第53話 征服されざる眼差し
文字数 2,420文字
いつもカーテンを閉めているのに、今日は全て開け放ち、まだ肌寒いのに窓まで開いているようだ。
微風で、あちこちで書類の束が楽し気に踊っていた。
ペーパーウェイトがわりの
こうして私的なものを感じさせるようなものを仕事場に持ち込むのは今まで嫌いだったはずなのに、と不思議に思う。
「・・・
当時を知る家令からしたら荒れ果てた離宮の様子に心を痛めるばかりであったが、最近
「まさか下賜はしてくれないだろうからな。ふっかけられたよ。あのジジイ。改修費も試算より倍はかかるな」
言葉の割にどこか楽し気な様子で、
何の為に?なんて今更だ。
「・・・陛下から、結婚しないなら婚約指輪を返還しろと言われたわ」
「それが心配で来たのか。欲しいなら持っていればいい。陛下には申し上げておく」
宮廷所蔵のダイヤモンドの中でも、“征服されざる眼差し”という名前を付けれられた一級品だ。
大きさもだが、そのカッティングは見事なもので光を細かく反射して見るものを驚かせる。
そもそもは
羨ましくて。欲しくて。
「・・・そうじゃないわ」
そんな事を言いたいわけでは無く、そんな事を答えて欲しいわけではない。
どうしても確認したいことがある。だって時間がない。
でも、これが決定的になるかもしれない。
だから怖くて仕方ない。
でも、お願い、と思いながら、そっと口を開いた。
「・・・ねぇ。・・・私で我慢してよ」
本来であれば、絶対に言いたくない言葉だった。
でも、どうやったって
あの人間離れした女皇帝と、半端じゃない兄弟子に愛されたのも驚きなのに、あの女性はその倍愛した。
子供達を守り、更には、夫と恋人が命を落とした場所に行く為に、真冬の嵐の中、単騎で国境破りをして、復讐の為にまたしても仇の国へと乗り込んだ。鉄砲一本持ち込んで。
なんて無茶苦茶なんだろう。
そんな女、好きにならない方が無理というもの。
でも、それでも。
百歩譲って、情けないけど、もっと譲っても。
自分を選んで欲しかった。
「・・・お前が望むならば。その指輪は持っていればいい。どうなるかはまだ未定だけど、お前が伯爵夫人となる運びならばそれでもいい。肩書きが便利な事もあるだろう」
これが妥協点か。
彼はここまで譲歩して、自分にいい条件を与えるのか。
今や、“
今更家令になるなど、あまりに非現実的。
ならば、彼女は、やはり
自分を伯爵夫人にしてもいいと言うのは、おそらくかなり確証があるからだろう。
正式な夫人ではなくとも、
提案というより、もはや脅しに近い。
どちらにしても、彼は
女家令は宮廷の人間には決して見せないような不安そうな顔をして口を開いた。
「・・・ねえ。
勿論、自分が望んだ事であり、意図してそう振る舞ったけれど、
自分がよくやる、憎らしいあまりの当て付けとか、意趣返しではない。
この兄弟子を少しでも驚かせて、何と言うか聞いてみたかった。
しかし、
「・・・知ってたよ。大変だったろう」
自分を労る言葉に女家令は少しだけ喜びを浮かべたが、すぐに絶望に叩き込まれた。
「でも、まあ、どっちでも一緒だろ」
「実際、そう変わらないだろ。家令の役割として。・・・皇帝だってそうじゃないか?」
何と冷たい言葉だろう。
「・・・廃太子様を擁立させるように動いてるのは
「さてね。でも、その方がいいんじゃないか?相変わらず総家令に報いもしない女皇帝は義務も果たせずこのままでは辛いだけだろう」
誰がこんな状況を喜ぶと言うのだ。
ちょっと考えればわかるだろ。
「それに。俺は、陛下の
この人は。
女皇帝から最も信頼され愛されているこの人は、そう思いながらずっと彼女の一番近くに仕えていたと言う事か。
そうすればそうするほどに彼女の孤立はいっそう深まって行った。
それを分かっていて、やっていたのか。
まるで、兄のように、いや、長年の恋人のように尽くしていたではないか。
ああ、一番囚われているのはこの人だ。
自分の中の奥底で、長い間大切に抱えてた雛鳥を自分の手で殺してしまったような気分で、悲しくて仕方ない。
けれど、と家令としての自分がまた解き放たれたようでもあった。
このままでは、終われない。