第12話

文字数 1,914文字

 ラウンド 2  エピソード6


 美味しいマンは距離を詰めると、左右のボディーから、顔面へのワンツーを鋭く打ち込んだ。客席から驚愕の声が歓声とともに沸きあがる。
倒すつもりだった。
 しかし、ロープにもたれたジョー之輔はスリッピングアウェイ(パンチの打撃力から逃れるため同じ方向に顔を背ける技術)をして、衝撃を逃がしてなんとかロープにもたれて立っている。目は死んでいない。唇を歪ませ、よだれを垂らしてこっちを睨みつけている。
 一瞬、自分のコーナーをふり返った。エドガーが微笑んでいる。なぜこの状況で笑っていられる。刑事長を見ると、楽しそうに笑顔を浮かべて、殺(や)っちまえとでも言うように顎をしゃくった。
 本当にいいの?思いっきりやっちゃうよ。
「アポロー!」ジョー之輔がロープから離れ、こっちに向かってくる。サウスポーに構えて右手をだらりと下げている。美味しいマン!やっちゃえと歓声が上がる。
 美味しいマンは軽やかにステップインすると、連打をジョー之輔の顔面に叩き込んだ。ノックアウトするつもりだったが、ジョー之輔はスリッピングアウェイを多用して防御する。が、何発かクリーンヒットして身体が揺れた。客席が沸いている。美味しいマンのボクシング技術に感心する声がほとんどだ。
ジョー之輔の斜交いに歪んでた唇は、だらしなく開き血を垂らしている。
美味しいマンは、低く飛び込んで思いっきりボディーにフックを打ち込んだ―
 ゆらり、とジョー之輔の体躯がよろめき、顔を歪めてゆっくりとマットに沈んでいった。歓声と驚愕の声で客席が沸く。「美味しいマン!凄い!」「強えー美味しいマン!」
 ダウンカウントが数えられる。ジョー之輔が、顔を歪ませ、腹を押さえてうずくまっている。
 美味しいマンは、一旦コーナーに戻りジョー之輔を睨み据える。リングの下で、セコンドの藤木が、可笑しそうな顔で「おい。そのままボクシングしてろ」と言う。
 うずくまっていたジョー之輔が、腹を押さえて立ち上がろうとしている。ダウンカントが進み、カウント8まで来たところでジョー之輔がロープにもたれて何か叫びながら、立ち上がった。
「ブック破ったのはあいつだ。刑事長やっちゃうぞ」そう言い捨てて美味しいマンはコーナーを飛び出していった。ジョー之輔がファイティングポーズを取っている。
 ファイト!レフェリーが試合開始の合図をする。
 美味しいマンは、もう一度、ボディーブロウを素早く打ち込む。ジョー之輔の身体が九の字に折れる。呼吸をするのも苦しそうだ。もう一発入れてやる。
 美味しいマンは、苦しそうに身体を折っているジョー之輔の脇腹に、とどめのボディーフックをたたき込んだ。嘔吐しそうな声を上げて、ジョー之輔の身体がマットに沈む。
 ダウン!ワン!・・ツー、スリー、フォー、とカウントが進む。
 客席は歓声の渦だ。「美味しいマン凄いぞ!」「やべえ美味しいマン!」「マジもんだ!」
美味しいマンを讃える声が多い。
 しかし、昔からのプロレスファンは手厳しい。ダウンカウントが進むなか、「ジョー之輔なにやってんだよ!」ジョー之輔を野次る声がちらほら。
 ダウンカウントが5を超えた時、野次る声に向けてジョー之輔が唇を歪ませて、叫んだ。
「おれはプロレスラーだよ!」
 客席が鎮まりかえり、その後おおきな拍手に変わった。
 ジョー之輔!ジョー之輔!あちこちで励ます声が上がる。
 じゃあ、なんでボクシンググローブつけてんだよ。輝一はコーナーで苦々しくひとりごちた。
 またカウント8で、ジョー之輔が立ち上がろうとしている。
 次で終わりだ。一発で仕留めてやる。
 試合再開の合図とともに、美味しいマンはジョー之輔に走り寄り鋭く上から右ストレートを放った。
 その瞬間、ジョー之輔が視界から消えた。次に、自分の身体が浮き上がっていることに気づく。なんだこりゃ、どうなってんの?逆さまになった刑事長とエドガーの顔が見える。え?え?
「行きます、受け身とってください」ジョー之輔の声が上からする。
 次の瞬間、上半身からマットに叩きつけられた。咄嗟に両腕を広げて、顎を引いたがワンテンポ遅かった。自分の頭が、マットにバウンドして意識が遠のく、息が止まる。次の瞬間、ジョー之輔が覆いかぶさってきた。レフェリーがスリーカウントをマットを叩きながら数える。
 ワン!ツー!スリー!試合終了!勝者河村ジョー之輔!
 ジョー之輔はリング上で、唇を歪ませて「エイドリアーン!」と叫んでいる。ジョー之輔!ジョー之輔!観客は大喜びだ。ジョー之輔コールが鳴り止まない。
 頭がぼうっとする。両足に力が入らない。暗闇の中、エドガーの声がする。「輝くん!楽しかったね」




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