第20話 春雷

文字数 2,584文字

離宮。
遠くの方で雷鳴が聞こえた。
春雷の声を聞き、春になったのだと残雪(ざんせつ)は頬を綻ばせた。
海外遠征中の蛍石(ほたるいし)から毎日のように届いた絵葉書を眺めながら、暖かくなったら何をしようかと楽しい事を考える。
五位鷺(ごいさぎ)からは週に一度必ず手紙が届いていた。
数日後には夫と恋人はきっと山のように土産を持って帰って来るだろう。
子供達は、帰って来るのが楽しみだと朝な夕なに言い合っていた。
残雪(ざんせつ)が改装させた離宮はこじんまりとしているが、目も手も行き届き暮らしやすいように作られていた。
実家の海外にある別荘に似た作りにしたくて、周りは果樹園になっている。
すぐ窓の向こうで、子供達のはしゃぐ声と水しぶきの音がする。
まだ肌寒いのに水遊びかと残雪(ざんせつ)は苦笑してため息をついた。
春北斗(はるほくと)が窓から顔を出した。
「ママ、お腹が空いた」
「春は食前食後にご飯食べるのねぇ。おにぎり作って来るから食べよっか」
頷くと、娘はまた小川に戻って行った。
子供達の頭数を数えるなら5個。
いや、まるで子グマのように食べるから15個か、と立ち上がった。
「失礼します、雪様」
静かな声で蓮角(れんかく)が入って来た。
ちょっと私、子供達に食糧あげてくるわ、と言おうとして、異変に気付いた。
いつも思慮深い家令だが、いつもより更に抑えたものを感じた。
「どうしたの」
聞きながら、ああ、と思った。
どれだ。どれだ。
事態はどう転んだ。
何でも言え、どんな悪いことでも。
そういう顔をされて、蓮角(れんかく)は多少気持ちに整理がついた。
「1時間程前に、陛下のお乗りあそばされた馬車が襲撃を受けたそうです。蛍石(ほたるいし)様の意識がありません」
どうか助かってと思いながら、同じだけの絶望感が押し寄せて来る。
五位鷺(ごいさぎ)?!
「20分前に心拍が止まりました」
残雪は苦労して呼吸しながら頷いた。
「家令は・・・?双子と、八角鷲(はちくま)は?」
随行した家令はどうなった。
山雀(やまがら)の即死が確認されました。日雀(ひがら)は肺に損傷。八角鷲(はちくま)は半身に熱傷を受けたそうです」
八角鷲(はちくま)蓮角(れんかく)の夫でもある。
残雪(ざんせつ)が絶句した。
「・・・やっぱり、あなたがついて行けば良かった・・・」
子供達と残雪(ざんせつ)の体調を心配した蛍石(ほたるいし)五位鷺(ごいさぎ)が、典医でもある蓮角(れんかく)を離宮に残して行ったのだ。
この優秀な医師が同伴すれば、皆、助かったかもしれない。
「いえ。雪様、直近で爆破したのです。同じ馬車に乗っていた日雀(ひがら)の命がある事が既に奇跡です。私が居りましたところで変わりません」
そう断言されて、残雪(ざんせつ)は現場の凄惨さを痛感した。
十一(じゅういち)が急ぎ現地に向かいました。尾白鷲(おじろわし)海燕(うみつばめ)が宮城で対応に当たっています」
残雪(ざんせつ)が静かに何度も頷いた。
心は張り裂けそうであろうに、泣き出すでも取り乱すでもない残雪(ざんせつ)に感心しながら、それでも迷いながら蓮角(れんかく)はもう一歩踏み込んだ。
「・・・10日です、残雪様」
蓮角(れんかく)が更に感情を抑えた声で言った。
皇帝が死んだら、10日で全てが決まる。
良いことも悪いことも。
そのうちに全てしなければならない。
「次の皇帝は何事もなければ、橄欖(かんらん)様になるでしょう。・・・どうなるかはお分かりですね」
残雪(ざんせつ)は頷いた。
皇后と橄欖(かんらん)公主を捨て、追い詰めたのは蛍石(ほたるいし)五位鷺(ごいさぎ)だ。
そしてもうその二人はここには居ない。
残された自分達に刃が向く事など、火を見るより明らかだ。
「・・・蓮角(れんかく)、かねてよりの予定通り私と春北斗(はるほくと)は海外にある実家の別宅に静養に行きます。あちらに進学を希望されていた銀星(ぎんせい)様と一緒に視察も兼ねて。それから、私と総家令の結婚は半年前より破綻しています。更にこの知らせは聞いていません」
残雪(ざんせつ)はそう言いながらまとめていた旅券(パスポート)類や手紙をバッグに入れる。
蓮角(れんかく)が驚きながらも頷いた。
蓮角(れんかく)、ありがとう。おチビさん達をよろしくね」
残雪(ざんせつ)が女家令を抱きしめた。
残雪(ざんせつ)様。うちの子達を可愛がってくれて、感謝申し上げます」
蓮角(れんかく)もその腕を残雪(ざんせつ)に回した。
「・・・薄情な家令の事とお笑いくださいまし。私も八角鷲(はちくま)もうちの子なんてこと言った事ありません」
私、家令ですから子供ってどうやって育てたら良いかわかりませんもの、と以前言った時、私だってよく分からないけれど、きっと可愛い可愛いって育てれば良いのよ、と残雪(ざんせつ)に言われた日から、少しだけ、毎日心がけて来た結果なのだと蓮角(れんかく)は告白した。
蜂鳥(はちどり)駒鳥(こまどり)も、いい家令になるわね」
「適正充分。困ったものです。・・・雪様、花鶏(あとり)をご心配でしょう。きっと私共で守ってみせます」
穏やかに微笑むと、残雪は窓に身を乗り出し娘と太子を呼び寄せた。
1人づつ持ち上げて、部屋に入れる。
手早く蓮角(れんかく)が着替えをさせた。
「ママ、なあに?」
「海のそばのおうち覚えてる?去年行ったでしょ」
春北斗(はるほくと)が頷いた。
「これから行くのよ。銀ちゃんも」
太子が見上げた。
「春ちゃんと?」
「そうよ。私と、春と。・・・銀ちゃん、海に行きたいと言ってたじゃない?海行こう」
残雪がそう言うと、子供達は嬉しそうに頷いた。


 逆半球にある棕櫚(しゅろ)家の別荘に着いたのはほぼ丸2日後。
母の双子の妹の春北風(はるぎた)が待っていた。
母にそっくりで、娘である自分にも見分けがつかないほどだ。
「大変だったわね」
そう言われ、残雪(ざんせつ)は、大変なのはこれからよ、と返した。
黒北風(くろぎた)とあなたのパパが今走り回っているわ」
娘から短い知らせを受けた両親によって、女皇帝と総家令の客死は、限られたギルドの人間達に知らされた。
守れるものはなるべく多く守る為に、彼等は奔走している事だろう。
それは、王族以下、元老院も家令も同じ事。
「当たり前だけど、報道もないし宮城から何の知らせもないわ」
皇帝が死んだことを、知らせるまで知られてはならない。そういう慣習だ。
その間に知った者のみ、爪を研いでいた者は動くし、また、隠したいものがある者はそうする。
そして、それを防ごうとするものも動き出す。
まずは、今現在、小太子と娘、そして自分の命と安全を守らねばならない。
この子達を守る為に、自分と蛍石(ほたるいし)五位鷺(ごいさぎ)は準備をしていたのだから。
いくつもの辛い別れを想定した対策。
訪れたのは、一番考えたく無い最悪のものだったけれど。
まだ、崩れ落ちるわけにはいかない。
夫と恋人と約束をしたのだから。
春北斗(はるほくと)が、春北風(はるぎた)の飼っている犬と遊びたいと言い出した。
この先長くなるだろうこの地での生活において、穏やかな性格のあの犬は子供達の良い遊び相手になってくれるだろう。
「きっとお庭にいるわよ」
庭へ続く扉を開けて子供達を誘導しながら、残雪(ざんせつ)が遠く北を想った。


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登場人物紹介

棕梠 佐保姫残雪《しゅろ さほひめ ざんせつ》

継室候補群のひとつであるギルド系の棕梠家の娘。

蛍石女皇帝の皇子の乳母として宮廷に上がる。

蛍石《ほたるいし》   女皇帝。


五位鷺《ごいさぎ》  蛍石女皇帝の総家令。

八角鷹《はちくま》  宮廷家令 

蓮角《れんかく》  宮廷家令・典医

蜂鳥《はちどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の娘。

駒鳥《こまどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の息子。

日雀《ひがら》   宮廷家令 

山雀《やまがら》の双子の姉。

山雀《やまがら》   宮廷家令  日雀《ひがら》の双子の妹。

海燕《うみつばめ》  宮廷家令

銀星 《ぎんせい》  蛍石と五位鷺の息子

春北斗《はるほくと》  残雪と五位鷺の娘。

橄欖《かんらん》  蛍石と正室の娘。

尾白鷲《おじろわし》 宮廷家令

東目播 十一 《ひがしめばる じゅういち》 

家令名 慈悲心鳥《じひしんちょう》。

花鶏《あとり》 宮廷家令


竜胆《りんどう》 

蛍石《ほたるいし》の正室。皇后。

楸《ひさぎ》 

蛍石《ほたるいし》の継室。 二妃。

柊《ひいらぎ》の兄。

柊《ひいらぎ》

蛍石《ほたるいし》の継室。 三妃。

楸《ひさぎ》の弟。

棕櫚 黒北風 《しゅろ くろぎた》

残雪の母

春北風《はるぎた》の双子の姉

残雪が総家令夫人となったことでギルド長になる。

棕櫚 春北風 《しゅろ はるぎた》

残雪の叔母

黒北風《くろぎた》の双子の妹



アダム・アプソロン

A国元首

ケイティ・アプソロン

アダムの妻

A国元首夫人



サマー・アプソロン

アダムとケイティの娘

フィン・アプソロン

アダムとケイティの息子

"高貴なる人質"として残雪と交換となり海外に渡る。

コリン・ゼイビア・ファーガソン

A国分析官・尉官

アダムの友人

フィンと残雪の人質交換の任を務めた。

須藤 紗和 《すとう さわ》

東目張《ひがしめばる》伯夫人

橄欖《かんらん》女皇帝の貴族達の友人の1人。

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