第5話

文字数 4,029文字

ラウンド1 エピソード5
 
 ロックアップを外すと美味しいマンの胸元にストンピング(蹴り上げ)を放ちながら、「野菜を食え!食え!食え」と言い放つ。いつまで続くんだろうこの攻撃は?と思うくらい、お野菜マンのストンピングはしつこく重い。思わす、ぐへぇと美味しいマンが胸を抑えた。
 次の瞬間、固太りのお野菜マンの身体が、美味しいマンのふところに入ってきた。そのまま美味しいマンを持ち上げる。ボディースラム(抱え上げてマットに投げつける)か。美味しいマンが逆さに高々と持ち上げられる。そのまま背中から、美味しいマンをマットに投げ落とす。マットに背中が接触する瞬間に、美味しいマンは両腕を広げてマットを強く叩く。
 バシンっとマットを叩く音とともに、美味しいマンの背中が派手な音をたててマットにバウンドする。息ができない・・と懸命に呼吸をしようとすると、野菜の入ったダンボールのように軽々と持ち上げられる。さすが・・毎朝野菜のダンボール箱運んでるだけある。またマットに叩きつけられる。その攻撃を、三回受けたあとで美味しいマンは反撃に出た。
 お野菜マンの、足をさらってアキレス腱固めを決める。オッサンたちが、おおっ!とどよめく。しめしめ、どうだ?効くだろ、なんせアキレス腱に尺骨を当ててるんだ。あれ、と橈骨だっけ?まあどっちでもいい。
 お野菜マンが、ロープに逃げる、ロープを掴むとブレイク(レフェリーが止める)がかかる。お野菜マンの手がロープにかかろうとする瞬間、その手をロープから引き離すようにして膝十字固めに移行する。相手の片足を両足で挟み、踵を抱えたまま後ろにひっくり返り、膝の関節を逆に思いっきり伸ばす。
 お野菜マンは、必死に耐える。耐えながらもロープに手が届かないかと懸命に、腕を伸ばす――と、届いた。レフェリーが、ブレイクをかける、技を解くしかない。
 お野菜マンは、コーナーで息を整えている。こっちを睨みつけている。緑色の顔で緑色の汗を流しながら。
 ブック(台本)では、もう一回、ストンピング(腹を蹴り上げる)しながら「野菜を食え!食いやがれコンチキショー!野菜を買うのは、食べるのは。お母さんだけでいいのかー!」と叫んだ後に、パワーボム(頭から落とす)をして、カバー(相手に覆いかぶさり、スリーカウントを取る)に入る。美味しいマンがそれを返して、ローリングクラッチホールド(タックルしてくる相手を正面からガブリ、そのまま前転して)スリーカウントを奪って勝つ、がブックの決着だ。最終的に、お互いダメージの少ない決まり技だ。
 しかし、いくらお野菜マンがストンピング(腹を蹴り上げる)をやれども、美味しいマンは引かない。
「俺の野菜を食え!」と腹の底から言って、美味しいマンに蹴りを入れる。
「うるせえ!コンチキショー!」と美味しいマンは堪える。
「食えっつってんだよ!バカ野郎」また美味しいマンに、ストンピング。
「ずっと食ってるよ!バカ野郎」美味しいマンが、殴りかえした。
「なにがバカだ!バカこの、この野郎!」お野菜マンが、殴りかえす。
「ガキの頃から食ってんだよ!ずっと食ってんだよ!」
 輝一は、ストンピングをお野菜マンの腹に返した。なぜか、鼻水が垂れていることに、気づく。あれ?マスクが濡れている。なぜ?
「ずっと食えよ!ずっと!」お野菜マンが、ストンピングを返す。あれ?お野菜マンの目の周りが光っている。
 輝一は思いだしていた。小学三年生の夏休み。丹野八百屋の初代親方と一緒に、仕入れが終わったあとで食べた遅い朝食を。力仕事の野菜の仕入れでエネルギーを使い果たしていたため、食堂でとんかつ定食を食べた。物凄く美味かったのを憶えている。親方も同じものを食べた。
無口な親方は、その時だけ少し話した。「美味いな」と。輝一は「はい。すげえ美味いです」と返した。
 先に食べ終わった親方は、輝一を置いて外でタバコを吸っていた。ガラス張りの食堂の向こう側の喫煙コーナーで、親方は一服しながら魚河岸と楽し気に語らっていた。オレも仲間に入りたいなと思いながら、輝一が急いで食べ終わる頃に店員が、コーラを持ってきた。頼んだ覚えがない。頼んでない、と答えるが店の人が「丹野の親方がさっき頼んでいった」と応える。三年生のおれは、嬉しくてストローでコーラを吸いながら、窓の向こうで談笑する親方をニコニコと眺めていた。
 そうだ。あの日、午前中の店の販売が終り昼飯を食べたあとで、昼寝したんだ。店の奥の和室で。
 目が覚めたとき、なぜか陽を追うようにオレの身体は和室の入り口にまで移動していた。「輝くん。アイスどれでもいいから食べな」と女将さんの声。小上がりの縁に腰かけて食べたアイスクリーム。そうか、思いだした。母ちゃんが言ってたアイスクリームはこのことだったんだ。午後の販売再開。たくさんのお客さんに頭を撫でられた。
夕暮れ時の、店じまいの時間。
 親方は、軽トラで何か片づけものをしていた。その横には、仏頂面で父親を手伝う丹野辰巳の姿があった。親方に「ありがとうございました」、と頭を下げた。おう、じゃあなと愛想のない親方の返事。輝くん、手伝ってくれてありがとう、と丹野辰巳は言っていた。少し、顔をほころばせて。
 そして帰宅すると、まだ寿司屋を商っていた親父が暖簾を出すところだった。親父は、何て言ったかな?頭を撫でられたことは覚えている――
 
 胸板に、大きな破裂音と衝撃。チョップだ。輝一もチョップを返す。攻撃を交わしあうたびに懐かしい気持ちが増してくる。お野菜マンの目から、涙が溢れている。オレの目からもか?まあ、いい。
 輝一はお野菜マンに何か意味ありげな表情で頷きかけ、ロープにお野菜マンの体を振る。お野菜マンは、たたらを踏みながらロープから跳ね返ってくる。片腕を水平に伸ばしている。ラリアット(二の腕を相手の喉元に打ちつける)か―美味しいマンは、まともに技を受けて後方へふっ飛ばされる。お野菜マンが、カウントを取りにのしかかる。ワン!ツー!ス・・上体をのけぞらせて、カウントギリギリで返す。お野菜マンが、マスクを鷲づかみにして美味しいマンを立ち上がらせる。「おい。宮ネギ最高だろ」
「いや。聞こえねえな」マスク越しに、輝一が笑う。心から楽しいと言うように。
「宮ネギ最高だろ!」
 バッシーン。 
 胸に衝撃が走る。チョップだ。美味しいマンは、もっと来いと胸を張る。
「宮ネギ最高!」
 バッシーン。さすがに、フラフラしてきた。今だ、これだ。
輝一はロープに走った、ロープの反動を利用して返ってくる。そして、ラリアット(相手の首に二の腕をぶつける)の相打ちを誘った。丹野辰巳の腕は太い。きっと見栄えがいいだろう。ブック(台本)にはない試合展開だった。
 美味しいマンとお野菜マンが、リング中央で衝突する。お互いが腕を相手の首元に伸ばしながら。
 しかし、お野菜マンの太い腕を支点として、美味しいマンの身体が弧を描いて、頭から落ちていった。
 会場が息をのみ静まり返る。これは完全に、お野菜マンが技を決めたように見える。
「ブック(台本)破りだ。子どもたちは野菜を食わなきゃなんねえ」輝一は、丹野辰巳にだけ聞こえるように言った。清々しい顔をしている。
 お野菜マンが、カバーに入る。その顔が、ほころんでいるのを輝一は、見逃さなかった。
 レフェリーがマットをたたく。ワン!ツー!・・スリー!試合終了!!歓声がリングを巻きあげるように、包み込む。番狂わせ。驚嘆の声が歓声のなかに入り混じっている。
 お野菜マンは、緑色の顔で試合会場の声援に応える。お野菜マン!あちらこちらで声が上がっている。蜂の子をつついたように、子どもたちが沸きあがっている。お野菜マーン!お野菜マーン!可愛い歓声が、試合会場にあふれている。
 エドガーが、放心した顔で首に巻いたタオルを握りしめている。刑事長は、口をへの字にして腕組みをしている。よく見ると、目尻から涙が溜まっている。
「勝者!お野菜マーン!」
 レフェリーが、戸惑い気味にお野菜マンの腕をあげる。
 輝一は、ロープを掴んで立ち上がり、スタッフにマイクを要求した。マイクを掴むと、首を押さえながら口をひらいた。
「お野菜マン・・」
 ―試合会場が鎮まりかえる。誰も一言も発そうとはしない。
「丹野八百屋の宮ネギ・・最高に美味かったぜ」
 輝一に応えるかのように、会場を拍手が包み込む。
「おうガキども。野菜食えよ!丹野八百屋の野菜は最高だ!最高なんだよバカ野郎!丹野八百屋最高!」と叫ぶように言い放ち、マイクをマットに叩きつけると輝一は丹野辰巳の、緑色の顔をまっすぐ見つめた。そして近づき、辰巳にしか聞こえない声で「美味しい野菜を、いつもありがとうございます。あと・・先代の親方と女将さんには、ほんと世話になりまし・・・・」最後の言葉が震えて言えない。
 丹野辰巳の、への字口をした緑色の顔が歪み、輝一の頭を太い腕で抱き寄せた。ふたりは、ただ黙って頭を寄せあってしばらく泣いた。


*さあ、試合が終わり輝一は、また日常に戻っていきます。次はどんな試合が待っているんでしょうか。次はどんな出会い、試合が待っているんでしょう。こうご期待!

今年も残すところあと三週間となりました。皆様が健康に心豊かに新年を迎えられるよう願っています。
私事ですが、十代の頃からの付き合いで、昭和生まれのプロレスファンの友人と忘年会を近々ひらきます。と、言っても飲みに行くだけですが。彼も僕もリアルタイムで新日本プロレスのタイガーマスクや、UWFそしてパンクラスを体験しており、その時の記憶と体験は宝です。特に彼はUWFからパンクラスの鈴木みのるの大ファンです。もちろん筆者もです。
もし、興味のある方がいらしたら(そんな奇特な方はいないでしょうが)、SNSのXで私は米寿亭志ん輔という名前で登録してますのでご連絡いただけたら幸いです。
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