第53話 征服されざる眼差し

文字数 2,420文字

 日雀(ひがら)が宮城の兄弟子の部屋を訪れていた。
いつもカーテンを閉めているのに、今日は全て開け放ち、まだ肌寒いのに窓まで開いているようだ。
微風で、あちこちで書類の束が楽し気に踊っていた。
ペーパーウェイトがわりの雛芥子(ひなげし)のデザインのタイルや、おかしな木彫りのカエルが書類の上に乗せられていた。
こうして私的なものを感じさせるようなものを仕事場に持ち込むのは今まで嫌いだったはずなのに、と不思議に思う。
「・・・十一(じゅういち)お兄様、離宮を買うの?」
日雀(ひがら)は耳にしたばかりの話を確認した。
蛍石(ほたるいし)五位鷺(ごいさぎ)、そして残雪(ざんせつ)達が過ごした離宮は、現在皇太后の持ち物になっていたが、立地が不便であり、趣味に合わないとしてほぼ放置されていた。
当時を知る家令からしたら荒れ果てた離宮の様子に心を痛めるばかりであったが、最近十一(じゅういち)が皇太后の代理人と離宮の譲渡について話していると聞いたのだ。
「まさか下賜はしてくれないだろうからな。ふっかけられたよ。あのジジイ。改修費も試算より倍はかかるな」
言葉の割にどこか楽し気な様子で、十一(じゅういち)は言った。
何の為に?なんて今更だ。
残雪(ざんせつ)の為だ。彼女と暮らす為。
十一(じゅういち)は過去を再構築しようというのか。
日雀(ひがら)(うつむ)いたまま口を開いた。
「・・・陛下から、結婚しないなら婚約指輪を返還しろと言われたわ」
「それが心配で来たのか。欲しいなら持っていればいい。陛下には申し上げておく」
宮廷所蔵のダイヤモンドの中でも、“征服されざる眼差し”という名前を付けれられた一級品だ。
大きさもだが、そのカッティングは見事なもので光を細かく反射して見るものを驚かせる。
そもそもは十一(じゅういち)が最初の結婚をした際に、橄欖(かんらん)女皇帝が下賜したもので、離婚した元妻がなかなか返却しないでいるのを、日雀(ひがら)が分捕って来たものだ。
羨ましくて。欲しくて。
「・・・そうじゃないわ」
そんな事を言いたいわけでは無く、そんな事を答えて欲しいわけではない。
どうしても確認したいことがある。だって時間がない。
でも、これが決定的になるかもしれない。
だから怖くて仕方ない。
でも、お願い、と思いながら、そっと口を開いた。
「・・・ねぇ。・・・私で我慢してよ」
本来であれば、絶対に言いたくない言葉だった。
でも、どうやったって残雪(ざんせつ)には敵わない。
あの人間離れした女皇帝と、半端じゃない兄弟子に愛されたのも驚きなのに、あの女性はその倍愛した。
子供達を守り、更には、夫と恋人が命を落とした場所に行く為に、真冬の嵐の中、単騎で国境破りをして、復讐の為にまたしても仇の国へと乗り込んだ。鉄砲一本持ち込んで。
なんて無茶苦茶なんだろう。
そんな女、好きにならない方が無理というもの。
でも、それでも。
百歩譲って、情けないけど、もっと譲っても。
自分を選んで欲しかった。
十一(じゅういち)は少し考えて、妥協点を提示した。
「・・・お前が望むならば。その指輪は持っていればいい。どうなるかはまだ未定だけど、お前が伯爵夫人となる運びならばそれでもいい。肩書きが便利な事もあるだろう」
これが妥協点か。
彼はここまで譲歩して、自分にいい条件を与えるのか。
残雪(ざんせつ)との為に。
日雀(ひがら)は泣き出しそうになるのをぐっと堪えた。
今や、“温室(オランジュリー)の薔薇“の身の上である残雪(ざんせつ)は、このままでは間も無く宮廷裁判にかけられて、真偽の程も定かではない凡例を引き合いに出され、一方的な裁きに合い命を落とすだろう。
十一(じゅういち)が考えた出したのは、家令になるか、自分と結婚するか。
今更家令になるなど、あまりに非現実的。
ならば、彼女は、やはり十一(じゅういち)と結婚、もしくはそれに近い状態になるしかない。
自分を伯爵夫人にしてもいいと言うのは、おそらくかなり確証があるからだろう。
残雪(ざんせつ)はさすがに(わかった)と言わざるを得ないだろうから。
残雪(ざんせつ)が断罪されて死ねば、棕櫚(しゅろ)家はお取り潰し、ひいては銀星(ぎんせい)春北斗(はるほくと)の身の保証もない。
正式な夫人ではなくとも、残雪(ざんせつ)十一(じゅういち)の提案を断るのはあまりにリスキーだ。
提案というより、もはや脅しに近い。
どちらにしても、彼は残雪(ざんせつ)を離さないだろう。
女家令は宮廷の人間には決して見せないような不安そうな顔をして口を開いた。
「・・・ねえ。十一(じゅういち)お兄様、・・・私、日雀(ひがら)じゃないの。あの時、死んだのが日雀(ひがら)なの。・・・私は山雀(やまがら)
勿論、自分が望んだ事であり、意図してそう振る舞ったけれど、残雪(ざんせつ)以外は気付かなかった。
自分がよくやる、憎らしいあまりの当て付けとか、意趣返しではない。
この兄弟子を少しでも驚かせて、何と言うか聞いてみたかった。
しかし、十一(じゅういち)は頷いたのだ。
「・・・知ってたよ。大変だったろう」
自分を労る言葉に女家令は少しだけ喜びを浮かべたが、すぐに絶望に叩き込まれた。
「でも、まあ、どっちでも一緒だろ」
十一(じゅういち)が、そう視線を投げて寄越した。
「実際、そう変わらないだろ。家令の役割として。・・・皇帝だってそうじゃないか?」
山雀(やまがら)は震えそうになった。
何と冷たい言葉だろう。
「・・・廃太子様を擁立させるように動いてるのは十一(じゅういち)お兄様?」
「さてね。でも、その方がいいんじゃないか?相変わらず総家令に報いもしない女皇帝は義務も果たせずこのままでは辛いだけだろう」
誰がこんな状況を喜ぶと言うのだ。
ちょっと考えればわかるだろ。
「それに。俺は、陛下の蛍石(ほたるいし)五位鷺(ごいさぎ)残雪(ざんせつ)への仕打ちも忘れてない」
十一(じゅういち)はそう言った。
この人は。
女皇帝から最も信頼され愛されているこの人は、そう思いながらずっと彼女の一番近くに仕えていたと言う事か。
橄欖(かんらん)は、総家令の海燕(うみつばめ)すら押しのけて、十一(じゅういち)を重用した。
そうすればそうするほどに彼女の孤立はいっそう深まって行った。
それを分かっていて、やっていたのか。
まるで、兄のように、いや、長年の恋人のように尽くしていたではないか。
ああ、一番囚われているのはこの人だ。
山雀(やまがら)は、小さくため息をついた。
自分の中の奥底で、長い間大切に抱えてた雛鳥を自分の手で殺してしまったような気分で、悲しくて仕方ない。
けれど、と家令としての自分がまた解き放たれたようでもあった。
このままでは、終われない。








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登場人物紹介

棕梠 佐保姫残雪《しゅろ さほひめ ざんせつ》

継室候補群のひとつであるギルド系の棕梠家の娘。

蛍石女皇帝の皇子の乳母として宮廷に上がる。

蛍石《ほたるいし》   女皇帝。


五位鷺《ごいさぎ》  蛍石女皇帝の総家令。

八角鷹《はちくま》  宮廷家令 

蓮角《れんかく》  宮廷家令・典医

蜂鳥《はちどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の娘。

駒鳥《こまどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の息子。

日雀《ひがら》   宮廷家令 

山雀《やまがら》の双子の姉。

山雀《やまがら》   宮廷家令  日雀《ひがら》の双子の妹。

海燕《うみつばめ》  宮廷家令

銀星 《ぎんせい》  蛍石と五位鷺の息子

春北斗《はるほくと》  残雪と五位鷺の娘。

橄欖《かんらん》  蛍石と正室の娘。

尾白鷲《おじろわし》 宮廷家令

東目播 十一 《ひがしめばる じゅういち》 

家令名 慈悲心鳥《じひしんちょう》。

花鶏《あとり》 宮廷家令


竜胆《りんどう》 

蛍石《ほたるいし》の正室。皇后。

楸《ひさぎ》 

蛍石《ほたるいし》の継室。 二妃。

柊《ひいらぎ》の兄。

柊《ひいらぎ》

蛍石《ほたるいし》の継室。 三妃。

楸《ひさぎ》の弟。

棕櫚 黒北風 《しゅろ くろぎた》

残雪の母

春北風《はるぎた》の双子の姉

残雪が総家令夫人となったことでギルド長になる。

棕櫚 春北風 《しゅろ はるぎた》

残雪の叔母

黒北風《くろぎた》の双子の妹



アダム・アプソロン

A国元首

ケイティ・アプソロン

アダムの妻

A国元首夫人



サマー・アプソロン

アダムとケイティの娘

フィン・アプソロン

アダムとケイティの息子

"高貴なる人質"として残雪と交換となり海外に渡る。

コリン・ゼイビア・ファーガソン

A国分析官・尉官

アダムの友人

フィンと残雪の人質交換の任を務めた。

須藤 紗和 《すとう さわ》

東目張《ひがしめばる》伯夫人

橄欖《かんらん》女皇帝の貴族達の友人の1人。

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