第2話

文字数 9,024文字

第1ラウンド エピソード2

二月最初の水曜日。今日はボクシング部の練習は休みだ。本来なら、夜からボクシンングジムに出かけて練習したいところだが、部活がない日は刑事長に稽古をつけてもらうことになっている。これも振興組合との薄っぺらい契約書に明記されている。あの親父、契約のとき、てめえの息子にてめえの実印押させやがった。親子だからややこしいと、ついでにと拇印までとられた。
 刑事長は、煎餅屋直角の親父さんという位置にいるが、正確には店を継いでいない。今の店長は輝一の同級生だ。つまるところ刑事長の息子である。なぜ店を継いでいないかというと、刑事長はプロレスラーが本職であったからだ。
刑事長こと鈴木喜明五十八歳は、中学校を卒業するともにプロレスのメジャー団体に所属して、長らく前座試合を務めてきた。刑事長という愛称は、推理小説ファンを公言しており、マイクパフォーマンスでは対戦相手が私生活でしでかした悪事(浮気とかギャンブル等々)を、探偵口調でリング上で明かしては観客の笑いを誘うことを、得意(・・・)技(・・)(と言っていいのかわからないが)としてきたところからついたものだった。
しかし折しも格闘技ブームの波がプロレス業界を襲い、プロレス界は低迷。鈴木喜明選手は、プロレスラー狩りの道場破りを迎え撃つ、セメント(真剣勝負)試合を引き受けさせられていたため、当然のこと格闘技術はズバ抜けていた。そのため、プロレスの興行での異種格闘技戦で重宝がられていた。が、自分が所属するプロレス団体が真剣勝負を標榜する割には、どんどんとショー的要素を強めていくことに失望し、格闘プロレス団体に移籍した。そしてこの団体が大ブレイク。そのときにはすでに現在の二代目店長となる運命の息子鈴木修は、輝一と一緒に小学校に通うまでになっていた。
 プロレスラー鈴木喜明は、土町銀座商店街のヒーローだ。
鈴木喜明の一番のファンは皮肉にも、煎餅屋直角の初代店長、つまり刑事長の父親であった。この初代は無類の格闘技好きで大相撲からボクシング、プロレスなどに目がない男。店の存続や後継者のことなどひとつも考えず、俺の息子はプロレスで一番になるんだと信じてやまない。店のことは気にするなと、巡業から刑事長が戻るたびに商店街でサイン会を開いてはチケットやグッズ販売に協力する始末。
 そして今、煎餅屋直角は「おじいちゃんが焼くお煎餅が大好きだから」という無欲で純粋な動機により、つまり刑事長の息子である鈴木修が店を継いでいる。ゆえに刑事長は店を継ぐことはできず煎餅すら焼くことはできない。しかし先代の孫、つまり刑事長の息子のおかげで煎餅屋直角は店を守ることができている。これに矛盾を感じるか、寿(ことほ)ぐのかは受け取り側の度量による。ちなみに輝一は「修くんが焼いた直角の煎餅が食べられる。しかも先代と同じ味だ」と無邪気に喜んでいる。

 刑事長とのトレーニングは当然の事、刑事長道場で行われる。が、刑事長道場とは名ばかりで、土町小学校の体育館である。要するに体育館を、刑事長のファンであるプロレス好きな土町小学校校長が間貸ししてくれているというわけだ。これを一般的には完全なる校長の公私混同と言う。
この校長、仕事が終わると校内の見回りを装って、刑事長と寿一のトレーニングを覗きに来る。見回りと言っても体育館しか見回ってないが・・・・。
 スポーツバッグ片手に、土町銀座商店街のアーケードをくぐると輝一はエドガーと出くわした。学生服に厚手のコートを着込んだエドガーは立ち止まらず歩きながら、目顔で頷くだけだ。目つきがトレーニングに行くぞと言っている。
 エドガーこと松平健吾は十七歳。今年の四月から高校三年生。当然、綽名はマツケンと誰もが言いたいところだが、そう言わせないのがエドガーだ。
知能指数一三〇を誇る天才であるが、本人はそれを鼻にもかけず、優秀な頭脳であることを隠したがる。余計なことは一切しゃべらず、何か言う時にはすべてが全てロジカルで簡潔。だから当然のこと周囲の同級生たちは緊張して距離を置く。もちろん本人は、何ひとつ気にしない。こちらも推理小説好きで、その明晰な頭脳を活かし警視庁に捜査協力をしたことがある経緯から、刑事長がつけた綽名がエドガーであった。
刑事長は「あれ、あれだよ。推理アニメの主人公にいるだろ。頭のいいやつ。見た目は大人、頭脳は子どもっていうアレだよ。倅が見てたんだよ、テレビでよお。江戸川何某ってやつよ」ということで土町銀座商店街では江戸川が訛ったエドガーが、松平健吾の綽名というよりも通称となった。当然、そういう通称で呼ばれるようになった当時も今もエドガーが「刑事長。順序が違います。見た目は子ども頭脳は大人です」と諭すが未だに理解していない。というかどうでもいいといった態度でいる。エドガーは「頭脳が子どものままだったらたいへんです」と真剣な顔で言う。確かに、それは悲劇だと輝一でも理解している。
エドガーは子どもの頃から、輝一の実家が経営する食堂「江戸一」に家族でよくやって来ていた。いつも親子三人仲睦まじく、エドガーを中心に手をつないで暖簾をくぐった。「江戸一」は寿司屋から商売替えをしたばかりの頃で、調理場を両親が担当するため忙しい週末などは、長男の孝一や輝一が客席の配膳係を手伝っていた。下に弟がいない小学生の輝一は、幼い一人っ子のエドガーをよく遊んであげたり世話を焼いたりしてきた。が、現在は立場が逆転しているようである。まさに見た目は大人、頭脳は子どもとでも言ったように、格闘技にしか頭脳を使っていない輝一に、エドガーがスポーツ科学的なサポートをしてくれている。今回のプロレス騒動おいても「いい大人たちがただの遊びでプロレスをやるというのは、学生プロレスにも劣ります。やるならストロングスタイルでなければ」と刑事長を通して、振興組合会に意見を具申してスーパーアドバイザーを買って出た。ああ見えて、多種多様な格闘技への造詣が深い。
彼の一切の感情を排した格闘理論に輝一は辟易しているが、ボクシング理論において科学的な思考力が乏しい輝一は太刀打ちできない。実際、大学でのボクシングのトレーニングを見に来てもらって、意見をもらったりしている。そのおかげで好成績を残すことも出来ている。よって、今の輝一はエドガーに頭が上がらない。
「デビュー戦で見せた輝くんのスイープ(上と下の体勢を逆に返す)は、輝さんのセンスだけで出来たことでした。そして相手が素人の山口さんだから出来たということです。プロ相手に通用するものではありません」
前を見据えて縁なしの細い眼鏡のブリッチを中指で押すと、エドガーは学生服のポケットに両手を突っ込んだ。
「おれ。プロじゃねえし」と輝が口答えすると、エドガーはわかってないといったように首を左右にふった。
「輝さん。区民体育センターのリングの上で何をされたんですか」
「プロレス・・・・」こいつ、マジになると輝さんと呼びやがる。
「所属団体は?」
「新土町プロレスリング・・・・あっ」気づいたといったような間抜け面で、輝は頭ひとつ背が低いエドガーの目を見た。
「プロフェッショナルレスリング。プロフェッショナル。すなわちプロです」やたらと上手な発音で言われて、輝一は返す言葉を失った。
 体育館に入り、体操用のマットを四枚床にひく。その上に座り、全身のストレッチを始める。その間、エドガーはパイプ椅子に座り宮本武蔵の五輪書に読み入っている。
「そんなもん読んでわかんのかよ」両足を広げてストレッチをしながら輝一が聞く。
兵法は想像力です。本から目を上げずに応える。輝一には言葉の真意が理解できない。
 輝一は、立ち上がりスクワットを始める。刑事長に、トレーニングが始まるまでに三百回やっておくようにと言われている。百回までは、なんとか。だが、そっからが長い。太ももが張り、焼けつくよう筋肉痛が襲い、もうだんだんと慣れはじめてきてはいるが、今まで刑事長が体育館にやってくるまでに三百回やり終えたことはない。
 外気が流れこんで白墨の匂いが鼻先を刺激する。体育館の入り口があき、刑事長が入ってきた。スクワットの回数は二百五十をすぎたところだ。刑事長はいつものように竹刀を持って自分の肩にのせている。また持ってやがる。あれ使っちゃいけねえだろ。虐待案件だぜと輝一が、声に出さず独り言ちる。なんとか初めて三百回をやり終えた。大腿筋が、焼けつくように張っている。そのままマットに倒れ込んだ。
「次はブリッジだ」
輝一に目もくれず指示をだす。横目でエドガーが輝一に頷きかける。この、やるべきことは決まってんだから、さっさとやっちまえという空気は、ボクシングのトレーニングでも同じだから慣れてはいるのだが、刑事長が醸し出す緊張感のある雰囲気は唯一ここにしかない。輝一は、はい、と小さく返事してからブリッジを始めた。首と両つま先で、全身で橋をつくるように、天井に腹を突き出す。スクワットの後だから、両足が震える。こんなトレーニングはボクシングにはない。
エドガー上に乗れ、との指示があると同時に腹の上にエドガーの体重がかかる。思わず声がもれる。エドガーは痩せてはいるが、高校二年生相応の体重はある。「ゆすれ」と刑事長、「はい」とエドガー。腹の上のエドガーが身体を前後左右にゆらす。「つぶれんなよ。輝」体育会系の鼓舞するような声ではなく、刑事長は淡々と塩辛声で声をかける。エドガーの震動で、腹が下に下がりそうになるのを必死で堪える。「ぬおー!くうっ」、苦しくて声がもれる。自分に向けて声を出す、堪えろ堪えろ。
ぱんっ、とマットが鳴る。刑事長の竹刀だ。「止め。息整えて」これを数回くり返す。
 マットに仰向けになって、全身をのばしながら息を整える。
「はい。エドガー頼む」と刑事長、次はエドガーを肩車して体育館の端まで走っては降ろし、また肩車して戻ってくるという訓練だ。回数は決まっていない。刑事長の「止め」の声がかかるまで続く。
 はじめ、の刑事長の声掛けとともに輝一は学生服姿のエドガーを肩にのせ走ろうとする、が最初の一歩の足が出ない。パシンと自分の尻で音が鳴る。竹刀だ。刺すような鋭い痛みに押されるように輝一は足を踏み出す。
両足がパンパンで、すぐに息が上がり全身がふらつく。「輝。腰が高い。鋭く踏み出せ」、刑事長。それがなかなかうまく行かない。
「輝くん。僕の体重が下に向かってかかっていると考えないで、体育館の外に放り投げるような勢いで動いてみて。上から、かかってくる負荷を前方に向ける」
うん、それは気分的に楽な感じがするし、勢いづく。「っっしゃー!」と声を上げて、輝はエドガーを抱え上げたまま走りだす。

悲鳴に近いを声を上げながら十往復したところで、刑事長の「止め」という声が聞こえた。自分の喘鳴と鼓動しか聞こえない。両ひざをついた輝一の肩と胸が、大きく上下前後に動く。息が落ち着いてきたかと思うと、強く咳込んで吐きそうになる。嘔気と咳がかわるがわる襲ってくる。無表情でエドガーが片膝をついて、それを見ている。息が落ち着いてくるとエドガーは、無言でミネラルウォーターを渡してくれた。「また強くなっちゃいましたね。美味しいマン」
そしてエドガーは少し恥ずかし気に微笑む。この顔なつかしい。小学生のころによく見たな。
輝一はミネラルウォーターをがぶ飲みした。「よし。休憩はさんでスパー」そう言い置いて刑事長は自分のパイプ椅子を出して腰をかける。輝一はマットの上で両足を投げ出した姿勢で座っている。エドガーは輝一にタオルを渡すと、刑事長の横に座った。
 沈黙が続く。このふたり、休憩中はほんとしゃべらない。もともと無口なふたりだが、酒の入った刑事長はうるさい。
「次戦の相手が決まった」刑事長がぼそりと言った。格闘技経験者ですか、とのエドガーの問いに刑事長は軽く首をふった。
「どんな相手でもいいけどよ。ほんっとマスクを変えてくれよ」次戦がどうとか言う前にマスクをどうにかしてくれ。
「うれせえ!バカ野郎。プロレスはアングルだ。マスクなんかどうとでもなる」刑事長悪びれない。でもあれはひどい、とエドガーが顔をそむけて声を殺して笑いだす。
「どうとでもなんねえよ!あんなもん婦人服ロマンマスクじゃねえか!今回は親父の落ち度だったけどよ。同じ実行委員会の一人として責任もって頼むよ」
なんか情けなくなってきて言葉尻が小さくなる。あんなものを被って人前に出たということの屈辱は、本人にしかわからない。
「次戦の相手は丹野八百屋の親方だ」おい無視かよ、げんこつ頭。
「はい。三代目の丹野辰巳さんです」とエドガー。お前もか。マスクの話はもうお終いですか。
 マスクの話をなおざりにしたまま、刑事長は丹野八百屋について話だした。
「三代目のあの男よお。仏頂面で愛想ねえけど、真面目で優しい男なんだよ。率先して商店街のアーチを磨いたり、喫煙コーナーや自販機コーナーとかの共有場所を掃除してくれたりよう。無口で不愛想だからか結婚相手に恵まれず。先代の女将である母親と店をやってきた。が、その女将が先月亡くなったって話だよ」
「ええっ!おれ聞いてねえぞ、そんな話」輝一が正座になって身を乗り出す。
「あいつは、ほら。喋らねえだろ。だからこっちからも根掘り葉掘り聞けなくてよ」
家族葬で終わらしましたんでお気遣いなく。ご心配ありがとうございます。今後とも、丹野八百屋をよろしくお願いします。そう言ってすぐに、店を再開させているという。三代目ひとりだと人手が足りないとのことで、嫁いでいる妹がここのところ毎日手伝いに来ている。商店街の飲食店のほとんどが、丹野八百屋から食材を卸してもらっている。今もも何の支障もなく、これまで通りに仕事をしてくれているとのことだった。
「真面目だからな。真面目ついでに、ここに稽古にも来るってよ。無理しやがって。仕入れの時間早えのに」
 刑事長は挨拶がてら、丹野八百屋に偵察に行ってこいとふたりに指示した。
 確かに愛想がない人だったなと思いだしながら、輝一は重要なことに気が付いた。
 除光液をつけた爪のマニュキュアように完全に、完璧にマスクの話題は消え去った。このままだと、また婦人服ロマンのマスクを被り続けるハメになる。親父もあてにならない。刑事長も。
「よし。スパーだ」刑事長が立ち上がった。さすがは元プロレスラー。親父と同じ五十代後半の年齢にしては肩と胸まわりについた筋肉の厚さが違う。顔の皴は目立つが、身体と姿勢に隙が無い。年相応に腹回りは少し出張っているが、それも貫禄だ。
 稽古初日に、格闘プロレスについて説明があった。
「プロレスラーってのはよ。真剣勝負であっても勝たなきゃいけねえんだ。試合でなくても、路上でもよう。だから俺の稽古はセメント(真剣勝負もしくはシュート)が中心となる」
 俺には語彙力が足りねえから、ということで話はエドガーが引き継いだ。
「相手に自分の本当の強さを見せつけておかないと、舐められます。これは人間関係においても同じことが言えます。総合格闘技は、決められたルールと時間のなかで勝負を決するもので、相手の技を受けずに攻撃して勝ちます。格闘プロレスはプロレスという物語のなかでリアルな強さを示すものです。その技術体系の起源は、十二世紀のイングランドまで遡ります。その当時、ランカシャー地方で発達したランカシャースタイルが、後のキャッチアズキャッチキャンとしてカールゴッチが日本のプロレス団体に伝えます。簡単に言うと関節技の極め合いです」
 ちんぷんかんぷんだ。輝一は頭を傾げるしかなかった。
 派手な見せ技よりも、リアルな攻撃技術を出し合い、技を受け合いながら物語を作っていく。試合のブック(流れから結び)は打ち合わせてあるが、鞘に納めた刀ように相手を破壊する技術を持っていることが基本。舐めてかかったら、いつでも本身(真剣)を抜くぞという凄み。それがストロングスタイルのプロレスだという。
 だから、まず俺の地味な技の痛みを知っておいてもらう。そう言って、刑事長に片足タックルをしてくるように言われた。が、片足を掴んだところで頬骨に鋭い痛みが走るとともに首が後ろに向いて首に激痛が走った。刑事長が輝一の頭を両腕でロックして締め上げている。当然、そのまま動けなくなる。次第に締めてくる力とともに頬骨と首の痛みが増して、身体を下に落とすしかなかった。
「これがフロントフェイスロック。見た目では何が効いてるのかわからない地味な技だが、真剣勝負においては効果抜群」
 稽古初日から数日間は、ひたすら腕、足に各種の関節技を受けさせられた。輝一は我慢したら折れると、すぐに参ったのタップ(参ったと相手を軽く叩いて知らせる)をくり返した。また、あれをさせられるのか。輝一は目を閉じ眉間に深い皴を刻み、ため息をもらした。
「今日から実践練習。技を教える。輝が技をかけるほうだ」
 エドガーに練習動画の撮影を命じると、刑事長はニヤニヤしながら「最初に教えたタックルへのカウンターのフェイスロック。思いだせよ。俺がどんなふうに技を仕掛けてたか。とにかく人が痛がるところに自分の骨を当てるボーントウボーンだ」と前傾姿勢で上体を左右に揺らす。
 ふっ、と息を吐く音が聞こえると組長が輝一の右足に片足タックルを決めてくる。最初俺が技をかけられ痛かったのは頬骨だ。
刑事長の頬骨におれの右前腕。それを当てる。刑事長の動きが止まる。「輝くん。前腕の橈骨。そう!正解。無理に力を入れて締め上げない。江戸一の料理人お父さんは包丁をどうやって切る?」
 力で包丁は切れない、滑らすんんだ。親父が兄貴に言ってた言葉を思い出す。輝一は、自分の橈骨を刑事長の頬骨に前方に切りつけるように、滑らす。「痛っ」自分の腕のなかで刑事長が小さく声を出す。そしてくぐもった声で「栓抜き。栓抜きを想像しろ。お前の身体が栓抜きになってんのを想像しろ。力は要らない」
「輝くん、左手で右手をつかんで。首を胸に引き寄せて下に向けて体重かけるの。腕が栓抜きの形で極まるから」
 言っている意味がわからないが、言われた通りにしてみると魔法をかけられたように抵抗なく、刑事長の身体がマットに落ちていった。
 ニヤニヤしがら、ゆっくりと刑事長は身体を起こし両膝をついたまま、自分の前腕の橈骨を指で指しながら言った。
「ここ。この骨はテコの原理の支点として重宝する。支点が小さいと大きな圧力が鋭くかかる」またもや言ってる意味がわからない。「実際にやられると痛かっただろ。力だけじゃ痛くならねえんだよ」
それはなんとなくわかるけど。
「肘、膝、橈骨など尖った箇所を一点だけ相手に押し付けると、相手の体動を制圧できるんです」エドガー、余計にわからなくなったよ。
「まあ。いい。お前は感覚から学ぶようだ。次はアームロック、腕十字固めだ。今後はフェイスロック、足関節、アームロックを反復練習していく」
 その日は、みっちり午後八時まで練習して体育館を出た。練習が終わるとともに、どこかで盗み見していた、校長がレジ袋をぶら下げて「刑事長。お疲れ様です」と嬉しそうな顔で現れた。レジ袋に入っている缶ビール1ダースが丸見えだ。これから刑事長と一杯やろうって腹だ。
 土町銀座商店街のアーチの下で、エドガーとわかれた。エドガーは、土曜日は丹野八百屋に調査に行くから一緒に行ってくださいと言っていた。必要なことなのか、と問いただすとアングルをつくるには重要なことですとの返答。アングルって何なんだろうと、ぼんやり考えながらアーチをくぐり、飲食店以外は店じまいをすましました少し暗い商店街を歩く。
 つと横を見ると、ぼんやりと灯る提灯と、喜多来(きたこ)寿司(ずし)の暖簾が目に入る。喜多来寿司とは輝一が幼いころから家族ぐるみの付き合い。大きくなってからの輝一は常連客のひとりでもある。そういや腹減った。じぶんの家の食堂でまかない食べるのも何なので、練習をがんばった自分へのご褒美ということで、輝一は喜多来寿司の暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ」愛想がなく、うちの味がわかるんだろうな、食うなら文句言うんじゃねえぞという挑戦的な意思がうかがえる声、低く年相応に枯れている。そういやオレが子どものころに五十過ぎだった親方は、今はいくつになるのだろうと考えながら、カウンター席の椅子を引いた。すると若い、いやまだ幼さを残した娘が、横に進み出てきた。お辞儀をすると「いらっしゃいませ。コートをお預かりいたします」と輝一に微笑みかけてきた。胸にお盆を抱き少し首を傾いでまだ微笑んでいる。上にまとめ上げた黒い髪、化粧っけのない透き通るような白い肌。涼しげな瞳。美しいが、頬の赤みに少しの幼さが感じとれる。
ぽかんとした顔で固まる輝一の前のカウンターに、親方がお通しの器をわざと少し音が立つように置いた。輝一がびくんとして親方に目をむける
「アルバイトを雇ったんだ」親方がぶっきらぼうに言う。
 また娘に視線をもどし、娘の微笑みに見惚れて立ちつくす輝一を見て、親方の表情に少し呆れた色が浮かんだ。「輝。まあ座れよ」
 我に返った、輝一が親方をふり返った。調子を取り戻そうと、無理に落ち着かせた声で「瓶ビール」と言って椅子に座ろうとする。
「ほれ。その汚い上着を脱いで笹本さんに預けろ」
「へっ?笹本さん?」椅子に座りかけたまま、目がパチクリさせている。
「バイトさんだよ」面倒くさそうに、言い捨てると親方は二品目のお通しを器に盛り始めた。輝一はダウンジャケットを脱ぎ、恐るおそる笹本さんという女の子にわたして、少し胸をどきどきさせて席についた。


*最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。次回の更新は11月27日月曜日です。完成している小説なので追加更新する場合があります、その際はこの場でお知らせいたします。

笹本さんは何者なのか?今後の土町商店街そして輝一にいかなる影響を及ぼすのか?!次回の更新をお待ちあれ!
個人的には年末のRIZINよりも楽しみです。井上尚也選手とこれからの輝一の未来のほうが胸がわくわくします。まあ両方観ますけど☆ 作者
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