It was sunny.

文字数 2,829文字

 晴れていた。
 午後三時を過ぎていた。晴敏と辰雄は最初に目についたファミレスに入り、最奥の窓際の席に座った。
 辰雄がいつものように肉肉しいメニューを選ぶと、晴敏は鉄火丼を注文した。

「兄貴今日はいいもん食べるんスね!」

 不思議と嬉しそうに、はにかんで頭を掻いた辰雄を見て、今度は服装が気になった。チンピラとして平均的な柄シャツが似合っている辰雄だが、二日同じものを着ている。行き当りばったりで山間部にまで越してきたのだから当然だが、生活用品はまだ必要最小限しかない。

(カタギに戻るべきだ)

 はにかんで、少年的な顔を見せる辰雄を見て、晴敏はそう思った。
 辰雄なら学歴や職歴がなくても何処かで必要とされる。一生懸命働くし、愛想はいいし、多少何かあってもすぐに立ち直れる。ちょっと度胸は足りないしが、クソみたいに理不尽なヤクザでやっていられるのだから、何処で何だって出来る筈。

(どうやるかな……)

 晴敏は思う。もし自分が、例えばアメコミのスーパーヒーローみたいなすごい力を持っていたら。村松会を皆殺しにすればいい。それで、辰雄はカタギになれる。
 晴敏にとって生きる標はそれだけだから、会長を殺すのだってその為だったら厭わない。“辰雄をカタギに”、それが達せられれば地獄に堕ちても笑える気がした。

(きっと)

 閻魔様に訊かれるのだろう。

「どうして笑っているんだ?」

 と。
 そしたら

(夢を叶えたから、と答えよう)

 気弱だけど優しくて明るい古田辰雄という男を、ヤクザからカタギに戻しました。その過程で不要に罪を重ねましたがまぁそれはそれでいいでしょう。
 心に燻ったものを残しながら極楽浄土に行くというのは、人が産まれて生きる理由から外れます。

 しかし現実的ではない。返り討ちに遭うとか、殺し損ねたりしたらとか、そもそも実際には武器を集めて計画を練らなければならないし、露呈すれば辰雄も疑われる。などと言い訳が並んでしまう。だから、卵の殻の中に閉じ込められた様な、陽の差さない閉塞感がいつもある。

「今何時だ?」

「三時過ぎですよ」

「食い終わったらどうするか」

「なんか時間潰せるところありますかね」

「スマホで見てみろよ。ここなら電波も入るだろ」

 辰雄は言われた通りにスマホを取り出し、検索を始めた。
 地図を開くと現在地が表示され、周辺の施設名が画面中に並ぶ。晴敏は未だに古いガラケーを使っているから、その便利さを本当の意味では知らない。

「あるのはですねー」

 遊び、といえ晴敏は今の自分が何を楽しめるのかを知らない。
 パチンコ屋か競艇場でもあれば良い。勝てるとは思わないが、時間は潰せる。
 そうこうしているうちに鉄火丼が運ばれてきた。辰雄の検索より早かった。

「文化財センターとか、児童館とか……ッスかねえ」

「馬鹿、そんなとこ行くかよ。他にあるだろ、パチでも場外でも」

「でも兄貴、金なんか無いッスよ」

「一日遊ぶくらいならあるだろ」

「少しでも手打ち金の足しにした方がよくないスか」

 丼に醤油をかけて、わさびを乗せた。

「……真面目だな」

 箸でかき混ぜた。マグロがちぎれるくらい、ぐちゃぐちゃにした。HBの鉛筆でノートを塗り潰す様な感覚だった。
 水を、一口、飲んで、思い出したかのようにおしぼりで手を拭いてからあらためて丼を見ると、一見それが何か分からなくなっていた。

「それに村松会の人と何処で会うか分かりませんよ」

「そりゃそうだけどさ……別に会ってどうこういうわけでもないし……」

 茅野の仇を取ろうなんて思う人間は、村松会にはいない。それは茅野の部下でさえそう。
 ただ、二人が死ねば少し状況がスッキリするから、それで命を狙ったりはしているかも知れない。
 醤油を足した。
 もし襲撃を受けたとして自分の身を護るのは腰の拳銃だけになる。辰雄も持っているだろうが、使った事が無い。大切なのは躊躇わずに引き金を引く事。それには経験が必要になる。
 辰雄にも料理が運ばれて、ご飯とスープの皿が置かれた。二人で食べながら取り留めのない世間話をしていると、そのうち西日がガラスを貫いて窓枠の埃を強調して、二人の食器の影もより深く描いたりなんかした。
 テーブルの上を小さな虫が飛んでいた。不潔だとクレームを入れるには酷な程に、何処からでも紛れ込める、或いは食べ残しの醤油の淦からでも生まれそうな細かい虫。目で追うと、窓辺に飛んで、西日に溶けた。

「俺結構キング&プリンスも聞くんスよね」

「そうか。俺の世代は光GENJIとかだな」

「いやぁ古すぎでしょ」

 最後の一切れの肉をフォークに刺して大事そうに残している辰雄は、何が楽しいのかずっと笑顔で、意味を持たない会話を伸ばす事だけに心血を注いでいるようだった。
 だから、無為に四時半までそこに居られた。それでもやがては遂に話題が途切れ、

「そろそろ行くか」

「そうスね」

 二人は自然に話を終えて、立ち上がって、会計を済まして、店を出た。
 車を走らせて、今度はスマホで探したパチンコ屋の、やたらと広い駐車場の西の端へと停めた。降りてみると、車内という鉄に囲まれた空間から身一つの無防備さとなり、それが途端に不安を感じさせた。
 沈んでゆく夕日がやがて暗闇を齎し、この広い空間はただ暁月の些細な光だけに照らされて、そしたら人拐い日和になるのだろう。残酷な無邪気さに捕らえられたカエルの様にバラされるのは、とても、怖い。晴敏の中に、不意に怯懦が広がった。

「行こう、早く、店に」

「はいッス!」

 晴敏は急いだ。パチンコ店内は音と光で溢れているだろうから、その不安は和らぐと思った。

(不安……)

 と、いうのなら。ここ数年間ずっと苛む閉塞感は、不安の一形態でもあるのか、と、そんな事を急に思った。
 親の庇護なんてもうなくたって生きていける年齢で、辰雄が買ったダイハツタントの助手席に座れば何十キロでも遠くに行ける。それなのに、殻に閉じ込められた様な狭苦しい感覚が常にある。
 パチンコ店に入り、玉を買い、台に座りハンドルを回した。無軌道に飛び始めるパチンコ玉。釘に当たって右とか左とかどっかに跳ねながら、風車やチューリップに飲まれたり吐かれたりして殆どが下方へ向かう。
 そう言えばヤクザもヒットマンを鉄砲“玉”などと呼ぶなと晴敏は考えて、そうすると無為にハズレ穴に消えていく銀玉が人の命なんかに重なったりした。

(綺麗だな)

 重力に任せて落ちるだけの命だったなら、閉塞感もただ無駄なものだと割り切れた。何も無く、無為でいい。
 そんな命を眺めているうちに晴敏は二万円を擦って、それ以上散財する気にもならず遊戯を止めた。隣の辰雄に目を向ける途中、虫がいた。飛んでいた。

「羽虫はいいな」

「?」

「何処にでも飛べる」

 辰雄が終わるまで待っていると、運良くも大当たりを引いたらしく勝ってしまった。

「やりましたよ兄貴! これそうとうツイてますよ!」

「ああ、そうだな」

 馬鹿みたいで、笑いそうになった。
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