森の遺跡

文字数 2,495文字

 翌朝アレックスがシャワーを浴びて浴室から出ると、朝食の膳を持ったソラが部屋にいた。

「おはよう、すごい早起きなんだね。よく眠れた?」

 アレックスは朝の習慣としているトレーニングをこなして、その汗を洗い流したところだった。

 城を出て直ぐに寝具姿のソラを数ある窓のひとつに確認した。彼は眠たそうに片手を挙げて挨拶した。今朝は森に囲まれた湖の周囲をランニングしてきた。人の手が入っていない樹林の中は、適当に勾配や障害があり、トレーニングには最適だった。朝靄に霞む森の中は小動物たちの多くも未だ眠りから醒めておらず、静かで心地がよかった。おそらく森林限界ぎりぎりに生きる森だろう。

「森の中に祭壇があった。」

 樹林の中のそれほど奥まっていないところだが、明らかに人目を避けた場所に、一箇所空間が開けていた。そこには遺跡と思われる祭壇があった。石の壁は殆ど崩れ落ちて苔も生してはいたが、中心に立つ古代の女神らしき像の前には献花がなされていたし、その周囲だけは人の手入れを感じられた。

「あー、あそこは僕達だけの秘密の場所なんだけどなぁ…早くも見つかっちゃったか。」
 カップにコーヒーを注ぎながらソラは笑った。よく見ると朝食は2人分ある。共に摂ろうという事らしい。アレックスは誰かと食事をするのはどちらかというと不慣れだったが、敢えて断るほどのことでもない。
「ただの昔の祭壇の跡だよ。僕達が小さい頃から秘密の隠れ家にしていたんだ。あるでしょ、そういうの。」

 アレックスには特にそういう想い出はなかったが、軽く相槌を打ってみた。聖樹教の聖職者である彼にとっては明らかに異教の神だが、そんなことより彼にとってあの場所に意味があるのだろう、ということはなんとなくわかった。

「皆には内緒ね。」
 ソラは人懐こい笑顔でそういった。

 それより今日なんだけど、と言ってソラは麺麭(パン)を齧りながら話を進める。行儀がいいとはいえないが、同級であればそこは了承済みだ。
「昨日も言ったけど今夜は麦星祭なんだ。この国の伝統のお祭り。といっても田舎のお祭りだけどね。姫様を筆頭に村の女の子たちが麦星に祈りの歌を捧げるよ。それはなかなかの見もの。見て損はないと思うよ。その後は飲めや唄えの大騒ぎさ。大人たちはこれが目的。」
 ソラはおどけてみせる。
「王にはお祭りが始まる前には会えるよ。」

 今回のアレックスの適性試験のミッションとなるこの仕事の依頼主が、このルクノルディア王国の国王だった。
「それまでは村やこのお城の中でも探索しててよ、落ち着かないところもあるけどさ。」
 今朝ランニングしてきたこともあって、村の中も一帯の地理感も既に把握していたが、アレックスは黙って了解する。

 それからソラは、アレックスが山越えしてきたことが村で噂になっているとのことで、真偽を聞いてきた。山中は最近は使われていなさそうだとは言え、それなりに人が行き来していたであろう形跡もあったのだが、そんなに珍しいことなのだろうか。もしかしたら地元民ほど登らないのかもしれない。例えば都会のシンボルとなっている電波塔には、そこの地元民は登らないように。

 加えてソラは、城の使用人のご婦人方の間ではアレックスの話題で持ちきりだと報告してきた。村に観光客が来るようになったとは言え、城に通される異国人は珍しいのだろう(ということにしておいてほしい)。

 ソラは空いた食器をまた盆に戻してから、自分も祭りの準備を手伝わなければ、といって慌しく出て行った。ソラは人懐こい性格らしく、無口なアレックスに対しても気負いなく話をしてくれた。アレックスの口数が少ないことにも気にする様子がなく、却って楽だった。

 ソラの言うとおり城内は人の往来が多く、部外者であるアレックスには居心地が悪かった。
集落には都会からの観光客も散見できて、明らかに地元民ではなく、とはいえ観光客でもなさそうなアレックスに好奇の視線を投げてきた。城の部屋で過ごしてもよかったが、秋の陽気に誘われて再び湖畔に出た。しかし湖畔こそが祭りのメイン会場になるらしく、舞台や屋台の設置作業で地元の男たちが忙しそうにしている。アレックスは追われるように今朝方見つけた祭壇へと、森の中に足を踏み入れた。未明の時とはまた趣が違い、木漏れ日に山からの風が通って清々しい。城には立派な書庫があるとのことだったので何か本を借りてくればと後悔した。

 今回のミッションは、アレックスが知らされている限りではこの国の王女の護衛だった。王女が二十歳になるのを節目に旅に出る。世界の六聖樹を巡る巡礼の旅だ。アレックスの任務は、その道中の護衛だ。詳細は直接この国から伝えられる手はずになっているが、旅が始まれば暫くは自分の時間などは持てないだろう。魔族や野盗はこちらの都合などお構いなしに現れる。

 森の中は小鳥が囀り、村の喧騒を忘れさせてくれる。目的の場所は昼間のこの時間は陽だまりになっていて、遠くからでも確認できた。日を受けてそこだけ地面が野草類で覆われていた。森の中の大部分は樹木に日差しが遮られて、脚元は湿った枯れ葉と、シダ類だ。

 森との境界を越えたところで、アレックスは足を止めた。先客だ。朽ちた石壁の奥で座っている人影があった。人影。確かに人間だ。しかしアレックスの視覚野は、別の可能性を錯覚した。

 その人物――少女だったが――の周囲を、まるで彼女を守るかのように動物が取り囲んでいる。鹿、うさぎ、数匹のリス、鶏にアヒル、ヤギ(普通のサイズ)、カラスまでいる。落ちた石レンガには小鳥も羽を休めている。そして、これは流石に飼われていると思われる大型犬。失っている記憶の中で見た、童話の挿絵のようだった。どう見ても鹿やリスは野生だ。それが人間を警戒することなく、しかも異なる属性の動物たちが、ひとつの場所に集うなんてあり得るのだろうか。この女神像の化身、という莫迦げた発想すら頭を過ぎった。アレックスは息を呑む。

 その瞬間、少女の足元で寝そべっていた大型犬がアレックスの存在に気付いた。同時に動物たちに緊張が走り、最後に少女が振り向いた。
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登場人物紹介

アレックス

アレックス・レイバーン(19)。王都軍諜報部隊ヴァンサーの訓練候補生。ヴァンサー創立以来の逸材らしく、潜在能力特S評価。加えてその長身と整った顔立ちでモテまくっている(ソラ談)らしいが、本人はそんなことより普通にお金が好き。荷物が少ない。趣味は読書と昼寝。幼少期の記憶を失っているが本人は気にしてない。人混みが苦手。色弱。

ニナ

ニナ・グレンヴィル(20)。ルクノルディア王の長女であり、ど田舎娘。特技は絶品と呼び声の高い歌モノマネ。めちゃめちゃ似てると、村のおじさんおばさんには大人気。よく食べよく寝てよく笑う。ただし寝すぎには要注意。

ソラ

ソラ・バサロヴァ(19)。ルクノルディア王国王女ニナ付の侍従で聖樹教の聖職者。幼児の頃の事故で左半身の一部が義体。潔癖気味のギタリスト。彼に弾けない弦楽器はないらしい。アレックスに言わせると腹黒聖職者。ニナとは幼馴染で彼女だけには激甘。

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