第17話 神の目を盗む

文字数 3,615文字

 呆れた事だ。
十一(じゅういち)が改めて、離宮の様子を眺めた。
離宮というのは本来、皇帝やその家族の静養の目的で作られたものだ。
その機密性から如何わしい事に使われた事も無いとは言えないが。
ここは、子供達が小さな小川のある庭で遊び回り、その中には女皇帝までいる始末。
水遊びはお腹が空くからと残雪(ざんせつ)が軽食を超えた食事をたっぷり用意していた。
残雪(ざんせつ)十一(じゅういち)から受け取った紙袋を覗きこんだ。
赤と緑が同じ数づつの大きなりんご飴が入っていた。
「ありがとう、おチビちゃん達が喜ぶわ。弾ける飴もかけてある。最高ね!」
十一(じゅういち)神殿(オリュンポス)の参道にある屋台で買って来てと頼んでいたのだ。
特に数は指定はしなかったが、子供達が喧嘩にならないまでも不公平が出ないようにという十一(じゅういち)の配慮を残雪(ざんせつ)は感心した。
花鶏(あとり)を見つけ出し、神殿(オリュンポス)に連れ出し、保護していてくれたのは十一(じゅういち)なのだ。
王族と縁のある彼ならばそれほど角も立つまいと言う事での五位鷺(ごいさぎ)の人選だ。
十一(じゅういち)神殿(オリュンポス)から来たならお腹すいてるでしょ?今日は手巻き寿司大会にしたのよ。食べて行って」
断ろうとしたが、十一(じゅういち)はつい頷いていた。
長い潔斎明けでの寿司はあまりに魅力的。
残雪は赤いりんご飴を齧りながら話し始めた。
「そう言えばね、私、小学校の遠足で神殿(オリュンポス)に行ったのね。行楽シーズンは観光客すごいじゃない?人混みでクラスの皆とはぐれちゃって。しょうがないから、出店のクレープとかりんご飴とか買って食べながら歩ってたの」
五位鷺(ごいさぎ)は楽しそうに聞いているが、十一(じゅういち)はこんな勝手な児童の引率かと教員が気の毒になった。
「そしたら湖みたいなとこに出てね。お花がいっぱい咲いてて。楽しくなって遊んでたら、スタッフの男の人みたいのが、こりゃ困った、早く戻んなさいって道教えてくれてね。戻ったら先生に怒られたのよ。うちに帰って話したらまた怒られて。もうさんざん。不思議なのは秋の遠足なのに、桜の花が満開だったの」
残雪(ざんせつ)が話す程に、なぜか五位鷺(ごいさぎ)十一(じゅういち)が無言になって行く。
「でもね、皆、そんなところないって言うの。確かに案内看板にもパンフレットにも無いし。私、隣の人のおうちの敷地にでも入っちゃったのかな」
残雪(ざんせつ)はりんご飴を(かじ)って食べてしまうと立ち上がった。
十一(じゅういち)、おチビちゃん達が後でお礼を言いに来ると思うから、抱っこしてあげてね」
残雪(ざんせつ)が言いながら、窓から庭の子供達に手を振ってから、子供達の所へと紙袋を持って部屋を出て行った。
残された家令二人の顔色が少々悪くなっていた。
「・・・神様に取られるところだったか」
五位鷺(ごいさぎ)がため息をついた。
家令でも無いのに、神殿(オリュンポス)の奥の院に辿り着いてしまったら、一生を神官として過ごさなければならない。
不謹慎な表現であるそのスタッフというのは、神官として仕えていた家令の誰かだろう。
導かれたのがある程度の年齢であれば、よし来た新人!と言うところだが、それがさすがに小学生では困惑したろう。
彼は神の目を盗んで、残雪(ざんせつ)をうまい事返してくれたという事だ。
「その頃、神殿(オリュンポス)にいらしたのは、瑠璃鶫(るりつぐみ)兄上だな」
瑠璃鶫(るりつぐみ)十一(じゅういち)の父に当たる。
「貴重な神官見習いを失ったとも言えるが。・・・俺も蛍石(ほたるいし)様も感謝申し上げなくてはな。でなければこうはならなかったもの」
五位鷺(ごいさぎ)は、心からほっとしたように言うが、果たしてそれが良かったのかどうか、十一(じゅういち)には判断がつかないけれど。
この兄弟弟子(きょうだいでし)が、神の目を盗んで手に入れた今ここにある幸福を喜ぶのなら、それでいいとも思う。
しかし、あの残雪(ざんせつ)とは、思うよりも変わらないもんだなと十一(じゅういち)は首を傾げたい気分だ。
仮にも総家令夫人、更に皇帝の愛し子の乳母となればもうちょっとそれらしくなってもいいものだが。
家令(かれい)の子を集めて、毎日呑気に過ごしているらしい。
本来、宮城で家令見習いとして働き、酸いも甘いも海千山千、いずれ宮廷育ちの根性曲がりに育つはずの雛鳥達が、今や普通の健全な子供のように庭を走り回っている。
年端もいかぬのに、女家令よろしく自分の顔を見れば嫌味の一つも言って来る蜂鳥(はちどり)ですら、水浴びに夢中で自分に興味は無いようだ。
窓の向こうでは、残雪(ざんせつ)から子供達が嬉しそうにりんご飴を受け取っていた。
その中の一番小さな男児が不思議そうにりんご飴を見ていたが、周りの子供が食べ始めるのを確認すると、自分も小さく齧りついた。
残雪(ざんせつ)に「おいしい?」と聞かれて、満面の笑みを浮かべた。
五位鷺(ごいさぎ)十一(じゅういち)はその様子を窓から眺めていた。
「世話をかけたな。あの子は花鶏(あとり)という名前になった。・・・ほら、胸が赤い鳥。雪に、木に留まると赤いのが花のように見えるんだって言われたら、気に入ったようだ」
五位鷺(ごいさぎ)が言ったのに十一(じゅういち)が良かったと小さく返した。
新しい名前が、あの傷を忌む事や、無かったものにするのではなく、ほんの多少でもプラスの印象が加わって弟弟子が成長して行けるならばと願いたい。
「・・・ひどい有り様だったよ」
そうか、と五位鷺(ごいさぎ)は静かに頷いた。
「皇后は実家に預けていたらしいが。その先でまた出されたようでな。まともな扱いではないまま、食事も与えられずに、虐待にはならないギリギリでほぼ放置されていた」
「胸の火傷は?」
「皇后か、廃三妃の太子だろうな。自分で熱湯を浴びさせたようだ」
あんな幼児に強要したと言うのか。
五位鷺(ごいさぎ)が舌打ちした。
宮廷で起きる少なくない陰湿な加虐。
自分にも覚えがある。
「・・・廃皇后には出来ないぞ。何せ元老院長の息子だ。銀星(ぎんせい)太子が継嗣となる見通しがついた今、刺激はしない方がいい。何もするな」
そう言った十一(じゅういち)五位鷺(ごいさぎ)が、「今はな」と口だけで答えた。
女皇帝との子を正式に王太子にして、自分が王夫人となったら、見てろよ。
と言う事だ。
野心と言うにはあまりにも純粋な目的意識を前に、登り詰めて行くだろう兄弟弟子を眩しく、不安にも思う。
五位鷺(ごいさぎ)蛍石(ほたるいし)を救い出したのは間違いなくお前だ。けれど・・・」
十一(じゅういち)は、元老院の人間と宮廷に囲い込まれた小さな女皇帝を思い出していた。
今はああやって、りんご飴を初めて見たと感激した様子で恋人と笑い合っている蛍石を見ると、信じられない程。
「不安は無いか」
問われて、五位鷺(ごいさぎ)が少し考えた。
「不安。違和感。そんなもの事をやってしまえばどうでもよくなる。・・・ただ、そうだな・・・。もし、自分達がこうでなければと、考える事があるな。わずかにだけど。目が覚めてみたら、違う誰かに・・・、あー、つまり。俺が家令でなければ、蛍石(ほたるいし)が女皇帝でなければ、残雪(ざんせつ)や子供達との未来はより良いものなのではないかとか」
思いがけずの言葉に十一(じゅういち)は耳を疑った。
産まれながらの家令が、家令である自身に矛盾や疑問などは感じない。
そして、あまり未来などに過剰な期待をしない。
ただよりよい今だけを選択し、つまり損得に敏感に現在を積み上げて生きていけと言われるからだ。
そのように産まれて育ち生きて行くものだから。
「雪に言ったら、それは俺が今幸せだからだそうだ」
人は今が不幸だから未来に希望を抱くものだと思っていたが、そうとも限らないようだ。
嬉しそうに五位鷺(ごいさぎ)は言った。
「だけどな、人は幸せになる為に生きるものだけど、ただ幸せになるようには出来てないらしい。雪がそう言ってた。確かになあ。でも、まあ、となれば話は簡単。このまま行けばいい。間違ってないと言う事」
十一(じゅういち)は否定も肯定も出来ずに黙っていた。
話題を変えて、数ヶ月後に予定されたA国訪問について話した。
蛍石にとって久々の海外遠征となる。
「総家令はまた気疲れだな」
A国は、大統領制だが、そもそも多民族国家であり近年は民族独立の気運が高い。
周囲の小国とルーツが同じ者も多く、軋轢が生じているらしい。
治安が少々心配だろう。
また、会議や設宴で半月程かかる強行日程。
「まあ、往復路、鉄道一本だから、まだなんとかな」
この為に改修させたお召し列車を蛍石(ほたるいし)は喜ぶ事だろう。
「・・・そもそも王政を廃して大統領制にした国なんだけどな」
何を尊重し何を優先して国を運ぶのか。
その困難さを思うと、憂鬱になる。
残雪(ざんせつ)が心配してな」
「そうだろうな。ギルドはあちこちの国と商売をしているし、配偶者が外国人という場合も少なく無いからな。いろいろ聞こえて来るんだろう」
ギルドの情報網は驚くべきものだし、それは彼らの豊さの裏付けでもある。
その環境で育ったならば残雪(ざんせつ)もアンテナが高いであろうしその思想にも危険にも詳しいだろう。
彼女が五位鷺(ごいさぎ)の妻に、蛍石(ほたるいし)の恋人になった事で、宮廷の有り様は変わった。
議会でのギルドの存在感は増すばかりだし、元老院の人間達も彼らの持つ能力を受け入れざるを得ない状況である。
当初は総家令夫人の父という事で、風当たりは強かったギルド議員長も、今や、元老院とギルド議員の良いハブとしての役割を果たしている。
五位鷺(ごいさぎ)との結婚式当日、棕梠(しゅろ)家に残雪(ざんせつ)を迎えに行った日を思い出す。
小娘の浅はかさを詰り、宮城に関わればすり潰されるかもしれないのだと花嫁を脅した事が杞憂であれば良いと十一(じゅういち)は思った。



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登場人物紹介

棕梠 佐保姫残雪《しゅろ さほひめ ざんせつ》

継室候補群のひとつであるギルド系の棕梠家の娘。

蛍石女皇帝の皇子の乳母として宮廷に上がる。

蛍石《ほたるいし》   女皇帝。


五位鷺《ごいさぎ》  蛍石女皇帝の総家令。

八角鷹《はちくま》  宮廷家令 

蓮角《れんかく》  宮廷家令・典医

蜂鳥《はちどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の娘。

駒鳥《こまどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の息子。

日雀《ひがら》   宮廷家令 

山雀《やまがら》の双子の姉。

山雀《やまがら》   宮廷家令  日雀《ひがら》の双子の妹。

海燕《うみつばめ》  宮廷家令

銀星 《ぎんせい》  蛍石と五位鷺の息子

春北斗《はるほくと》  残雪と五位鷺の娘。

橄欖《かんらん》  蛍石と正室の娘。

尾白鷲《おじろわし》 宮廷家令

東目播 十一 《ひがしめばる じゅういち》 

家令名 慈悲心鳥《じひしんちょう》。

花鶏《あとり》 宮廷家令


竜胆《りんどう》 

蛍石《ほたるいし》の正室。皇后。

楸《ひさぎ》 

蛍石《ほたるいし》の継室。 二妃。

柊《ひいらぎ》の兄。

柊《ひいらぎ》

蛍石《ほたるいし》の継室。 三妃。

楸《ひさぎ》の弟。

棕櫚 黒北風 《しゅろ くろぎた》

残雪の母

春北風《はるぎた》の双子の姉

残雪が総家令夫人となったことでギルド長になる。

棕櫚 春北風 《しゅろ はるぎた》

残雪の叔母

黒北風《くろぎた》の双子の妹



アダム・アプソロン

A国元首

ケイティ・アプソロン

アダムの妻

A国元首夫人



サマー・アプソロン

アダムとケイティの娘

フィン・アプソロン

アダムとケイティの息子

"高貴なる人質"として残雪と交換となり海外に渡る。

コリン・ゼイビア・ファーガソン

A国分析官・尉官

アダムの友人

フィンと残雪の人質交換の任を務めた。

須藤 紗和 《すとう さわ》

東目張《ひがしめばる》伯夫人

橄欖《かんらん》女皇帝の貴族達の友人の1人。

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