And then,they played.

文字数 2,915文字

 それから、沢山遊んだ。
 半に賭けたり、丁に賭けたり。辰雄も教えられてすぐに覚えた。難しいルールは無い。
 晴敏は、勝ち続けていた。
 茅野の賭場は負けた側の金から、一定割合を胴元が徴収し、残りを勝った側へ分配するシステム。負け側の金額が大きい程実入りがいい。だから大抵、金額の多い側を負けさせる。晴敏はそれを知っていたから、茅野への悪戯心もあって利用してやった。しかし勝っていると、やはり快くは思われない。
 突然、勝てなくなった。あからさまに。
 晴敏は四連敗したところで立ち上がった。

「辰雄、帰ろう」

 つまりはこの賭場はイカサマをしている。やり方は知らないが、勝てないときは決して勝てない。収支がプラスのうちに帰ろうと思った。

「待てよ杉田」

 扉を塞ぐように、茅野が立っていた。声をかけられるまで晴敏は気付かなかった。顔を見ると、

「もう少し、遊んでいけよ」

 死相が見えた。
 賭場の傾いた照明は、月明かりに似ていた。

「いいよ。もう帰る。そこどいてくれ」

 晴敏がそう言うと茅野は威圧の為に、鉄製の扉を思い切り叩いて大きな音を立てた。辰雄はビクッと身体を震わせたが晴敏は動じず、小馬鹿にするように小さな息を吐いてまた茅野を見た。
 ここで殴ってきてくれれば、殴り返して格好がつく。しかし茅野は変に賢明ぶって手を出してきてくれない。「戦争ならやってやる」などと言いつつ、茅野は藤堂組相手にこれ以上強く出られないらしい。
 茅野にとっては晴敏がただ丁半で負けてくれればよかった。それで痛い目を見せられるし、プライドも保てた筈だった。

「俺が壺を振る」

 茅野は、そこまで言った。

「そうか、じゃあやるよ」

 だから晴敏は、子供の様に、簡単に意思を変えた。
 再び座に着き、財布から金を取り出す。茅野は他の客に睨みをつけ、それを見て出方達は察して金を戻させた。
 サシの丁半になった。晴敏には賽が読めない。読めたとしても賽の目を操るイカサマをしているのだろうから、意味が無い。ただ今日の儲けは泡銭。失っても傷まない金だから、全額を気楽に賭けられた。
 丁に賭けた。
 茅野が壺を振った。「よござんすね」、などとも言わない。だから静かに場は進んだ。
 壺を開く。2・4の丁。
 予想外だったのは晴敏で、「あ」と思わず声にまで出していた。茅野を見れば顔は怒気に赤らんでいたから、彼にとっても想定外だったのだと察した。

 ――なにかおかしい。

 サシの丁半なのに、場に着いている二人がむしろ蚊帳の外にいるようだった。

(サマを握っているのは壺振りじゃないのか)

 つまり茅野は一通りの進行が出来るだけで、賭場の売り上げを伸ばしていたのは茅野の知らない末端の努力だったという事になる。
 晴敏が推察するに鉄火場の人間は茅野に黙っていたのだろう。イカサマを知ればもっと絞れと言われるだろうが、それを嫌った。現場は適度を知っていた。茅野とは違う。となれば、この賭場にとっても茅野の存在はもう不要なのだろう。それでもヤクザなのだから親殺しは出来ない。
 だからいつか、「誰か」が、殺してくれるのを、口に出さないまま誰もが待っている。
 とすれば利用されたのは晴敏で、茅野は屠殺を待つ家畜。
 茅野は一度立ち上がり、裏から木刀などを持ち出してまた座に着き、乱暴に畳を叩いた。大仰な音が響いたので辰雄などはまた怯えて縮こまっている。
 帰ろうと思った。
 稼いだ金を早く擦って、身軽になって帰ろうと。
 茅野がまた壺に賽を投げ入れて、乱暴に置いた。晴敏はまた、丁に賭けた。
 僅かな静寂が流れた後、茅野は女々しくも壺を少しだけ開いて中を覗き見た。それでまた不機嫌な顔をしたのだから、晴敏も面倒になった。丁なのだろう。
 賽の目は操られている。この鉄火場は――

「杉田」

 茅野は。

「その金置いて、出てってくれや」

 馬鹿だった。
 とかく威圧的でありさえすれば、全て解決出来る気でいる。しかしヤクザといえど、同じヤクザにはそういつも通用するものでもない。

「その壺を開けてくれたら、もう帰るよ」

 賽の目は丁でいい。そうしたら晴敏は「俺は半に賭けた」と言い張って、この場を逃げる。
 賭場の盆代も、壺振りも、出方も、他の客も。晴敏を見ていた。晴敏が思うに盆台の下に誰かがいて、針でも使って賽を動かしている。茅野が気付かないのは、自身の触れる壺と賽に細工が無いからなのだろう。見えないものに考えが及ばない。
 そんな頭の働かない茅野という男は、木刀を持って立ち上がり晴敏の前に立った。
 それでも晴敏は茅野に伝わることを願い、丁にあった金を、ゆっくりと半へと動かした。
 茅野はそれを、金を回収するのだと誤解した。
 木刀を振り上げて、思い切り振り下ろして、晴敏の左側頭部を強く叩いた。

「……痛えな」

 軽く血が流れた。痛みは怒りに変わる。

「出てけってんだ」

「壺を開けろつってんだろ」

 言われてまた木刀を振り上げたのを見て、辰雄が

「やめろ!」

 と、震える声で叫んだ。すると茅野は目線を辰雄に移し、今度は辰雄を木刀で殴り始めた。

「てめえあああ!」

 と、何か意味のある言葉を発したのだろうが晴敏には聞き取れない。興奮すると分からなくなる男らしい。
 二度、三度と辰雄を殴り続ける。そうしているうちに辰雄は背中を丸め、亀になった。臆病だから、反撃も出来ない。「やめろ!」と叫んだのが精一杯の勇気。
 晴敏は知っている。こうなると人は、死ぬまでこの状態となる。殴る側は、止め時を失う。

「茅野」

 仕方無い。これは仕方無い。そう思いながら晴敏は、

「嫁さんにも同じか」

 拳銃を取り出した。

「晴敏、てめえは」

「お前の嫁さんは」

 明らかにまともじゃない状況に至っても、尚も誰も茅野を庇わない。傍観者のままでいた。
 晴敏は子供の頃のカエル解剖授業を思い出して、数秒間だけモノクロのノスタルジーに浸った。あの時も一人が解剖を行い、大多数は傍観者のままだった。
 空気が少し流れて部屋の湿度が不快な数値にまで上がり、外では月が雲に隠れた。

「山羊みたいな女だったよ」

 銃声は三度あり、命中したのは二発だった。
 一発は左脇腹、もう一発は心臓の右下を掠めていた。即死ではない。どころか、すぐに治療すれば助かっただろう。しかし誰も医者を呼ばず、止血一つもしなかった。
 だから、茅野は、必要以上に苦しんでから、死んだ。
 賭場の男たちは顔に出さずとも上機嫌で、晴敏の勝ち分を律儀に支払ってくれた。

 ――外に出ると、雨が降っていた。
 晴敏も辰雄も傘を持ってきていない。
 晴敏は、昔見たアニメの映画を思い出していた。父親の為に傘を持っていく子供がいた。そんな雨のバス停に、猫のバスが来てくれる。それで目下の問題は解決する。
 あれは素晴らしい。そう思う。何しろ乗車代も取られない。美しい。夜のシーン、月も出ていた。
 現実では都合良くタクシーも通りかからず、傘を待つ誰かもなく、濡れて歩いて帰るしかない。

「辰雄、免許持ってるか?」

「ありますよそりゃ」

「車買えよ。あった方が便利だろ」

「車ッスか。それじゃ買いますよ」

「そうか。なら金をやる」

 そう言って晴敏は、今日の稼ぎを辰雄に押し付けた。
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