図書室での打ち合わせ

文字数 4,355文字

 シャワーを浴びてバスルームを出ると、それを狙って来たかのように今日もソラが朝食をもってきてくれた。

「朝から大変だったねー。」
 笑いながらカップにコーヒーを注いでくれる。稽古をつけて欲しいと依頼されたことを明かすと、タルソムさん真面目だよね、と言って笑った。

「今日は軽く打ち合わせしようか。」

 ソラがまだ眠そうな顔で麺麭(パン)を齧る。昨夜は遅くまで付き合わされたと言っていた。おじさんたちの体力ってどうなってんの、とぼやく。

「出発の日って決まってる?」
 もらった資料には、”未定”とあった。あれを受け取ったのは1週間ほど前なので、更新があってもおかしくない。
「うーんまだ。おばば次第。」
 聞くと、長寿の巫女・通称シノールおばばが占いで吉日を導き出すのだそうだ。おばばはまだゴーサインを出さないでいるらしい。前日とかに急に言い出さないようにだけはお願いしている、とソラは笑った。
 辺境の独特の信仰だとは思うが、ソラ自身は全く重視していないようだった。何かの動物の角の割れ方とかで、その日が決まるのだろうか。完全に運天予定だが、それも悪くはないかもしれない。出発できればの話だが。

 ソラによると、村を訪れている観光客のほとんどは今日中にここを発つだろうとのことだった。祭りも無事終わったし、また退屈なだけの村に戻るよ、とのことだった。
 村人はわざわざレジャーのために山に登ったり超えたりしないのだという。夏に湖や川べりで泳ぐことはあっても山の向こうに行ってみたいという数奇な人はいないよ、とのことだった。
 信仰にもつながるのかもしれないが、山の向こうには神様と悪魔が棲む区域だから人は立ち入ってはいけない、村の人は真面目に畏れていると、ソラ自身は全く信じていない様子で教えてくれた。彼が聖樹教の聖職者だからだろうか。ソラは信じてはいないが山登り自体にも興味はなさそうだった。

 この現代で聖樹教の教えが影響していない地域は、ゼロではないが決して多くない。アレックス自身も実際に足を踏み入れたのは初めてだった。思ったほど人々の生活に大きな違いはなさそうだとは思えたが、彼らの胸の内までをアレックスが判るはずもなかった。

 打ち合わせは図書室でやろう、とソラが提案した。この城には現代では珍しい規模の図書室がある、らしい。アレックスもまだ踏み入れていない。旅程や道中の安全対策を練るのに所蔵されている叡智が活用されることはないだろうが、雰囲気はばっちりだから、とのことであった。

 図書室は城の一棟を丸々使っていた。3フロア分をぶち抜いた吹き抜けで、壁際は床から天井まで隙間なく本棚になっており、回廊が壁際に螺旋状に巡らせてあった。地下にも書庫があるよ、とのことだった。

 文書系の保存が電子データに移行してから久しいが、移行期に世界中で不要になった書籍類が、ネットワーク《キャピラリー》が巡っていないこのルクノルディアに集まったのだという。
 試しに手近の一冊を手に取って開いてみると、古書の独特なにおいはするが、何百年も経っているわりには状態が良い印象だった。ここは高山で年間を通して平均気温も湿度も低く、図書の保管にはもってこいなんだって、とソラが受け売りの知識を教えてくれた。やはりFiol語の書籍が多いのだという。村人たちの冬の少ない娯楽の一つらしい。
 また、図書のほかにも音声データが記録されている黒盤(レコード)なども所蔵されているとのことだった。滞在中に図書を借りてもいいかと尋ねると、全然ご自由にどうぞと快諾してくれた。誰の許可もいらないよ、とのことだった。

 ステンドグラスから柔らかい光が入っている。螺旋回廊の途中にいくつか設置してあるデスクを借りることにした。穏やかな光の中で、ほこりが光り輝きながらゆったり舞っているのが見える。書庫も図書も大切にされているのがわかる、柔らかい空間だった。

「じゃあ早速、」

 ソラがステッカーがいくつも貼られている自身の端末を開く。ここでは完全なスタンドアロンな端末となるだろう。ローカルでジョイントロボットに繋げるくらいが関の山だ。当人のニナは参加しなくていいのかと問うと、いても無意味と言って笑った。そういえば昨日、王も似たようなことを言っていた。

「すでにお伝えしている通り、ルクノルディア王女ニナが六聖樹を巡る旅に出る。僕とアレックスは護衛も兼ねて随行する。今のところ特に期限は設けてないし、詳細なルートも決めていない。決めたところでどうせ予定通りには行かないし、それがストレスになるからね。」
 ソラは肩をすくめて見せる。期限が設けられていないなら詳細な予定を決めないことはアレックスも賛同できる。必要がないなら期限を積極的に設定しないのも賛成だ。自分と考え方が似ているのはありがたい。

「聖樹の回る順番も決めていないのか?」
 素直に考えたら近いところから、つまりここからだとアントロープの聖樹から巡るのが妥当だと思われた。
「そうなんだけどさ。」
 ソラはアレックスの言わんとしていることはわかってるんだけど、というような様子で少し言いづらそうに切り出した。
「これは僕の超個人的な理由で、まずはウィザフォーセットに行きたいと思ってる。」
 ウィザフォーセットはここからは2番目に近い聖地だ。いずれアントロープを巡ることを考えると、だいぶ迂回してのルートになるだろう。
 王女の旅なのに、従者で随行者のソラの意向を優先させようという時点で、彼らの力関係がなんとなく伺える。

「ちなみに、理由って?」
 アレックスがそれを把握する必要性はなかったが、個人的な興味本位で聞いてみる。答えは行きたい楽器屋があるんだよね、とのことだった。さすがに肩透かしを食らったが、この旅にただの雇われであるアレックスの意向など関係ない。なるほど、と反応するしかなかった。
 期限を決めない、つまり急いでいる旅ではないことはよくよく分かった。それならばアレックスは護衛対象の安全だけに集中すればよいので、より気楽にはなる。

 移動手段は山の麓に用意してある浮遊船とのことだ。これも資料に記載のあった通りである。ここは資料を読んでいた時点でも引っかかった点だが、姫様とはいえ随分と豪勢な話であった。蛍石を使った浮遊船は高額な装備だ。辺境の小国でプロの護衛を雇えなかった国と考えると違和感があった。
 するとソラが隠すことでもないから、と言って疑問に答えてくれた。

「浮遊船の費用の出どころは聖樹教総本部だよ。この国では用意できないからね。ちなみに、昨夜見たと思うけどあのジョイントロボもそう。あれも一緒に連れて行くよ。」
「総本部が?」
 余計に疑問が募る。
「この旅は聖樹教側の意向なのか?」

 辺境国の姫が自国とは異教の聖地を巡るのに、教会側が少なくもない費用を用意するとなると急に政治的なにおいが漂い始める。
「双方の意向、かな。」
 いずれわかることだと思うから先に言っちゃうけど、と言ってソラは続けた。

「ニナと僕は実は本聖地の生まれなんだよ。ニナが二十歳になったから、彼女は本聖地に帰るんだ。最初から、そういう取り決めだからね。」

 これは部外秘でお願いします、とソラは付け加えた。ソラによると、ニナはルクノルディア王と本聖地の村に住む娘との間にできた子どもだということだ。王はその後国へ帰り、現在の后と結婚して弟のカイルが生まれた、とのことである。

 俄かには信じがたい話だが、ニナがその家族よりソラとのほうが人種的に近い見た目をしているという紛うことなき事実が、ソラの言葉を後押しする。ソラがヴロルトニク学院で聖樹学部に通っていたという事実もここでパズルが合致した。

「ニナにはここの王の、この土地の血を半分引いてるけど、僕は完全によそ者ってこと。この旅のために4歳の時にこの国に派遣されてきたんだ。体半分マシンだから厄介払いにちょうど良かったのかもね。」
 とほほ、という感じでソラが言う。抗うこともせず、完全に運命を受け入れていますといった感じだ。

「本聖地って、7本目の聖樹があるって言われているところか?」
 信者でもなく、聖樹教にあまり興味のないアレックスでもその都市伝説的な話は聞いたことがある。世界人口の大多数を占める聖樹教だが、総本山に関しては未知な部分が多い。

「うん、そう。僕も幼かったから覚えてないけど、7本目の聖樹はあるよ。六聖樹を巡ったら、最後に僕らはそこを目指す。」

 ソラはあっさりと世界の秘密を漏らす。俄かには信じがたいが、知り合って日が浅いとはいえソラがこの場で嘘をついたり、アレックスを揶揄ったりするタイプとは思えなかった。この話が本当であるという前提で考えると、この国が近日まで鎖国状態だったことも、それでも国という体勢を保てていたことも、いまだにネットワークから切り離されていることも得心がいった。
 ただの辺鄙な小国が完全な鎖国状態に突入したのも15年ほど前であるという歴史的事実もある。

「アレックスは勘もいいんだね。」
 信じがたい話が逆に全ての説明になっていて、飲み込まざるを得ない状況になっていることにソラも気づいたようだった。
「じゃあ、この村には戻らないのか。」
 昨日の王の接見の際の寂しそうな表情も、昨夜ソラが「最後だ」といった理由も、ステージ上でのニナの涙のわけも得心がいった。
「うん、戻らない。」
 ソラは迷うことなく言い切った。7本目の聖樹の場所って?と聞くと、それはまだ言えない、と答えた。できれば知らないほうがいいし、最後まで一緒に行くことになったらもしかしたら知ることになるかもね、とのことだった。

「ニナは聖地に戻ったら、一生そこから出られなくなる。…だから、この旅は楽しいものにしてあげたいなって思ってるんだ。」

 ソラは寂しそうに笑う。期限を決めない理由も、そこにあるのかもしれないとアレックスは思った。

 ソラは自身も術者であり、それなりに防衛の能力はあるはず、と言った。防壁を張ることが可能だとのことだ。しかも義手(マシン)の力でそれを増幅すことも可能らしい。
 ただ防戦一方では襲撃者を撃退することは出来ないから、アレックスが雇われたとのことだった。

 それは助かる、とアレックスはソラに素直に伝えた。護衛対象者の防護をある程度任せられるとなれば、アレックスの攻撃の範囲も広域にすることができるだろう。
 最近は世界的に魔物も以前に比べて強力になっているという。攻防に関しては選択肢が多いに越したことはない。

 僕もできるだけ頑張るから、どうぞよろしくお願いいたします、とソラが改めて頭を下げた。ニナに対する強い思いがそうさせているのだろう。こちらこそ、とアレックスは応える。背筋が伸びる思いがした。
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登場人物紹介

アレックス

アレックス・レイバーン(19)。王都軍諜報部隊ヴァンサーの訓練候補生。ヴァンサー創立以来の逸材らしく、潜在能力特S評価。加えてその長身と整った顔立ちでモテまくっている(ソラ談)らしいが、本人はそんなことより普通にお金が好き。荷物が少ない。趣味は読書と昼寝。幼少期の記憶を失っているが本人は気にしてない。人混みが苦手。色弱。

ニナ

ニナ・グレンヴィル(20)。ルクノルディア王の長女であり、ど田舎娘。特技は絶品と呼び声の高い歌モノマネ。めちゃめちゃ似てると、村のおじさんおばさんには大人気。よく食べよく寝てよく笑う。ただし寝すぎには要注意。

ソラ

ソラ・バサロヴァ(19)。ルクノルディア王国王女ニナ付の侍従で聖樹教の聖職者。幼児の頃の事故で左半身の一部が義体。潔癖気味のギタリスト。彼に弾けない弦楽器はないらしい。アレックスに言わせると腹黒聖職者。ニナとは幼馴染で彼女だけには激甘。

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