第21話 月冴ゆる夜

文字数 3,397文字

 蛍石(ほたるいし)が客死してきっかり10日後、蛍石(ほたるいし)女皇帝の崩御と、新しい橄欖(かんらん)女皇帝の即位が報道された。
冴え冴えとした満ちていく月が空に輝いていた夜だった。
橄欖(かんらん)様が新皇帝。総家令は海燕(うみつばめ)です」
そう言われて銀星(ぎんせい)はあらかたを理解したようだった。
海外に出かけていた両親が亡くなったのだと、小さな体で懸命に事実を受け止めているのが分かった。
昨晩のうちに春北斗(はるほくと)には伝えたが、もう二人に会えないのかと泣き出し、部屋に閉じこもってしまった。
慰めていた春北風(はるぎた)が、(むご)い事だと自分もまた目元を拭っていた。
銀星(ぎんせい)は両親を亡くし、春北斗(はるほくと)は父親を亡くした。
そして残雪(ざんせつ)は夫と恋人を亡くしたのだ。
残雪(ざんせつ)は今あるものを失わないようにしなければ、その思いだけで必死だった。
銀星(ぎんせい)様、おそらく近いうちに家令が誰か来ると思います。身の振り方を決めましょう」
残雪(ざんせつ)はそう言って、同時に両親を亡くした小太子を抱き上げて、月明かりが入る窓辺のソファに座った。
5歳を過ぎれば抱っこを嫌がる子供も多いが、離宮では、蛍石(ほたるいし)五位鷺(ごいさぎ)や自分がしょっちゅう子供達を抱っこしていたので、皆、それが大好きだ。
総家令や、あまつさえ皇帝が自分の子どころか家令の子にそうやって構うのは、あまり無い事らしく、大人の家令達は驚いていたが。
なんと明るい静かな夜だろう。
自分達に降りかかった嵐が信じられない程。
「・・・あなたのパパとママは、あなたを王様にしたかったの。でも、もし自分達が亡くなってしまってそれが出来ない場合は、パパとママは、銀ちゃんを宮廷から遠ざけるつもりだったの」
「どうして?」
「あなたが大好きだから。それは、春のことも、私のことも。お城は、怖いことも多いから。辛い目には遭って欲しくなかったの」
銀星はまた頷いた。
「何かあっても雪がいるよとママが言ってた。パパも、僕達は幸せになるプランがいくつもあるよって」
「・・・銀星様はかねてより留学の予定があったとしてあります。皇籍は離れる事になるでしょう。国には戻らないとお決めください。私も、もう離宮には戻りません」
「おうちに帰れないの?・・・なんで?」
しばらくしたらまた離宮に戻れると思っていたのだ。
両親は居なくなってしまったにしても、また目の前の残雪(ざんせつ)やその娘の春北斗(はるほくと)や、家令の子供達と変わらず離宮で過ごせるのだろうと。
小太子が「うち」と言ったのに、残雪は心打たれた。
ああ、失ったもののなんという大きさ。
なぜ、と問われて、なんと答えたものか。
「・・・私達は、あの方たちに愛されたから。それはとても嬉しいこと、素晴らしいことね」
愛された。誰よりも。
銀星(ぎんせい)は彼なりの精一杯で頷いた。
「雪、そんな悲しい顔をしないで。ママもパパもいつかどっちか死ぬかも、もしかしたらどっちもかもと言ってた。でも、そうなってもそれが雪じゃなくてよかったとママもパパも思うと言ってたよ。もし、私達なら雪が死んだら悲しくていろんなことどうでもよくなっちゃうものって」
そう言われて、残雪は初めて泣いた。


 数日後、棕櫚(しゅろ)家の別荘を訪れたのは、尾白鷲(おじろわし)だった。
だいぶやつれた様子に、残雪は胸を痛めた。
深い衝撃の中、悲嘆に暮れる事も許されず宮城で奔走していたのだろう。
彼女は、残雪(ざんせつ)が、銀星(ぎんせい)を連れて国外に出た事をまずは感謝申し上げると頭を下げた。
「雪様、申し訳ありません、何のお知らせも出来ませんで」
そう言って、尾白鷲(おじろわし)は言葉を飲んだ。
「いいのよ、わかってる。こうなるかもしれないことは、私達考えていたのは知ってるでしょ?」
「だけど、ですけど。・・・(わたくし)達、皇帝陛下も、弟弟子も、助けられなかった・・・。雪様のもとにお返しできなくて申し訳ございません」
こうなってみては、残雪(ざんせつ)蛍石(ほたるいし)五位鷺(ごいさぎ)の立場があまりにも違う。
亡骸に別れを言う事すら許されず、この女性には文字通り、永遠の別れが訪れてしまったのだ。
尾白鷲(おじろわし)(うつむ)いた。
「・・・どんな状況であれ、総家令が皇帝を残して死ぬのは不名誉と聞いたわ。お互いそんなことをさせるのは嫌だったろうから、ならばそれでいい」
残雪はそう言い切った。
「お茶をどうぞ。叔母がこちらで買い付けている品物なの」
勧められて、尾白鷲(おじろわし)はカップをつまんだ。
ラベンダーの香りが、痛む心の傷に染み入るようだった。
尾白鷲(おじろわし)は、蛍石(ほたるいし)五位鷺(ごいさぎ)より年上であり、彼等の一番近くで生きてきた家令だ。
二人をまさに姉のように守り、助けてきたのだ。
「おチビちゃん達は?」
家令に任せれば大丈夫だとは思うが、やはり心残りだった。
蓮角(れんかく)に託されて、私が神殿(オリュンポス)に預けて参りました」
「そう。良かった」
ほっとした。
残雪は、さて、と向き合った。
尾白鷲(おじろわし)が、蛍石(ほたるいし)五位鷺(ごいさぎ)の最後をどう知らせるべきかと迷っている様子なのに、残雪(ざんせつ)は微笑んだ。
「まずは生きている者の事を考えなくちゃ。その後に教えて。・・・橄欖(かんらん)様は、我々の処遇を何と仰っているの?」
「私共が憂慮(ゆうりょ)致しましたのは、やはり橄欖(かんらん)様がまだお若い事。それでは皇后様方の極端なご意向、つまり、報復が始まってしまいますから。誰か年嵩の者が総家令を賜りますれば良いのですが、橄欖(かんらん)様が指名されたのは海燕(うみつばめ)でした。これは、皇后様方のご意志でしょう」
若い女皇帝を囲い込む為。
これでは、かつての蛍石(ほたるいし)と同じようになってしまう。
「ですので、十一(じゅういち)を限定的に補佐につけました。王族とも縁の深いあの弟弟子ですから、皇后様も外戚方も、無碍(むげ)には出来ませんから。銀星(ぎんせい)様は廃太子との事です。後日、正式に通達が参ります」
一時は、元老院の一部から、銀星(ぎんせい)春北斗(はるほくと)を捕えろという話も出たのだと聞かされ、残雪(ざんせつ)は血の気が引いた。
家令達が身を挺して庇ったのだろう。
「ありがとう。貴方達だって、危険なことなのに」
「いえ。家令(われわれ)は宮廷の備品。お気遣いくださいませんよう。ギルド議員の方の尽力ももちろんございました。議会は、宮廷はもはやギルドの方のお力が無ければ回りません。これは、雪様のご両親や、ギルドの方のなされた結果です。それを元老院もわかっているから、残雪(ざんせつ)様や、春北斗(はるほくと)様を守れたのですもの」
かつてギルドの人間を議会にと押し上げた蛍石(ほたるいし)五位鷺(ごいさぎ)の意思が、時間を経て、愛しい者達の命を救ったとも言えた。
ならば、それを無駄にするわけには行かない。
残雪(ざんせつ)は女家令を見つめた。
「・・・では、こうお伝えして。銀星太子は元総家令の妻が後見人となり保証することにより太子は国には戻る意思はないとの事」
尾白鷲(おじろわし)が、唇を噛む思いで頷いた。
蛍石(ほたるいし)に次の皇帝にと望まれた愛し子が廃太子、亡命とは無念だが、これで銀星(ぎんせい)の命は守られる希望が見えて来た。
愛されたことの対価を払えということの何と残酷な事だろう。
「雪様、五位鷺(ごいさぎ)との離婚についてですけれど・・・」
「皇帝陛下が認証しただけで、私と五位鷺(ごいさぎ)の結婚の公的な書類など存在しないものね。陛下が離婚を認めたという事のみで私達の婚姻の解消も成立するわけだから、どうか、そのように申し上げてね。・・・ダメよ、あなた、宮城から離れたいとか言い出しちゃ。私達の為にもね。助けてやって。橄欖(かんらん)様はまだお若いし、私達のせいで嫌な思いもされたのは本当だから。それに、難しいお年頃なのよ?海燕(うみつばめ)少年ではまだ持て余しちゃうわ」
残雪(ざんせつ)が笑った。
尾白鷲(おじろわし)は、ため息をついた。
残雪(ざんせつ)様。・・・私、大変思い違いをしておりました。失礼ながら、肩書きだけとはいえ乳母としては適性はあまり、と・・・」
「事実よ。認めるわ。あれはないわよね」
乳母なのに、母乳が乏しかったのだ。蛍石が銀星(ぎんせい)ばかりか春北斗(はるほくと)にも授乳していたくらいだ。
「でも、残雪様は、家令の才能がございます」
残雪が呆気にとられた。
「・・・まあ、困る・・・」
2人は微笑み合った。
お互い、誰かと笑い合うなんて久々の事。
(うしな)うという事は、自分も同時に何かを失う事で。
後は、それを取り戻して行く日々がきっとこの悲しさや辛さをいつか癒してくれるのだろうと思うけれど。
まだ、それには随分遠そうだと残雪(ざんせつ)は女家令と話した。
近しい立場の人間と話して感情を共有出来たことは慰めだった。
実家にはやはり実際迷惑や損害をもたらした負い目も不安もあり、更には話の食い違いや感情の行き違いも実感していた。
いつの間にか、自分はすっかりあちら側の人間になっていたのだと痛感する。
しかし、もはやそうではいられない。
また、こちら岸へと渡るのだ。
残されて、生きて行くって大変よね、と微笑んだ残雪(ざんせつ)の手に尾白鷲(おじろわし)が自分の手をそっと重ねた。
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登場人物紹介

棕梠 佐保姫残雪《しゅろ さほひめ ざんせつ》

継室候補群のひとつであるギルド系の棕梠家の娘。

蛍石女皇帝の皇子の乳母として宮廷に上がる。

蛍石《ほたるいし》   女皇帝。


五位鷺《ごいさぎ》  蛍石女皇帝の総家令。

八角鷹《はちくま》  宮廷家令 

蓮角《れんかく》  宮廷家令・典医

蜂鳥《はちどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の娘。

駒鳥《こまどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の息子。

日雀《ひがら》   宮廷家令 

山雀《やまがら》の双子の姉。

山雀《やまがら》   宮廷家令  日雀《ひがら》の双子の妹。

海燕《うみつばめ》  宮廷家令

銀星 《ぎんせい》  蛍石と五位鷺の息子

春北斗《はるほくと》  残雪と五位鷺の娘。

橄欖《かんらん》  蛍石と正室の娘。

尾白鷲《おじろわし》 宮廷家令

東目播 十一 《ひがしめばる じゅういち》 

家令名 慈悲心鳥《じひしんちょう》。

花鶏《あとり》 宮廷家令


竜胆《りんどう》 

蛍石《ほたるいし》の正室。皇后。

楸《ひさぎ》 

蛍石《ほたるいし》の継室。 二妃。

柊《ひいらぎ》の兄。

柊《ひいらぎ》

蛍石《ほたるいし》の継室。 三妃。

楸《ひさぎ》の弟。

棕櫚 黒北風 《しゅろ くろぎた》

残雪の母

春北風《はるぎた》の双子の姉

残雪が総家令夫人となったことでギルド長になる。

棕櫚 春北風 《しゅろ はるぎた》

残雪の叔母

黒北風《くろぎた》の双子の妹



アダム・アプソロン

A国元首

ケイティ・アプソロン

アダムの妻

A国元首夫人



サマー・アプソロン

アダムとケイティの娘

フィン・アプソロン

アダムとケイティの息子

"高貴なる人質"として残雪と交換となり海外に渡る。

コリン・ゼイビア・ファーガソン

A国分析官・尉官

アダムの友人

フィンと残雪の人質交換の任を務めた。

須藤 紗和 《すとう さわ》

東目張《ひがしめばる》伯夫人

橄欖《かんらん》女皇帝の貴族達の友人の1人。

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