第29話

文字数 965文字

最終ラウンド エピソード7

「憶えてる?あたしが小さいころ、商店街通りで転んだ時のこと。膝を擦りむいちゃって」
 お凛をおぶって江戸一に連れて行った時のことか。店で絆創膏を貼ってあげたんだ。憶えてる。
「まだ、おめえが保育所に通っていたときだよな」
 ふたりは、商店街に面した公園のブランコに乗っていた。
「この公園でよく遊んだね」
 お凛は思いだし笑いをして、少しうつむいた。
「この公園でさ。輝くん、何かにつけてはいつもヒーローポーズしてた」
 懐かしい、と言って微笑んで夜空を見上げる。
「本当にヒーローになっちゃうなんて」、と自分にだけ聞こえる声で独り言ちた。
 輝一は一点を見つめたまま黙っている。
 お凛は、ここに来る途中で買ったサイダーのプルトップを開ける。
 長い沈黙のあと、輝一が口を開いた。
「なんかさ。いろんなことがあってさ、整理できないんだ」
「何を?」お凛は、輝一の横顔を見つめる。
「全部。何もかもだ」
「じゃあさ。今、いちばん気にしている人の顔を思い浮かべてみて」
 輝一が、顔を上げてお凛を見た。こんなに自信のない顔つきの輝くんを見たことない。
「親父だ」輝一はすぐさま応じた。
「お父さんがどうしたの?」
「・・癌らしい。いや癌なんだ。あまり時間がないらしいんだ。死んじゃうかもしれないんだ。オレどうしらいいか・・」
 膝に両肘をついて、頭を抱えた。
 お凛は、清々しい顔で前を見据えた。
「自分を生きればいいと、思う。思いっきり。それがお父さんの喜びになるはず」
 輝一は、顔を上げた。
「それが、わかんねえんだよ」

 お凛は、小さく微笑んだ。
「やって来たじゃない。今まで。ボクシング頑張ってきたし。美味しいマ・・じゃなくて商店街のためにお父さんのお手伝いしたり」
「・・そこは自信持てるな」
 お凛は、輝一の鈍さにほっとした。
「今まで通り、今よりもっと輝ける生き方をお父さんに見せてあげればそれでいいと思う」
 輝一は、お凛を見つめた。お凛は、優しく微笑みかけた。お凛は、自身の祖父がツケ場に立つ姿を思い返していた。お爺ちゃんと私、輝くんとお父さんも残り時間が少ない。
「ねっ!こういう時こそ頑張らないと」と言って、輝一の肩を励ますように叩いた。
 そして、心の中で「ねっ!美味しいマン」と呟いた。
 お凛の、背中越しに星が流れるのが見えた。


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