第45話 逢魔

文字数 2,453文字

 いつもは食材剥き出しの鮭だの海老だの豚バラ肉の塊しか持って来ないコリンが、夜中近くに突然花束を持って来たのに蜂鳥(はちどり)は当然怪訝な顔をした。
「・・・・ああ、ええと、夜分に大変な無礼を・・・。・・・どうか、そんな目で見ないでくれ・・・」
若い女性に、変人とか気持ち悪いとか思われるのが堪える年頃なのだとコリンは言った。
「いや、あの、実は明日から遠方に向かう事になってね。・・・雪に渡して・・・、ああ、いや、自分で渡す。そしたらすぐお(いとま)するよ。君の主人はどこにいる?」
蜂鳥(はちどり)が無言のまま、じっとコリンを見た。
「・・・もう休んでおられるか。・・・もしかして外出・・・?」
答えず蜂鳥(はちどり)が一歩、コリンに向かって足を踏み出し、邸内に招き入れた。
「・・・ファーガソン様、もし、私共の主人(あるじ)が囚われていたとしたらお助けくださいますか?」
何を言い出すのかとコリンは戸惑った。
「・・・囚われる、と言うのは・・・それは、こちらでの我々の待遇が不満という事だろうか。確かに、ご不自由はさせていると思う・・・。それは、勿論、善処すべきところは・・・」
違う、と蜂鳥(はちどり)が首を振った。
「家令と言うのは。宮城に関わる仕事に(たずさ)わりますが、特に大切なもののうち、神事がございます。聖堂(ヴァルハラ)の司祭長のいる聖堂がありますのと、それからもうひとつ、私は、神殿(オリュンポス)の神官職なんです」
当然ではあるが、コリンはその実態は掴みかねる様子であった。
「軽く知っている程度の知識はあるが、当然、充分には理解していない。しかし、知る事と、尊重する事は出来るつもりだ」
蜂鳥(はちどり)は、キッチンから小さなグラスを取って来て手に収めると、自分が身につけていた羽根のデザインのトパーズのブローチピンを外してアダムのジャケットの襟につけた。
「どうぞ。こちらへ」
二階へ続く階段へと誘った。

 二階は残雪の私室になっているらしい。
照明を絞ってあるが、柔らかなペールベルーの地に雛菊(デイジー)が描かれた壁紙が、残雪(ざんせつ)の趣味だと感じられた。
コリンは、夜間でもあり、何より女性の私室だと戸惑ったが、構わず蜂鳥(はちどり)はドアを開けた。
ゆっくりとした話し声が聞こえた。
大きなソファで男が残雪(ざんせつ)の肩を抱いていた。
もう1人、女が残雪(ざんせつ)の膝に頭を乗せていた。
誰なのか。
どう見ても、親しい、かなり親しい関係。
しかし、こんな場に居合わせるとは。
蜂鳥(はちどり)は黙って、と唇に指を当てた。
2人が愛し気に抱き寄せるのは、残雪(ざんせつ)
何かを囁いては、残雪(ざんせつ)の髪を指に絡めたり、唇を寄せる。
残雪(ざんせつ)は半分眠りに落ちかけているようで、心地良さ気に2人の囁きにうっすら頷いている。
2人の男女は全くこちらに気がつく様子もなく、残雪を交えて睦み合っていた。
その様子が幸せそうで、官能的で。
それを見つめる蜂鳥の目がどうにも切なかった。
蜂鳥はパーテーションの陰にコリンを誘導して、一度目を伏せてから、蜂鳥(はちどり)は手に持っていた小さなグラスを床に落とした。
薄いガラスがパリンと割れる音がした瞬間、空気が変わり、2人の男女の姿は消えていた。
コリンは驚いて、声も出なかった。
蜂鳥(はちどり)はデスクの上の封蝋用のキャンドルに火をつけてからそっと残雪に近付いた。
「雪様、申し訳ありません。私、壊れ物を作ってしまいました。片付けておきます。・・・ソファで寝てはお体に障ります。ベッドにどうぞ」
「・・・あらまあ、私、またソファで寝ていたの。何か割れたの?危ないから、私がやるわ」
「いいえ。ちょっとしたものですから。大丈夫ですよ」
「そう。手を切らないようにね。痛くなってはかわいそうだわ」
残雪(ざんせつ)はそう言うと、蜂鳥(はちどり)に促されて、ベッドへと向かった。
「おやすみなさいませ、雪様」
蜂鳥(はちどり)は、キャンドルの火を吹き消すと女家令の礼をして部屋を下がった。

 手が冷えていた。
コリンは、信じられない思いで自分の手を眺めた。
冷えて強張り、わずかに震えていた。
「・・・・どうぞ」
蜂鳥(はちどり)はブランデーが入った小さなグラスを手渡した。
一気に流し込むと、体に熱が広がった。
ほっと安堵し、じわじわと感覚が戻っていくのが分かった。
「・・・蜂鳥(はちどり)、あれは何?」
「あの方たちは、蛍石(ほたるいし)様と五位鷺(ごいさき)お兄様。先帝とその総家令です」
蜂鳥(はちどり)が少し悲しそうに言った。
「・・・・それは、亡くなった方々だ・・・」
「はい。私の父が見届けました」
「父?」
「私の両親は、蛍石(ほたるいし)様が幼い頃からお仕えしていた家令です。蛍石(ほたるいし)様と五位鷺(ごいさぎ)お兄様を貴方方の国のテロリストが殺したとき、私の父がそばに居たんです」
「幽霊とか、そういう類のものという事か・・・」
「はい」
美貌の女家令が美しく微笑み、断言した。
なぜ笑うのか。
「・・・こんなことが本当にあるのか・・・。あの、グラスを割ったのは?」
「あれはまあ、ちょっとした儀式、おまじないのようなものです。何か音を立てたり、火をつけたり。場の空気を変えるためのもの」
コリンには理解できない事を言う。
「・・・私は愛しい方たちの逢瀬を邪魔した事になりますね」
悲しそうに言う。
前総家令と雪はわかるが、あの先の女皇帝はどうなのだ。
女皇帝は、総家令と愛人関係だったと聞いていたのに。残雪(ざんせつ)は、女皇帝によるほぼ嫌がらせのような人事(じんじ)で乳母をさせられたのだと言う者もいた。
しかし、実際の関係は良好であったと残雪(ざんせつ)から聞いていたけれど。
「雪様は、蛍石(ほたるいし)様の恋人でらしたんです。そして、五位鷺(ごいさぎ)お兄様の奥様でもいらした。あの方達はそれで幸せ。そういう関係だったんです」
コリンは動揺を越えて絶句した。
確かに、先ほどの場面は、蜂鳥(はちどり)が言うように、逢瀬と言うに相応しい甘く幸福な様子であった。
では、蜂鳥(はちどり)は、なぜ自分にそれを見せたのだろう。
親の代から仕えた皇帝の恋人を、兄弟子の妻だった女を、奪うなと言いたいのか。
蜂鳥(はちどり)は首を振った。
「いえ。もし、この事を踏まえた上で雪様をお望みになるなら、どうかあの方をお助けくださいませ。・・・佐保姫残雪(さほひめざんせつ)様は、いろいろなものに囚われておいでですから。これは、あなたに、そのご覚悟がおありにあればの話です。でも無いなら。今ここで、ご覚悟お決めくださいませ」
蜂鳥(はちどり)が優雅に頭を下げた。
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登場人物紹介

棕梠 佐保姫残雪《しゅろ さほひめ ざんせつ》

継室候補群のひとつであるギルド系の棕梠家の娘。

蛍石女皇帝の皇子の乳母として宮廷に上がる。

蛍石《ほたるいし》   女皇帝。


五位鷺《ごいさぎ》  蛍石女皇帝の総家令。

八角鷹《はちくま》  宮廷家令 

蓮角《れんかく》  宮廷家令・典医

蜂鳥《はちどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の娘。

駒鳥《こまどり》  宮廷家令 八角鷹《はちくま》と蓮角《れんかく》の息子。

日雀《ひがら》   宮廷家令 

山雀《やまがら》の双子の姉。

山雀《やまがら》   宮廷家令  日雀《ひがら》の双子の妹。

海燕《うみつばめ》  宮廷家令

銀星 《ぎんせい》  蛍石と五位鷺の息子

春北斗《はるほくと》  残雪と五位鷺の娘。

橄欖《かんらん》  蛍石と正室の娘。

尾白鷲《おじろわし》 宮廷家令

東目播 十一 《ひがしめばる じゅういち》 

家令名 慈悲心鳥《じひしんちょう》。

花鶏《あとり》 宮廷家令


竜胆《りんどう》 

蛍石《ほたるいし》の正室。皇后。

楸《ひさぎ》 

蛍石《ほたるいし》の継室。 二妃。

柊《ひいらぎ》の兄。

柊《ひいらぎ》

蛍石《ほたるいし》の継室。 三妃。

楸《ひさぎ》の弟。

棕櫚 黒北風 《しゅろ くろぎた》

残雪の母

春北風《はるぎた》の双子の姉

残雪が総家令夫人となったことでギルド長になる。

棕櫚 春北風 《しゅろ はるぎた》

残雪の叔母

黒北風《くろぎた》の双子の妹



アダム・アプソロン

A国元首

ケイティ・アプソロン

アダムの妻

A国元首夫人



サマー・アプソロン

アダムとケイティの娘

フィン・アプソロン

アダムとケイティの息子

"高貴なる人質"として残雪と交換となり海外に渡る。

コリン・ゼイビア・ファーガソン

A国分析官・尉官

アダムの友人

フィンと残雪の人質交換の任を務めた。

須藤 紗和 《すとう さわ》

東目張《ひがしめばる》伯夫人

橄欖《かんらん》女皇帝の貴族達の友人の1人。

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