第1話 人魚姫

文字数 2,563文字

 女皇帝であり、主であり恋人でもある蛍石(ほたるいし)が「私、欲しいものがある」と、言い出した。
欲深く飽きっぽく気まぐれな彼女がまた何か欲しがっている。
毎回降ってわく面倒な事ではあるが、しかし、その願いを叶えねばなるまい。
五位鷺(ごいさぎ)はベッドから先に出ると、女皇帝を見つめて先を促した。
恋人は美酒に酔ったように瞳を潤ませ輝かせ、とでも言えば良いのかもしれないが、五位鷺(ごいさぎ)からしたら、目を爛々(らんらん)とさせ鼻息荒く興奮している、の方が相応しいと思う。
猫が動く獲物に一瞬夢中になるあの状況だ。
主のこういう有様は何度も経験があるから、よく分かる。
蛍石(ほたるいし)が半身を起こして微笑んだ。
叶えられるのが当然という顔。
五位鷺(ごいさぎ)は女皇帝の白く華奢な肩にガウンを羽織らせた。
「ねぇ、お前、人魚姫って知ってる?」
「トドとかセイウチとかではなく?本当にいるんですか?」
まさかそれを捕獲して来いとでも言うのだろうか。
「無知ね。いるわけないじゃない」
「はあ」
主人によると、その人魚の姫君がある日嵐の夜に船が難破して海に投げ出された王子を助けたという物語があるらしい。
「私にも同じ事が起こったの。お前、これは大変なことよ。物語の王子はそれは恩知らずで愚かで甲斐性無しだったけれど、私はそうではないのだから」
つまり、夏の静養(バカンス)で離宮を訪れた際、嵐の日に近くの海で命を助けられたらしいのだ。
「ああ」
思い当たった。
静養中、蛍石(ほたるいし)が家令の尾白鷲(おじろわし)を連れて離宮から居なくなったのだ。
あの日、五位鷺と蛍石は瑣末(さまつ)なことで言い合いになり、彼女は離宮を飛び出してしまったのだ。
あの時は台風が通過中の大荒れの日で、大いに慌てた。
なるほど、その時に誰かに助けられたと言う事か。
くだらない喧嘩をしたばかりに面倒な仕事と恋敵が増えた、と五位鷺(ごいさぎ)は少しだけ腹が立った。
「大体、嵐の日になんで海になんぞ行ったんですか」
「高潮波浪注意報が出てたの。どんなものなのか見に行ったのよ」
そういうのが困るんだ。
「波打ち際で波に足を取られそうになったら、颯爽と現れて助けてくれたの。爽やかな方だったわ。私達、見つめ合ってお互いを確信したの」
うっとりと言う。
「で?その人物が気に入った訳ですか?」
「話は命の恩人よ?運命的な出会いよ?ひとを多情みたいに言わないでちょうだい!」
蛍石は五位鷺(ごいさぎ)にクッションを投げつけた。
五位鷺(ごいさぎ)は腹にぶつかって床に転がったクッションを拾い上げた。
継室候補群の人間なら速やかに継室に、そうでないなら公式寵姫にすればいいだけ。
どうせこの女皇帝の事だ。
手に入れてしまえばすぐ飽きて放り出す。
「どこの誰ですか?」
蛍石はにっこりと微笑んだ。
尾白鷲(おじろわし)に調べさせたら、棕櫚(しゅろ)家の人間だとわかったの」
姉弟子から自分に何も報告が無かったが、ここ最近なんだか楽し気だったのを思い出した。
女皇帝の企みの片棒を担いでいたからか。
「ああ、でしたら話が早い。棕櫚(しゅろ)家ですね。確かにあの辺りに別荘がある」
継室候補群十一家のひとつだ。
五位鷺(ごいさぎ)は、弟弟子の海燕(うみつばめ)を呼びつけると総家令執務室から名簿を持って来させた。
分厚い冊子をめくる。
継室候補群の全ての家系図や動向が記載されている、言わば内申書。
棕櫚(しゅろ)家の今の当主は、棕櫚(しゅろ)黒北風(くろぎた)春北風(はるぎた)。あまり宮廷に上がりませんし、貢献度ははっきり言って低いですし、多産系でもないけど、まあ、いいです」
女皇帝にはすでに正室との間に公主が一人、継室との間に皇子と皇女が一人づついる。
今更、男継室が一人増えたからと言って、特に問題も無い。
しかし、五位鷺(ごいさぎ)は違和感を得て、棕櫚(しゅろ)家の家系図や身上書を再び確認した。
「あの、蛍石(ほたるいし)様。登録籍には適当な男性は当主の夫しかおりませんが、当主の夫を略奪は勘弁してくださいよ?夫は棕櫚黒北風(しゅろくろぎた)の婿だからお門違いですからね?」
「嫌ね、分かってるわよ。違うわよ」
「では、まさか、前当主、このジジイですか?!」
「はあ?!会ったこともないわよ!」
「・・・いや、式典で会ったことはあるはずです」
「そう?ちょっとそれ見せて」
名簿をよこせと手招く。
「重いわね!ええとね、残雪(ざんせつ)と言うのよ。本当はもっと長い名前なのですって。佐保姫残雪(さほひめざんせつ)。これよこれ!」
名簿に目当ての名前を見つけてウキウキと言う。
五位鷺(ごいさぎ)はため息をついた。
「これ、女子ですよ?」
「おばあさまの総家令は女だったし、恋人もいたわ」
「そうですね。水晶(すいしょう)女皇帝陛下の総家令は鶺鴒(せきれい)姉上でしたからね。確かに女官の恋人もいらした。でも、こちらは継室候補群です。それ以下でも以上でもない」
「いいじゃない。継室にして」
「同性では無理です」
「じゃあ、公式寵姫」
「無理」
「じゃ、どうすりゃいいのよ!!」
蛍石が声を荒げた。
「好きに人も物も置けないなんて。私は王様よ!?お前なんかともう喋らないわ、この無能!」
すっかりご機嫌を損ねてしまった。
彼女はベッドから出ると寝室を出て、海燕(うみつばめ)に私室のドアを開けさせて、五位鷺(ごいさぎ)に早く出て行けと怒鳴った。
五位鷺(ごいさぎ)はため息をついた。
「・・・どうしてもお側に起きたいと仰るなら2つ方法があります」
「さすが!なあに?」
蛍石はぱっと顔を輝かせ「出て行けと言ってごめんなさい」と言いながら五位鷺(ごいさぎ)の腕に手を伸ばした。
「ひとつは、家令になって頂く」
蛍石の顔が曇った。
「家令がいくら人手不足でもそりゃないわよ。私のじゃなく家令としての人員確保になっちゃうじゃない。家令にしたら一生家令。私のことなんてどうでも良くなっちゃうかもしれないわ。それは嫌」
今にも泣き出しそうだ。
やっぱり出て行けと海燕(うみつばめ)にまたドアを開けろと命令する。
気の毒に海燕(うみつばめ)はすっかり困惑していた。
目を潤ませる蛍石に五位鷺(ごいさぎ)はそんなにか、と頭を抱える気持ちなのが半分、愛しさが込み上げるのも半分。
「・・・では、陛下。陛下にも体を張って頂きます」
五位鷺(ごいさぎ)蛍石(ほたるいし)に囁いた。
「まあ、なあに?」
その内容の意外さに女皇帝は呆れた。
「お前、今更、野心?」
「まさか。愛ゆえに」
答えに蛍石が笑った。
「そうね。いいでしょう。じゃ、まずは」
蛍石は宮城所蔵の宝物(ほうもつ)品の目録を開いて、目も眩まんばかりの宝飾品のページを指差した。
「うん、コレにしよう。真珠のネックレス。お前はこのオパール持って行きなさいね」
どちらも美術館レベルだ。
「うまくやってちょうだい」
「・・・うまく行かなかったら?」
「うまく行くまで、戻ってこないで!」
蛍石が念を押した。
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登場人物紹介

棕梠 佐保姫残雪《しゅろ さほひめ ざんせつ》

継室候補群のひとつであるギルド系の棕梠家の娘。

蛍石女皇帝の皇子の乳母として宮廷に上がる。

蛍石《ほたるいし》   女皇帝。


五位鷺《ごいさぎ》  蛍石女皇帝の総家令。

八角鷹《はちくま》  宮廷家令 

蓮角《れんかく》  宮廷家令・典医

蜂鳥《はちどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の娘。

駒鳥《こまどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の息子。

日雀《ひがら》   宮廷家令 

山雀《やまがら》の双子の姉。

山雀《やまがら》   宮廷家令  日雀《ひがら》の双子の妹。

海燕《うみつばめ》  宮廷家令

銀星 《ぎんせい》  蛍石と五位鷺の息子

春北斗《はるほくと》  残雪と五位鷺の娘。

橄欖《かんらん》  蛍石と正室の娘。

尾白鷲《おじろわし》 宮廷家令

東目播 十一 《ひがしめばる じゅういち》 

家令名 慈悲心鳥《じひしんちょう》。

花鶏《あとり》 宮廷家令


竜胆《りんどう》 

蛍石《ほたるいし》の正室。皇后。

楸《ひさぎ》 

蛍石《ほたるいし》の継室。 二妃。

柊《ひいらぎ》の兄。

柊《ひいらぎ》

蛍石《ほたるいし》の継室。 三妃。

楸《ひさぎ》の弟。

棕櫚 黒北風 《しゅろ くろぎた》

残雪の母

春北風《はるぎた》の双子の姉

残雪が総家令夫人となったことでギルド長になる。

棕櫚 春北風 《しゅろ はるぎた》

残雪の叔母

黒北風《くろぎた》の双子の妹



アダム・アプソロン

A国元首

ケイティ・アプソロン

アダムの妻

A国元首夫人



サマー・アプソロン

アダムとケイティの娘

フィン・アプソロン

アダムとケイティの息子

"高貴なる人質"として残雪と交換となり海外に渡る。

コリン・ゼイビア・ファーガソン

A国分析官・尉官

アダムの友人

フィンと残雪の人質交換の任を務めた。

須藤 紗和 《すとう さわ》

東目張《ひがしめばる》伯夫人

橄欖《かんらん》女皇帝の貴族達の友人の1人。

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