朝稽古

文字数 3,146文字

 翌未明、アレックスはいつもの時間にベッドを抜け出し、いつものように朝のトレーニングに出た。

 祭りの会場からは昨日の熱狂は完全に消え、ステージと観客用の椅子、屋台やテーブルから人だけがいなくなっていた。
 昨日とは逆回りで湖畔を一周した。昨夜、周囲の花々が少女たちの頭を鮮やかに彩った祭壇には靄の中、雄鹿が一頭佇んでいた。昨日ニナが花冠作りをしている時にそばに寄り添っていた個体のように思えた。彼女が現れるのを待っているのだろうか。彼の目を見ても思考は全く読めなかった。

 城まで戻ると裏庭には昨日王家の面前で手合わせをした城兵のタルソムが、青年3名を従えてアレックスを待っていた。
「アレックス殿」
 変わらずの鋭い視線と堅苦しい姿勢に、アレックスも心なしか構える。木刀だとは思うが、全員脇差を差している。ただ、身なりは昨日のように鎧ではなく、この村の他の男達と変わらないような、木綿の上下だった。

「勝手な申出とは承知の上で、貴殿に頼みがある。」

 構えつつもとりあえず話を聞くと、要はアレックスがこの村にいる間、武術の稽古をつけて欲しいとのことだった。

「稽古…?」

 仮にも自分はまだ訓練生の身であり、誰かに何かを教えるなどという立場になることは想定していなかった。何より自分の戦い方は学校で学んだ理論に基づいたものでもなく、殆どが現場での勘頼みだ。もちろん、戦闘や武闘、諜報活動に特化した学部に所属していた手前、理論やセオリーもそれなりに身についているとは思う。だが、自分がそれをあまり重用していない以上、伝聞的にその知識を譲渡することが、彼らの為になることなのか判断しあぐねた。
 また、今後何かあったときに責任も取れない。しかし、タルソムは真面目な表情で食い下がる。国が開かれた今、我々は今以上に力をつけなければならない。辺境の小国とはいえ、どこからも標的にされない理由はない、とのことだった。

「…期待通りの働きができるかわからないけど、」

 熱意に負けて、少し迷ったあとにアレックスは請け負ってみた。とはいえ出発までそう日はないはずだ。何を伝えるべきだろう(伝えないべきだろう)。
 「感謝する!」タルソムと後ろの3人が律儀にこの国独自のと思われる敬礼をした。アレックスは慣れなくて不器用に会釈を返した。

「そのつもりで、準備してきたのか?」
 昨夜は村人は明け方まで飲み明かしていたはずだ。彼らはこのために飲み会には参加しても早く切り上げたのかもしれない。
「貴殿が朝早くからトレーニングをすると耳にしたので…」
 今朝を除けばこの村で迎えた朝は昨日のみだが、それが何故か確定行動パターンとして噂が流れているようだ。間違ってはいないのだが。

「あ、そう。じゃあ早速始めますか。」
 アレックスが言うと、4人は目を輝かせて背筋を伸ばした。ここの真面目で素朴な国民性は嫌いじゃない。応えてやりたい、という気持ちにさせられた。

 アレックスは周囲を見渡して、薪用に集められている丸太のうち、まだ短く切り分けられていない木を1本拾い上げた。さすがに少し重いので、薪割り台に刺し置かれたままの斧を借りて半分に割る。長さを保ったまま二つに割ったせいか、それだけで4人が目を見張ったのがわかる。いちいち注目しないで欲しいと思いながらも、木肌のささくれや先端も少し落として長さを調整する。

「んじゃ」
 アレックスは槍程度の長さになった木材の感覚を確かめながら4人の前に立った。
「えーと、名前は?」
 タルソムから順番に、バートン、ジュネ、ヘルマーと名乗った。タルソムのことはもう知ってるよ、というと、少し驚いたような嬉しそうな表情をした。自分はアレックスです、と改めて名乗る。

「じゃあ4人同時にかかってきて。俺の体に最初に一本入れられた人が勝ちね。」

 4人に緊張が走る。4人同時にとはさすがに馬鹿にされていると思っただろうか。今日は避けないよ、とタルソムに言うと、昨日を思い出したのか表情に力が入った。
 緊張の面持ちのまま4人は模造刀を構えた。5人の周囲に一瞬静寂が漂ったが、予測通り、まず沈黙を破ったのはタルソムだった。掛け声を上げてから一撃を振り下ろす。アレックスは持っている木材でそれを弾き返した。
 早朝の庭に、木のぶつかり合う甲高い音が響く。他の3人は暫く腰が引けていたが、中でも小柄なジュネがタルソムの後に続いた。アレックスはそれも弾き返す。大柄で力がありそうなヘルマーと、少しプライドの高そうなバートンが同時に続く。二太刀とも弾き返す。
 4人と1人は再び向かい合うが、先ほどと違って村の警護団たちの闘争心に火が付いたのを感じ取れた。「うぉぉ!」という掛け声とともに、4人がテンポを上げて同時に襲い掛かってきた。アレックスは体制を低くしながらも、4太刀を受け止め、弾き返した。しかし4人は怯まずに次々に太刀を振るい続けた。庭にカン、カカカンカンと音が断続的に響き渡った。この若造にたった一太刀だけを浴びせるために、4人は諦めずに挑み続けた。

 4人は彼らなりに試行を凝らして攻撃に変化を加えてみたりもしたが、アレックスの体に一太刀を当てることは叶わなかった。ふと視線を感じて見上げると、昨日の朝と同じ窓からソラが眠そうな顔でこちらを覗いていた。目が合ってソラが手を上げる。細くて長いきれいな指をしていた。

 「だぁぁっ!」瞬間、ヘルマーがその太い腕で渾身の一撃を振り下げた。アレックスが咄嗟に木材で受けるが、受け止めたちょうど真ん中の位置で、木材が真二つに折れた。膠着状態だった戦況が打破されて、4人の目つきが変わる。4人ともかなり息が上がっていたが、攻撃のスピードを速めた。
 アレックスは両手に木材を掴んだ二刀流状態で、引き続き受け身一方で攻撃をはじき返した。その状態で再びしばらくの攻防が続いた。
 そのうち城の使用人と思しき人達がぽつぽつと現れ始めた。ここを通用口までの通り道にしているのだろう。足を止めて、朝っぱらから打ち合いをしている男たちを興味深げに観覧し始めた。
 ソラは興味を失くしたのか、窓辺から姿を消している。

 「クソッ、」バートンついに動きを止めた。肩で息をしながら、腕はもう上がらないようで、だらりと落としていた。ヘルマーとジュネも限界のようだった。タルソムは流石の精神力でまだ模造刀を構えているが、他の3人と状態は大きく変わらなかった。鼻を大きく膨らませて必死に空気を取り込んでいる。

 「ここまでにしますか。」

 アレックスが言うと、4人とも悔しそうではあるが異を唱える者はいなかった。ここで無理をさせても怪我人が出るだけだろう。
 観客の使用人たちが手を叩いて無責任に健闘を称えていた。アレックスは借りていた木材を薪にちょうどいい大きさに成型して返した。

「お前は私たち4人を相手にしても息すら上がらないのだな。」
 アレックスが斧で作業している間に、タルソムが悔しさを隠さずに言った。まだ呼吸が落ち着いていない。使用人たちはいい見世物を見たというような空気で城の中に消えていった。
「そうゆう風に鍛えているからな。」

 彼らはアレックスと違い、他の職業を持ちながらの兵士、言い換えれば村の自警団といったところだろう。戦闘に特化して日々訓練してきたアレックスと違って当たり前だ。そして、とても悔しそうではあるが、それはよっぽど人として正しい。

「さて、あんた方の力量はわかった。ここから限られた時間で何が教えられるか、自分なりに考えてみる。」
 彼らは汗まみれでボロボロになりながらもアレックスに礼を言った。

 ところでおたくらの姫様はいつ出発の予定か知ってるかとタルソムに問うてみたが、聞いていないとのことだった。
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登場人物紹介

アレックス

アレックス・レイバーン(19)。王都軍諜報部隊ヴァンサーの訓練候補生。ヴァンサー創立以来の逸材らしく、潜在能力特S評価。加えてその長身と整った顔立ちでモテまくっている(ソラ談)らしいが、本人はそんなことより普通にお金が好き。荷物が少ない。趣味は読書と昼寝。幼少期の記憶を失っているが本人は気にしてない。人混みが苦手。色弱。

ニナ

ニナ・グレンヴィル(20)。ルクノルディア王の長女であり、ど田舎娘。特技は絶品と呼び声の高い歌モノマネ。めちゃめちゃ似てると、村のおじさんおばさんには大人気。よく食べよく寝てよく笑う。ただし寝すぎには要注意。

ソラ

ソラ・バサロヴァ(19)。ルクノルディア王国王女ニナ付の侍従で聖樹教の聖職者。幼児の頃の事故で左半身の一部が義体。潔癖気味のギタリスト。彼に弾けない弦楽器はないらしい。アレックスに言わせると腹黒聖職者。ニナとは幼馴染で彼女だけには激甘。

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