"...What’s up, Sugita?"
文字数 1,890文字
「……何だよ、杉田。下らねえ話なら帰れよ」
「……」
「帰れよっ!」
茅野は蛮声を響かせた。よく響くが、歯切れは良い怒鳴り声。ただ一瞬だけ空気を震わせて、消えた。
「そうもいかない。一応、約束だから」
辰雄はといえば、怒声に驚いて震えていた。ただ立っているだけで何の役にも立たない。やはりヤクザには向いていない。晴敏はあらためてそう思う。
「用事はそれだけか?」
「ああ、それだけだ」
「嘘つくんじゃねえよ」
嘘ではない。
しかし茅野は、嘘だと思ってくれた。自身を有能だと勘違いした的外れな猜疑心は、茅野を更に狭量に見せた。
だから晴敏は、この辰雄を驚かせた茅野に対し、少しの悪戯心も持ってしまった。
「ああ、親父からの言伝もあった」
話を聞いていた辰雄は、その言葉に驚いて晴敏の顔を見た。親父とは藤堂組長の事だが、辰雄は言伝など聞いていない。
「茅野、すぐに死んでくれってよ」
そう言われて、茅野は立ち上がった。
「本気で言ってんのか?」
「上納金に満足していない。賭場はもっと儲かってる筈だ。お前が売り上げハネてるんだろ? だから、死んでくれたらいい。そうしたらここは親父が管理するから」
「疑ってるのか。売り上げのうち7割は払ってる。嘘じゃねえ。これ以上取られたらやっていけねえよ」
晴敏は終始、茅野と目を合わせて話をしていた。7割払っているというのが嘘ではないのは分かっている。しかし村松会は満足していないのも現実。茅野にとって理不尽だろうが、ヤクザなのだから仕方ない。
ヤクザになった、自分が悪い。
「お前の都合はいいんだよ。親がそうだと言ったんだから、そうしてくれって言うしか出来ない、俺には」
「じゃあその親父に伝えろ。俺は辞めねえ。大体何もしてねえ村松会に持ってかれるのが可怪しいんだよ。あんまり絞めるようなら、独立する」
「総本部長の地位はどうすんだよ」
「いらねえよ。実入りがねえ」
「戦争になるんじゃないか」
「そうなったら俺はやってやる」
歪んだ月光が、茅野をより血色悪く見せて、晴敏にはそれが死相に見えた。しかし、
「杉田、お前、死相が浮いてるぞ」
茅野も、晴敏に死相を見ていた。言われて辰雄を見ればやはり死が顔に貼り付いている。結局それはオカルトな能力による未来視などではなく、欠けた月が見せた陰影の錯覚だった。誰だって淡い青白い光に照らされれば、顔色が悪くなる。それだけの事。
「……親父には、全部伝えておく」
晴敏は、踵を返した。未だ震えている辰雄の背を叩き、一緒に事務室の外に出る。
筋が通っているのは茅野の方だと思った。親父――藤堂組長は労せずしてこの実入りの良いシノギを手に入れようとしている。賭場自体は茅野の組が盛り立てたものであるにも関わらず。
とすれば、茅野の言う独立もデタラメとも言い切れない。ある程度は本気で考えているのだろう。しかし、それは許されない。
ヤクザなのだから。
ヤクザの世界は理不尽だから仕方無いと諦めればいいが、理不尽を受け入れられるのならヤクザにもならなかった。例えば学校の教師に理不尽に殴られて、筋を通して殴り返したような人間だからヤクザになる。なれば、茅野は正しい。
扉を、出て。
カジノを通って、丁半の鉄火場に顔を出した。
辰雄が、
「やってくんですか? 兄貴」
と、少し好奇心を見せてくれたから、
「やっていこうか」
と、座に着いた。
「俺、やり方知らないんすよ」
合理的に考えるのなら。
茅野をあの場で殺してしまえばそれで終わった。電話をしていたのだから、狙いやすかった。晴敏は、腰には今日も拳銃を差している。
「簡単だ。丁か半しかないんだ」
ただそれは、理不尽なヤクザ者だとしても少し儚すぎる気がした。あんな男でも、お産に耐えた母親から産まれて、学校に通って税金で教育を受けて、自分の意思で日々を生きている。
晴敏は自分の両親をよく知らないから、余計にそう思う。
家に帰っても誰も居なかった晴敏の少年時代、本当に一人きりだと思いたくなくて、お化けなんかを夢想して寂しさを紛らわせたりもした。大人になるにつれ、夢想したものは実在しないと気付いていった。茅野は違う。
村松会だって総本部長を殺されたとして、何も無しに終わりには出来ない。藤堂組長も村松会の会長も、この賭場を直接に経営したがっていたがはっきりと口には出していない。仄めかしていただけだった。
“茅野が死んでくれたら都合が良い”
そうは言わない。ただ、仄めかすだけで勇み足を踏んだ誰かが先走り、殺してくれれば、そいつに罪を被せられる。それで、全て綺麗に収まる。世界には、何のしこりも残らない。
「……」
「帰れよっ!」
茅野は蛮声を響かせた。よく響くが、歯切れは良い怒鳴り声。ただ一瞬だけ空気を震わせて、消えた。
「そうもいかない。一応、約束だから」
辰雄はといえば、怒声に驚いて震えていた。ただ立っているだけで何の役にも立たない。やはりヤクザには向いていない。晴敏はあらためてそう思う。
「用事はそれだけか?」
「ああ、それだけだ」
「嘘つくんじゃねえよ」
嘘ではない。
しかし茅野は、嘘だと思ってくれた。自身を有能だと勘違いした的外れな猜疑心は、茅野を更に狭量に見せた。
だから晴敏は、この辰雄を驚かせた茅野に対し、少しの悪戯心も持ってしまった。
「ああ、親父からの言伝もあった」
話を聞いていた辰雄は、その言葉に驚いて晴敏の顔を見た。親父とは藤堂組長の事だが、辰雄は言伝など聞いていない。
「茅野、すぐに死んでくれってよ」
そう言われて、茅野は立ち上がった。
「本気で言ってんのか?」
「上納金に満足していない。賭場はもっと儲かってる筈だ。お前が売り上げハネてるんだろ? だから、死んでくれたらいい。そうしたらここは親父が管理するから」
「疑ってるのか。売り上げのうち7割は払ってる。嘘じゃねえ。これ以上取られたらやっていけねえよ」
晴敏は終始、茅野と目を合わせて話をしていた。7割払っているというのが嘘ではないのは分かっている。しかし村松会は満足していないのも現実。茅野にとって理不尽だろうが、ヤクザなのだから仕方ない。
ヤクザになった、自分が悪い。
「お前の都合はいいんだよ。親がそうだと言ったんだから、そうしてくれって言うしか出来ない、俺には」
「じゃあその親父に伝えろ。俺は辞めねえ。大体何もしてねえ村松会に持ってかれるのが可怪しいんだよ。あんまり絞めるようなら、独立する」
「総本部長の地位はどうすんだよ」
「いらねえよ。実入りがねえ」
「戦争になるんじゃないか」
「そうなったら俺はやってやる」
歪んだ月光が、茅野をより血色悪く見せて、晴敏にはそれが死相に見えた。しかし、
「杉田、お前、死相が浮いてるぞ」
茅野も、晴敏に死相を見ていた。言われて辰雄を見ればやはり死が顔に貼り付いている。結局それはオカルトな能力による未来視などではなく、欠けた月が見せた陰影の錯覚だった。誰だって淡い青白い光に照らされれば、顔色が悪くなる。それだけの事。
「……親父には、全部伝えておく」
晴敏は、踵を返した。未だ震えている辰雄の背を叩き、一緒に事務室の外に出る。
筋が通っているのは茅野の方だと思った。親父――藤堂組長は労せずしてこの実入りの良いシノギを手に入れようとしている。賭場自体は茅野の組が盛り立てたものであるにも関わらず。
とすれば、茅野の言う独立もデタラメとも言い切れない。ある程度は本気で考えているのだろう。しかし、それは許されない。
ヤクザなのだから。
ヤクザの世界は理不尽だから仕方無いと諦めればいいが、理不尽を受け入れられるのならヤクザにもならなかった。例えば学校の教師に理不尽に殴られて、筋を通して殴り返したような人間だからヤクザになる。なれば、茅野は正しい。
扉を、出て。
カジノを通って、丁半の鉄火場に顔を出した。
辰雄が、
「やってくんですか? 兄貴」
と、少し好奇心を見せてくれたから、
「やっていこうか」
と、座に着いた。
「俺、やり方知らないんすよ」
合理的に考えるのなら。
茅野をあの場で殺してしまえばそれで終わった。電話をしていたのだから、狙いやすかった。晴敏は、腰には今日も拳銃を差している。
「簡単だ。丁か半しかないんだ」
ただそれは、理不尽なヤクザ者だとしても少し儚すぎる気がした。あんな男でも、お産に耐えた母親から産まれて、学校に通って税金で教育を受けて、自分の意思で日々を生きている。
晴敏は自分の両親をよく知らないから、余計にそう思う。
家に帰っても誰も居なかった晴敏の少年時代、本当に一人きりだと思いたくなくて、お化けなんかを夢想して寂しさを紛らわせたりもした。大人になるにつれ、夢想したものは実在しないと気付いていった。茅野は違う。
村松会だって総本部長を殺されたとして、何も無しに終わりには出来ない。藤堂組長も村松会の会長も、この賭場を直接に経営したがっていたがはっきりと口には出していない。仄めかしていただけだった。
“茅野が死んでくれたら都合が良い”
そうは言わない。ただ、仄めかすだけで勇み足を踏んだ誰かが先走り、殺してくれれば、そいつに罪を被せられる。それで、全て綺麗に収まる。世界には、何のしこりも残らない。