」
「それくらい、常識ですから知ってますよ」
 もはや子供の喧嘩であった。
 レイは相手の手の腱を押さえ、そのまま引きはがし、床へ引き落とした。
「どうやらあなたはヤシマのことを、きちんと理解していらっしゃらぬようですね」
 ゆっくりと服の乱れを正す。
「ヤシマは最悪な組織ですが、命をかける者への敬意があります。『死ね』という命令は無効ですし、上官が無能な場合は従わなくていい。義のない戦いはしなくていい」
「… 」
「所詮、僕たちは傭兵だが、戦争屋ではないんですよ。だからこそヤシマは怖れられているんです。想像力が欠落しているあなたたちには、分からないでしょうけど。では、さようなら」
 正午を告げる鐘が鳴る。
 福をもたらすと言われる鐘の音が、豪奢な部屋の中で、空虚に反響している。
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