第49話 オランジュリーの薔薇
文字数 2,076文字
高貴なる人質は、帰国後、東目張家に身柄を預けられた。
動乱の始まったA国の国境近くまではまだ鉄道が走っていてその最終便になんとか間に合った。
まさに体一つという有り様の残雪と蜂鳥と駒鳥を連角が迎えに来たのだ。
蓮角は、残雪の身の上に何が起きたのか大体知っているのだろう。
ただ、ご無事で良かったと手を取り、残雪はこのまま身元お預かりの身となると言った。
そして、家令の姉弟と別れ、そのまま東目張家へと送り届けられた。
事前に伝えられていた宮廷の人間からの取り調べなど、初日にほんのわずかの時間のみ。
それも十一に指示された事を言っただけですぐに終了し、更には取調官である官吏からは、棕梠家においては災難であったと労いの言葉をかけられた。
家族は訪問出来るし、外出も可能。
伯爵家だからこその余裕があるのであろうが、“身元お預かり”の身というのはこんなに自由なのだろうかと当初は不思議になるほどであった。
“身元お預かり”と言うのは、宮廷では“温室行き”とか”温室の薔薇”と言われるらしい。
その実は、判決を待つ状態の虜囚の事で、それまでは温室の植物のように大事にされるという執行猶予期間だそうだ。
いつもの優雅で悪趣味な宮廷人の表現の一つだろうが、それは罪悪感を消す為なのか、それとも優越感をくすぐるものなのだろうか。
だからこその好待遇かと残雪はなんとも複雑な気分ではあった。
おかげさまでと言うか、邸内の人間達も同じ廷臣とは言え身分というものが厳然と存在する以上、貴族とギルドでは雲泥の差があるものだが、その扱いは杜撰でも軽んじられる事も無く過ごして居た。
そもそも東目張家というのは、水晶女皇帝と、継室ではない貴族の恋人との間に産まれた皇女の為に作られたもので、彼女は家令の瑠璃鶫に嫁下した。
そしてその間に生まれたのが十一という事になる。
十一は蛍石とは従姪、橄欖とは従姪孫の関係になる。
その皇女は美しい女性だったそうで、恋人も多く、この本宅にもあまり居付かなかったそうだ。
父親とは言えば、宮廷家令であり更に神殿の神祇官として激務。
結婚は早々に破綻していて、結局、残されたのは幼い十一という事になる。
残雪は、この広い屋敷にたった一人で子供時代を過ごす夜も多かったろう十一を悲しく思った。
皇女も瑠璃鶫もすでにこの世に居ない。
帰国してすぐに春北斗の訪問が許されて再会した母娘であったが、数年で春北斗がすっかり成長していたのには驚いた。
十代半ばで別れた当時より身長も伸びて、輝かしい季節を謳歌する年頃の彼女に、元首令嬢を重ね、思い出した。
春北斗の、まさに年相応の明るさと気後れを感じる様子に、この子は無事に育ったのだと嬉しくなった。
蛍石も五位鷺も、きっと自分もこういう少年時代を過ごしたかったと思うような成長を遂げたのだ。
春北斗は、母親の今後の進退には触れず、楽しい話題だけ、それから夏の休暇で海外の別宅に行き、銀星と会い、彼はとても心配していたと言って残雪を涙ぐませた。
十一にと雨乞いに使うらしいカエルの木彫りの土産を渡して、どこかの民芸品なのだと力説して帰った。
案外気に入ったらしい十一が、果たしてどう飾るのが正解なんだと悩んでいたのがおかしかった。
家令にはなかなか会わせて貰えないが、花鳥が訪れていた。
残雪は、あの傷ついた雛鳥が、なんと溌剌とした少年になったのだと感動した。
かつて尾白鷲が自分に約束したように、家令達は雛鳥を大切に守ったのだろう。
花鶏は、残雪と別れた後の話、宮廷での日々の話や、兄弟姉妹弟子の告げ口などを楽し気に話した。
離宮の頃の話や、残雪のA国での暮らしぶりについて、またその元首令息の話には一切触れず。
雛鳥は今や立派な家令になったのだ。
「花鶏ちゃん、ああもう、こんなに大きくなっちゃって!昔はチワワくらいの大きさだったのに!なんて嬉しいの。また来てね」
大袈裟に言い、少年家令を抱きしめる残雪に、監視の意味も込めて様子を見ていた伯爵家の家人達もつい顔を綻ばせた。
この”オランジュリーの薔薇”は、状況を理解していないのか、それとも達観してしまったのか、嘆き悲しむ様子も無く、捨て鉢になる事もなく、日々をそれなりに楽しんでいる様子。
更には、宮城にばかり滞在する事の多かった屋敷の主人である十一がほぼ毎日帰宅するので、家人達からは好感を持って受け止められていた。
勿論、彼等には、彼女が、亡き蛍石女皇帝と総家令との間の乳母であった事も、総家令の妻であった事も、その事が元でA国へ高貴なる人質として送られて、その先で動乱に巻き込まれて、何か背信罪に問われている事も知られていた。
しかし、表立ってそれを問う者も居ない。
さり気なく、気遣いという名前の監視で守られている事も残雪は気付いていた。
残雪が、花鶏にそっと耳打ちした。
「・・・フィンにね、ママとお姉ちゃんは生きてるって伝えて。あとは誰にも言わないで」
花鶏は、礼も忘れて残雪に抱きついた。
あの異国の友人がどれだけ喜ぶ事だろう。
「・・・雪様、また来ます。必ず」
残雪は子供の時のように花鶏と手を繋いで玄関先まで見送った。
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