麦星祭 幕間

文字数 1,615文字

 曲は高揚の中、終わりを告げた。観客から割れんばかりの拍手と歓声が再び起きる。娘たちは皆、頬を赤く染めて観客の反応に安心したように笑顔を見せていた。
 ニナが再びマイクの前に立つ。止まない歓声の中でも、皆がニナの一挙手一投足に集中してるのがわかる。

「おしまいでーす。」

 突然のゆるい終幕の知らせにどっと笑いが起こると同時に、えーと言う声が各所から上がる。ニナはそんな反応が楽しいのかケタケタと笑った。
「あ、でもこの後もまだまだ続くから、みなさん、楽しんでください、まだまだ」
 マイクから離れると、ステージから下がっていく聖歌隊の隊列に混じって観客に手を振った。観客は諦めきれない様子で暫く拍手と歓声をステージに送っていたが、照明が落とされると嘆息と共に席に戻った。しかし興奮冷めやらぬといった様子で、今目撃したステージについて各々確認するように感想を述べ合っているようだった。

 アレックスも自分がかなり見入っていることに気がついた。先ほど、涙を流すという自分の人生史上あり得ない事態が起きたと言うのに、それについて検証も評価もしないまま目の前のパフォーマンスに釘付けになっていた。
 でも今は理由などどうでも良かった。いや、理由はわかる。要因が分からないだけだ。でも今はそれすらもどうでもいい。願わくば追加でアルコールを流し込みたい。
 今夜はこの山々に守られて、この星々の下で、何にも縛られず、ただこの空気に溺れていたい。そんな気分だった。

 アレックスは腰をかけていた岩から離れて、もう1杯スパークリングベリーを(アルコール入りで!)貰いに行こうと歩き出すと、向こうからソラが向かってきた。

「どもー!楽しんでる?」

 手にはグラスを二つ持っており、当たり前のようにそのうちひとつをアレックスに向けてきた。飲めるでしょ?と、赤ワインがたっぷり注がれたグラスを当然のように手渡してくる。
「どーも。」
 想定していたものとは違ったが、アレックスは素直に受け取る。アルコールならなんでもいい。

「スパーリングベリー飲んだ?今見てきたら、もう売り切れてた。」
 アレックスの思惑を見透かしたのか、ソラが自分もワインを飲みながら言った。大きなガラスタンク2個分にたっぷりあったので、まだ間に合うかと思ったが、評判は嘘ではなかったようだ。あの明るいおばさんが皆に気前よくサービスしちゃったのだろう。
「うん、美味かった。」
 天然のベリーがあれほどたっぷり使われている飲み物なんて、王都では簡単にお目にかかれないだろう。何のベリーか聞いてみると、うーんと考えてから、その辺に成ってる青いやつという回答だった。名前を知らないらしい。

 ワインは軽めではあるがフルーティで、飲みやすかった。風が抜けていく。アルコールであったまった体に、含む冷気が心地よかった。
 ステージは、次の演目の準備でマイクやら楽器やらの設置が慌ただしく行われている。観客はやっと興奮が落ち着いたのか、飲み物や食べ物の補充に行っているようだった。火がついた巨大なキャンプファイヤーの前で暖をとっている者もいた。

「聖歌隊、すごかったでしょ。」

 曲のアレンジは僕ね、とソラは得意気に言った。観客たちの反応に手応えを感じているらしかった。アレックスは、再び素直に凄かったと感想を伝えた。あまり体験したことのない類の衝撃的な体験だったことも。流石に涙を流したことは伏せる。ソラはその感想に驚いたようにアレックスを見た。
「本当?嬉しいな。」
 その人懐こい笑顔で、ソラも素直に言った。麦星が出ている短い時間に合わせて開始させて、陽が落ちたタイミングで焚火櫓に火をつけるように計算するのが大変だったらしい。

 アレックスがグラスを掲げると、ソラが自分のそれを軽く当てた。これが最後だからね、とソラがぽつり言った。アレックスがその言葉の意味を理解しあぐねていると、世代交代ってやつ。と、深い意味はないよと笑った。
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登場人物紹介

アレックス

アレックス・レイバーン(19)。王都軍諜報部隊ヴァンサーの訓練候補生。ヴァンサー創立以来の逸材らしく、潜在能力特S評価。加えてその長身と整った顔立ちでモテまくっている(ソラ談)らしいが、本人はそんなことより普通にお金が好き。荷物が少ない。趣味は読書と昼寝。幼少期の記憶を失っているが本人は気にしてない。人混みが苦手。色弱。

ニナ

ニナ・グレンヴィル(20)。ルクノルディア王の長女であり、ど田舎娘。特技は絶品と呼び声の高い歌モノマネ。めちゃめちゃ似てると、村のおじさんおばさんには大人気。よく食べよく寝てよく笑う。ただし寝すぎには要注意。

ソラ

ソラ・バサロヴァ(19)。ルクノルディア王国王女ニナ付の侍従で聖樹教の聖職者。幼児の頃の事故で左半身の一部が義体。潔癖気味のギタリスト。彼に弾けない弦楽器はないらしい。アレックスに言わせると腹黒聖職者。ニナとは幼馴染で彼女だけには激甘。

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