第10話 野心 (1)

文字数 2,453文字

 自分の(ねぐら)から随分と足を延ばして、ようやく繁華街の正門にたどり着いた。そこから参道のような道が続くのだが、すさまじい人の多さに辟易した。
 繁華街の中心部を訪れるのは初めてであった。あきらかに人の階層が違う。乞食姿で歩いてゆくと、罵倒する者や、鼻をつまんで避ける者もいたが、かまわず目的地を目指した。
 やがて指定された場所、とある教会の前にある広場へ到着した。すると修道士らしき初老の男が近づいてきて、就いてくるように促した。男は口が不自由らしく、しきりに手を動かした。
 教会の裏手から地下へ降り、地下道をだいぶ移動したところで、いくつか扉が並ぶ空間に出た。男が懐から鍵を取り出し、一つの扉を開けると、上へ通じる階段が現れ、行け、と合図した。レイが階段を昇り始めるとすぐ、後ろで扉が閉ざされ、施錠音が鳴った。
 階段を上がった先は綺麗な小部屋であった。頑丈な鉄の扉は開けられず、すぐ横に吊り下げられているロープに気づき、それを数回引っ張った。即座に反応はなかったが、やがてネクタイをした正装の男が現れ、
「ようこそ、お越しくださいました。主人(あるじ)がお待ちでございます…」
 と丁寧に挨拶をした。
 意外なことに、そこは豪華なホテルの内部で、彼ら、すなわちリリアが属する機関、のアジトでもあるらしい。
 乞食姿のまま、豪奢なロビーを通り抜けて、別の部屋へ案内された。
「ここでお召し物をお着換えください。あとはこの者たちがお手伝いを致しますので…」
 男は去り、代わって何人かのメイドらへ身柄が引き渡された。
 二時間後、レイは別人になっていた。
 豪華な風呂に浸かり、しっかりと垢を落とし、髪に櫛を入れ、高そうなジャケットを着せられた。本人は無頓着だが、実はそこそこ男前でもある。中には、うっとりするメイドもいたようだ。
 ふと鏡に映る自分を見て、今朝、道で会ったカール何とかという男のことを思い出した。いつぞや、工房に現れたときの恰好が似ていたからだ。
 四階の部屋のテラスへ案内され、そこで待つように言われた。風はやや冷たいが、ボロをまとっていた時に比べれば何ともない。
 眼前に内海を望むことができた。
 行き交う船の多さに驚き、そこに自由都市サキアスの活気と、平和のありがたみを感じた。
 が、景色を眺めることにはすぐに飽きた。
「そういえば本を、どこへやったかな」
 あるいは服と一緒に捨てられたか、と危惧したが、見渡せば、テーブルの上に置かれていて、丁寧に汚れが拭き取ってある。
「さすがは高級ホテル」
 本を手にソファに座れば、今まで味わったことのない心地よさに心が打ち震える。
「いかん、いかん。贅沢に心が毒されそうだ」
 くつろぎながら、しばし読書に没頭した。
 あいかわらず、アラン・フェルダー博士の著書である。ようやく半分ぐらいまで読破したところだ。辞書がなく、意味が分からない単語に出くわすと、都度その意味を吟味しながら読み進めるため、異様に時間がかかる。だが、この書に限っては、それもまた楽しい。
 やがて人の気配がして、数人が部屋へ入ってきた。 その中に、昨日出会ったリリアという女の姿もあった。
 先頭の男がレイを見つけると真っ先に挨拶をした。
「待たせてすまなかった。レイ君だね。私はシャリル・ティンブル、本名はハルキ・カグヅチだ」
 やや気取った感じはあるが、鼻につくほどではない。
 このシャリルと名乗った男は、三十前後の美男子であった。
 手入れの行き届いた長髪が印象的である。ダークスーツの下に柄入りのシャツを収め、アクセサリーから靴に至るまで(こだわ)りが見られる。ファッションにはかなり自信があるようだ。
 背丈はリリアよりわずかに高い程度、髪はリリアと同じような濃い赤茶色。リリアと雰囲気がどことなく似ている印象であった。
「レイ・カヅラキ君。初めまして。こちらは妹のサナだ。通称はご存じのようにリリアだがね」
 リリアの兄にしてはやや年齢差があると思われたが、実の兄妹ではないことを後に知った。
 リリアの本名はサナ・カグヅチという。この兄妹は表では通称を用い、蕃人(ばんじん)であることを隠しながら、こちらの社会に溶け込み、一般市民と同じように暮らしている、という。彼らの表向きの顔は、ホテル王の御曹司とその妹、ということらしい。なお、ホテルはカグヅチ家一門による共同経営となっており、従業員はみな現地の一般市民であるという。
 カグヅチ家は、戦後いち早くサキアス上層部へ接触し、交渉を重ねた結果、特権的な貿易権を得た。爾来、母国の物産や鉱物などを独占的に販売し、莫大な利益を上げ続けている。しかし、その自己の利益を優先する手法に対する反発も多い。
 また、カグヅチ家は、サキアス評議会メンバーを含む、貴族階級と密接なつながりを持ち、利益独占のために互いに協力し合っている。そうした背景から、旧家の名門であるティンブルの家名までも譲り受けたのだ。今や、カグヅチ家はアズマであると同時にサキアスでもあるのだ。
 なお、西方諸国内において、蕃人との貿易を許可している国は、自由都市サキアスの他に存在しない。
「いずれ、このティンブル家が、サキアスを支配し、私が初代の王になるのさ」
 シャリルはそう断言した。あやしい目の輝きが、冗談を言っている者のそれではない気がした。
 レイはカグヂチ家のこれまでの工作が、どのようなものであったのかは知らない。敵地において、これだけの財を為したことは素直に褒めてやってもかまわない。しかし、母国の窮状を思えば、納得しかねる部分もある。
 カグヂチ家の手口の悪辣さは噂で聞いたことがあった。母国の生産者からは買い叩き、大きな利益を上乗せして販売し、自分たちだけが儲かる、という仕組みだ。利益を上げることは悪いことではない。だが、今、目の前にある豪華な建物や調度品、目の前にいる人物の贅沢ぶりを見せつけられると、バランスを著しく欠いていることは明白である。
 ゆえに反感、嫌悪感が湧くのである。
 それは決して嫉妬ではないはずだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み