第14話 転居―避難生活の始まり

文字数 876文字

 週末、土曜日の午後に小さなトラックが一台、早苗のアパートの前にやってきた。ユニフォームを着た男性二人と女性一人が降りて早苗の部屋に入ると、女性は早苗と一緒に衣類や食器類などを専用のケースや段ボール箱に詰め込みはじめ、男性二人は冷蔵庫や箪笥やベッドなどを先にトラックの奥に詰め込んだ。やがてトラックがすべての荷物を乗せて走り出すと、そのあとを乗用車が一台追いかけた。前に夏馬と彩日香が座り、後ろに西江と早苗が座った。トラックはまず西江のアパートに段ボールを放り込み、乗用車は西江と早苗を下ろした。つぎにトラックは湾岸沿いのトランクルームに冷蔵庫や箪笥やベッドなどを運び上げ、夏馬と彩日香がそれを見届けた。乗用車は嫌がる彩日香を乗せて中目黒のマンションの地下駐車場に滑り込んだ。そこまで来て諦めた彩日香は夏馬と一緒にエレベーターに乗り、出迎えた叔母に挨拶をした。元気そうだね、と叔母は優しく彩日香に笑いかけた。
 もちろんそれは――

というのは早苗の転居のことだが――ひとつの

である。梶が谷の部屋は解約されないし、冷蔵庫や箪笥やベッドなどは廃棄されない。段ボール箱もすべては開封されないだろう。あるいはすべて開封はするのかもしれない。しかしそれはあくまでもこの

を完遂させるためにそうするのであって、段ボール箱の中身がぜんぶ必要だからではない。関係者はすべてこの

と承知しながらも、転居は実際に現実に実行された。渋谷の地下道に、早苗が西江を探して歩くことを――あるいは西江が早苗を迎えに来ないことを――決して疑わせてはならないし、白いシャツの男たちにも、早苗を誘い迷わせることを――あるいは西江の後ろ姿を騙ることを――二度と繰り返させてはならないのだ。そして言うまでもないことだが、すべては未定のままに放ってある。早苗は梶が谷のアパートに戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。西江の部屋で早苗が幸福感に浸っているうちは、なにも決めなくていい。むしろ、決めないことこそが、いまの彼らの戦略だった。
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