第1話 人魚姫
文字数 2,563文字
欲深く飽きっぽく気まぐれな彼女がまた何か欲しがっている。
毎回降ってわく面倒な事ではあるが、しかし、その願いを叶えねばなるまい。
恋人は美酒に酔ったように瞳を潤ませ輝かせ、とでも言えば良いのかもしれないが、
猫が動く獲物に一瞬夢中になるあの状況だ。
主のこういう有様は何度も経験があるから、よく分かる。
叶えられるのが当然という顔。
「ねぇ、お前、人魚姫って知ってる?」
「トドとかセイウチとかではなく?本当にいるんですか?」
まさかそれを捕獲して来いとでも言うのだろうか。
「無知ね。いるわけないじゃない」
「はあ」
主人によると、その人魚の姫君がある日嵐の夜に船が難破して海に投げ出された王子を助けたという物語があるらしい。
「私にも同じ事が起こったの。お前、これは大変なことよ。物語の王子はそれは恩知らずで愚かで甲斐性無しだったけれど、私はそうではないのだから」
つまり、夏の
「ああ」
思い当たった。
静養中、
あの日、五位鷺と蛍石は
あの時は台風が通過中の大荒れの日で、大いに慌てた。
なるほど、その時に誰かに助けられたと言う事か。
くだらない喧嘩をしたばかりに面倒な仕事と恋敵が増えた、と
「大体、嵐の日になんで海になんぞ行ったんですか」
「高潮波浪注意報が出てたの。どんなものなのか見に行ったのよ」
そういうのが困るんだ。
「波打ち際で波に足を取られそうになったら、颯爽と現れて助けてくれたの。爽やかな方だったわ。私達、見つめ合ってお互いを確信したの」
うっとりと言う。
「で?その人物が気に入った訳ですか?」
「話は命の恩人よ?運命的な出会いよ?ひとを多情みたいに言わないでちょうだい!」
蛍石は
継室候補群の人間なら速やかに継室に、そうでないなら公式寵姫にすればいいだけ。
どうせこの女皇帝の事だ。
手に入れてしまえばすぐ飽きて放り出す。
「どこの誰ですか?」
蛍石はにっこりと微笑んだ。
「
姉弟子から自分に何も報告が無かったが、ここ最近なんだか楽し気だったのを思い出した。
女皇帝の企みの片棒を担いでいたからか。
「ああ、でしたら話が早い。
継室候補群十一家のひとつだ。
分厚い冊子をめくる。
継室候補群の全ての家系図や動向が記載されている、言わば内申書。
「
女皇帝にはすでに正室との間に公主が一人、継室との間に皇子と皇女が一人づついる。
今更、男継室が一人増えたからと言って、特に問題も無い。
しかし、
「あの、
「嫌ね、分かってるわよ。違うわよ」
「では、まさか、前当主、このジジイですか?!」
「はあ?!会ったこともないわよ!」
「・・・いや、式典で会ったことはあるはずです」
「そう?ちょっとそれ見せて」
名簿をよこせと手招く。
「重いわね!ええとね、
名簿に目当ての名前を見つけてウキウキと言う。
「これ、女子ですよ?」
「おばあさまの総家令は女だったし、恋人もいたわ」
「そうですね。
「いいじゃない。継室にして」
「同性では無理です」
「じゃあ、公式寵姫」
「無理」
「じゃ、どうすりゃいいのよ!!」
蛍石が声を荒げた。
「好きに人も物も置けないなんて。私は王様よ!?お前なんかともう喋らないわ、この無能!」
すっかりご機嫌を損ねてしまった。
彼女はベッドから出ると寝室を出て、
「・・・どうしてもお側に起きたいと仰るなら2つ方法があります」
「さすが!なあに?」
蛍石はぱっと顔を輝かせ「出て行けと言ってごめんなさい」と言いながら
「ひとつは、家令になって頂く」
蛍石の顔が曇った。
「家令がいくら人手不足でもそりゃないわよ。私のじゃなく家令としての人員確保になっちゃうじゃない。家令にしたら一生家令。私のことなんてどうでも良くなっちゃうかもしれないわ。それは嫌」
今にも泣き出しそうだ。
やっぱり出て行けと
気の毒に
目を潤ませる蛍石に
「・・・では、陛下。陛下にも体を張って頂きます」
「まあ、なあに?」
その内容の意外さに女皇帝は呆れた。
「お前、今更、野心?」
「まさか。愛ゆえに」
答えに蛍石が笑った。
「そうね。いいでしょう。じゃ、まずは」
蛍石は宮城所蔵の
「うん、コレにしよう。真珠のネックレス。お前はこのオパール持って行きなさいね」
どちらも美術館レベルだ。
「うまくやってちょうだい」
「・・・うまく行かなかったら?」
「うまく行くまで、戻ってこないで!」
蛍石が念を押した。