第4話 夜行性の鳥

文字数 2,941文字

 食欲が無いわ、気分が優れないわ、目も良く見えなくなってきた、病気になったのよ。
とすっかりしょげ返った蛍石(ほたるいし)に、五位鷺(ごいさぎ)はため息をついた。
尾白鷲(おじろわし)が手付かずの食事に目を落とした。
蛍石(ほたるいし)様、すっかり気落ちされて・・・」
そもそもこの姉弟子にも責任がある。
「姉上、なんであんな台風の日に蛍石(ほたるいし)様を岸壁になんか連れて行ったんですか・・・」
「高波がどれほどのものか見たいって、ちょっと目を離したら車から飛び出して行ったのよ。そもそもアンタが言い争いをしたからでしょ。原因はアンタよ」
はあ、と五位鷺(ごいさぎ)がため息をついた。
「いつも以上に公務も内務もお勤めだけど。私室(お部屋)にお戻りだとあの有様。お食事もまともになさらない。ずっとお眠りも浅いのよ?・・・もう1週間よ?」
食べたくない、眠れない。
女皇帝はすっかり憔悴(しょうすい)してしまった。
「やっぱり蓮角(れんかく)に点滴して貰いましょうよ」
典医の蓮角(れんかく)は夫である八角鷹(はちくま)から棕櫚(しゅろ)家での顛末を詳しく聞いたのだろう。
蛍石(ほたるいし)残雪(ざんせつ)の温度差は二人の距離どころか共通感情等存在などしていないレベルだ。
「・・・本人が嫌だって言ってる。水と塩飴でも置いて置けばまあ大丈夫でしょう」
特に五位鷺(ごいさぎ)が私室に入ろうものなら、そこら中のものが投げつけられて飛んで来る。
昨日は勢いよく大きな赤い牛の置物が頭にぶつかって、額にでかいたんこぶが出来た。
「・・・蛍石(ほたるいし)様、お気の毒だわ」
弟弟子を責める口調で姉弟子が呟いた。
五位鷺(ごいさぎ)は居た堪れずに部屋を出て言った。

 こっちが気の毒すぎるだろ!!
来ないはずの台風がガクンと直角に曲がり、直撃した。
蛍石(ほたるいし)はいよいよ弱って、自分は姉弟子からはきつく当たられ、弟弟子から冷たい視線、妹弟子から痛い言葉を投げつけられる始末。
「お前はなんて薄情な家令なんでしょう。皇帝陛下に害を為すなんてもはや背信罪よ。亡き鶺鴒(せきれい)お姉様が知ったらタダじゃすまないわ」
五位鷺(ごいさぎ)兄上、このままでは蛍石(ほたるいし)様、本当に病気になりますよ?複雑なお気持ちはわかりますが、なんとかしてさしあげては?」
五位鷺(ごいさぎ)お兄様、最低」
などと言われ放題だ。
その上、当の蛍石からは、いまだ花瓶や本を投げつけられる。
横殴りの風雨の中、五位鷺(ごいさぎ)棕櫚(しゅろ)家へと向かっていた。
見た目重視で買った車高の低い輸入車は、今や半分ほど水に浸かっている。
「あ!水入ってきた!嘘だろ、もう!」
ついに車内に浸水し、このまま水嵩(みずかさ)が上がれば水圧でドアが開かなくなり閉じ込められると、五位鷺(ごいさぎ)は仕方なくドアを開けた。
ザブザブ水が入ってくる。
蛍石(ほたるいし)様に請求してやる!あー、その前に死ぬかもー」
どこからが海でどこからが道なのかわからない中、歩き出した。


「こんな台風の日に、変わってるー。やっぱり夜行性だから夜来たの?」
残雪(ざんせつ)にそう言われても、言い返す事も出来ない。
夜間ずぶ濡れで現れ、玄関先に(たたず)五位鷺(ごいさぎ)は、棕櫚(しゅろ)家の人間からは、かなり変人という目で見られていた。
五位鷺(ごいさぎ)さん、お風呂どうぞ。うち、温泉ですし、それにも効くかも」
黒北風(くろぎた)から気の毒そうに額の腫れ上がったタンコブを見上げられる。
「・・・いや、大丈夫です」
タオルを出して貰い、拭いたからだいぶいい。
「でも、ベタベタよ?磯臭いし。浜に落ちてるワカメみたいな臭いする」
「雪ちゃん、内陸の人はわからないのよ。沿岸の台風って水かぶるとだいぶ海水なのよね」
「車もきっと廃車ね。・・・あの車、バカみたいに高いのよ?性能は普通以下。特に塩水(えんすい)に弱い」
春北風(はるぎた)も言った。
「えー、勿体無い!そんなポンコツ、わざわざ誰が買うの?」
だから、こういう人よ、と春北風(はるぎた)五位鷺(ごいさぎ)を見た。
ここの家もだいぶ言葉に忖度(そんたく)が無い。
「・・・何ぶん、台風の日に海にいることがなかったもので」
ありがたく風呂を使わせて頂くことにした。
落ちつき、お軽食でもとやたらうまい蕎麦(そば)が出て来た。
春北風(はるぎた)が趣味で打つ蕎麦らしい。
「で?何しに来たの?なんで何回も来るの?」
と自分も2回目の夕食となる蕎麦を食べながら残雪が尋ねた。
「はあ。もう、こうなってみては、申し上げます。お願いに参りました。陛下が残雪(ざんせつ)様にお会いしたいと仰っておりまして。陛下は、その、今、伏せっておられるんです」
「まあ、ご体調お悪いの?」
双子が顔を見合わせた。
「ここ1週間程、食事も召し上がらず、お眠りにもならずにおられます」
「大変。それ大病じゃないの」
「お城には優秀なご典医がいらっしゃるし、あなたという方がおられるんだから、まあ大丈夫でしょうけど」
その典医は、いよいよになったら点滴ね、だし、自分は、水と塩飴という手段の無さだが。
「静養として離宮に移られるタイミングで、一度いらして頂けませんか」
うーん、と残雪は頷いた。
「正直な話ね、何から何までよくわかんないけど。あなた、変わってるんじゃなくて、大切な方の為に一生懸命なのね。じゃあ、お見舞いに行こっかな」
「・・・ありがとうございます!!」
五位鷺(ごいさぎ)は苦労が報われたと喜んだ。


 生成りの麻のワンピース姿で残雪がお辞儀をした。
「ごきげんよう、陛下。棕櫚佐保姫残雪(しゅろさほひめざんせつ)です」
やつれた蛍石が、感激し頷いた。
「えぇ。ようこそー・・・。よくいらしたわね」
言いながら、水をごくごく飲んでいる。
「まずは。先日を危ないところを、ありがとう」
「はあ、いえ、ご無事でよろしゅうございました。お怪我は召されなかったとお聞きしましたが、ご体調が優れないとのことですね」
「うん、そうなの。いきなりガックリ来てしまってね・・・」
うっとりと見つめている。
「あら。まあ、ほら、お座りなさい」
言われて、残雪(ざんせつ)は多少緊張して頷いた。
継室候補群の生まれではあるが、こうして皇帝と対面する機会などはそうない。
母と伯母によると、彼女達も遠い昔に宮城での園遊会で当時の女皇帝にお菓子を賜って、同じ顔で面白いから近くで食べなさいと言われて、近くと言う割には結構離れた席で桜餅を食べたという記憶しかないらしい。
やはり廷臣と言えども王族とは心理的にも物理的にも距離があって然るべきという事だろう。
だからこそ、皇帝と家令の距離の近さには驚く。
「それ。かわいらしいこと。星?」
胸元の紫と水色のブローチ。
「ヒトデです」
「・・・ヒトデ?」
「はい。本物のヒトデのブローチなんです」
「本物の?」
残雪はブローチを取ると、どうぞと手渡した。
「ヒトデってこういうものなの?初めて見たわ。これが、どこにいるの?」
「海の底ですよ」
「魚なのに?」
「ヒトデは魚じゃありませんから、岩にくっついてたり、底に沈んでたりするんです」
「まあ、そう」
大分おかしな会話なのだが、蛍石は嬉しそうで。
また来てくれる?と尋ねると、残雪はハイと答えた。
残雪が離宮を辞した後、しばらくソファでぼうっと幸せを噛み締めていた蛍石(ほたるいし)がはっとした。
「また来週来てくれるって。・・・いけない!私、肌もカサカサだし、髪もパサパサ!」
蛍石(ほたるいし)がはっとして尾白鷲(おじろわし)を呼びつけて、急いで美容師とエステを呼べと言った。
いきなり元気になったようでとりあえずは良かったと五位鷺(ごいさぎ)はほっとしたが、蛍石(ほたるいし)(げき)が飛んだ。
「何、ボヤッとしているの?お前もよ!あのオパールを急いで指輪にしなくちゃ!・・花!お花も注文しなさい!」
求婚(プロポーズ)には、指輪と花束が必要なんだから!と蛍石(ほたるいし)は、今までに見た事も無い程にうきうきとした様子で微笑んだ。







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登場人物紹介

棕梠 佐保姫残雪《しゅろ さほひめ ざんせつ》

継室候補群のひとつであるギルド系の棕梠家の娘。

蛍石女皇帝の皇子の乳母として宮廷に上がる。

蛍石《ほたるいし》   女皇帝。


五位鷺《ごいさぎ》  蛍石女皇帝の総家令。

八角鷹《はちくま》  宮廷家令 

蓮角《れんかく》  宮廷家令・典医

蜂鳥《はちどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の娘。

駒鳥《こまどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の息子。

日雀《ひがら》   宮廷家令 

山雀《やまがら》の双子の姉。

山雀《やまがら》   宮廷家令  日雀《ひがら》の双子の妹。

海燕《うみつばめ》  宮廷家令

銀星 《ぎんせい》  蛍石と五位鷺の息子

春北斗《はるほくと》  残雪と五位鷺の娘。

橄欖《かんらん》  蛍石と正室の娘。

尾白鷲《おじろわし》 宮廷家令

東目播 十一 《ひがしめばる じゅういち》 

家令名 慈悲心鳥《じひしんちょう》。

花鶏《あとり》 宮廷家令


竜胆《りんどう》 

蛍石《ほたるいし》の正室。皇后。

楸《ひさぎ》 

蛍石《ほたるいし》の継室。 二妃。

柊《ひいらぎ》の兄。

柊《ひいらぎ》

蛍石《ほたるいし》の継室。 三妃。

楸《ひさぎ》の弟。

棕櫚 黒北風 《しゅろ くろぎた》

残雪の母

春北風《はるぎた》の双子の姉

残雪が総家令夫人となったことでギルド長になる。

棕櫚 春北風 《しゅろ はるぎた》

残雪の叔母

黒北風《くろぎた》の双子の妹



アダム・アプソロン

A国元首

ケイティ・アプソロン

アダムの妻

A国元首夫人



サマー・アプソロン

アダムとケイティの娘

フィン・アプソロン

アダムとケイティの息子

"高貴なる人質"として残雪と交換となり海外に渡る。

コリン・ゼイビア・ファーガソン

A国分析官・尉官

アダムの友人

フィンと残雪の人質交換の任を務めた。

須藤 紗和 《すとう さわ》

東目張《ひがしめばる》伯夫人

橄欖《かんらん》女皇帝の貴族達の友人の1人。

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