渚にて

文字数 30,759文字

    1


 私の名前はデビィ・コベリン。生まれも育ちもここユークレス共和国領で、十年近く勉強と修行のために他所(よそ)へ出ていたけれど、半年ほど前にまたこの地へ帰ってきたところです。今は主都ネーヴィルの外れに、二匹の犬と二匹の猫と一緒に暮らしています。ほんとうは帰郷したら小鳥をたくさん飼うつもりでいたのだけど、今の家を選ぶ決め手になった美しい庭には立派な樫の()が一本立っていて、なにしろ四六時中そこに小鳥たちがやって来るから、もうそれで良しとしました。でもだからと言って、犬や猫たちがその代役というわけではありません。私はすべての動物たちを等しく愛しています。私は獣医です。
 郊外の広々とした緑のなかに建つこの家は、そういうわけで動物たちの診療所も兼ねています。個人で営む小さな医院ですが、近隣の町や村から毎日いろいろなかたがお見えになります。おかげさまでかかりつけ医に選んでくださるかたも少なくなくて、すぐにみなさんのお顔(と、もちろんみなさんの大切な子たちの顔)を覚えました。時には昼食も取れないほど忙しくなることもありますが、うちには一人とても優秀な動物看護士が来てくれています。彼女は再来年あたりに獣医師になるための試験を受ける予定で、うちで働きながらそれに向けて毎日勉強に励んでいます。彼女がそれに合格したら、私たちはこの家で一緒に暮らす約束をしています。私が帰郷してすぐの頃に、私たちは出逢いました。そしてあっという間に、深く恋に落ちました。彼女は今22歳で、私はもうすぐ30歳になります。
 年齢のことをまったく気にせずに人生を送る女性は――あるいは男性だってそうなのかもしれませんが――いないと思います。でも正直に言って、私はそういった事柄については他の人たちに比べて

無頓着な方だと思います。これに関しては、間違いなく私の両親の影響が大きいと思います。どちらもすでに第一線は退(しりぞ)きましたが、かつて母は医師で、父は造園家でした。二人とも若い頃から、時には娘の私が困惑してしまうくらいに、先進的で自由なものの考え方をする人たちでした。だから先週末、私が恋人を連れて実家に帰省した際にも、二人はまるで洗濯物でも取り込むような気軽さで、私たちを迎え入れました。私が自分の恋人の存在を明かすのも、直接紹介するのも、私の恋愛対象が同性であることを打ち明けるのも、なにもかもが初めてのことだったのに、です。私の恋人はこのあまりに自然でなめらかな歓待ぶりにずいぶん戸惑っていましたが、私はというと、ただ一人こっそりと「やっぱりね」とつぶやいただけでした。その晩は、まるで全員が年若い学生に戻ったかのように、四人で賑やかな夕餉(ゆうげ)を共にしました。


 両親の家――つまり私が生まれ育った家――は、ネーヴィルから西へ車で二時間ほど行ったところにありました。共和国西側の沿岸部に位置するこの町の名は、〈スーク〉といいました。ゆるやかに連なる標高の低い山々と、延々と続く海岸とに挟まれる、人口二千にも満たない小さな町です。私の生家は、その町のいちばん(はじ)っこの、眼下に海を(のぞ)む崖のうえに立っていました。一方で、玄関のすぐ目の前には広々とした石畳の街道が敷かれていました。家を一歩出るだけで、道沿いに(ほど)よく(しげ)った雑木林も、その上空にゆるやかな曲線を描く連山の輪郭も、そして地平線に吸い込まれていく街道の左右の果ても、すべてがいっぺんに見渡せました。
 スークの町の中心部は、雑木林の向こう側にありました。日が暮れると、私の部屋があった二階の窓からは、樹々(きぎ)のあいだに明滅する町の(あかり)が、まるでいくつものキャンドルのように見えたものでした。
 夜が深まると、私と恋人はそれらの光を(さかな)にグラスを傾け、やがて一緒に庭へ出ました。
 さすがに造園の大家だった父の庭だけあって、実に見事に手入れがされています。今にも素敵な物語が始まりそうな、ぬくもりのあるレンガ敷きの小径(こみち)。それをやさしく包み込むのは、絶妙に配置された草樹(そうじゅ)が織りなす天然のアーチ。池のほとりには妖精たちのための小さな家が立っていて、花壇は季節の花々とさまざまなハーブでいっぱいです。私と恋人は肩を抱きあって小径を辿り、家の裏手へ出ました。そこにはたくさんの鉢植えに囲まれて、二つのビーチベッドがならべて置いてあります。ちょっと寝ていいかなと恋人が()くので、私はもちろんとこたえました。彼女はベッドに横たわると、春の夜風と潮騒に心を委ねるように、そっと両目を閉じました。
 私は彼女が眠るベッドの端に軽く腰かけて、庭をすみずみまで眺めました。なかば、蜃気楼にでも遭遇したような気持ちで。
 両親が働き盛りだった頃には、ここに庭らしい庭はありませんでした。ただ、一面に芝生が広がっているだけでした。その当時の父は俗に言う「売れっ子」というやつで、それこそ大陸じゅうを飛び回っていました。王都の名家の庭だっていくつか手掛けたし、戦前には諸国の城や宮殿の庭づくりを主導することもありました。家に帰ってくるのは、年に三カ月もなかったのではないかと思います。そして帰ってきているあいだも家族の相手と次の仕事の準備と個人的な研究に没頭して、皮肉にも自分の庭を造る暇がなかったのです。だから庭に関する私の幼少期の記憶には、毎週のように呼ばれる業者の人たちがせっせと芝刈りにいそしむ光景ばかりが残っています。母は母で仕事と子育てに忙しく、とても庭にまでは手が及ばない様子でした。
 すっかり寝入ってしまった恋人の手からグラスを抜き取ると、立ち上がって家を見あげました。ちょうど頭上に、私が子ども時代を過ごした部屋があります。窓に月光が反射して、ほんのりと銀色に光っています。家ぜんたいの白壁(しらかべ)も、まるで夜のあいだだけ皮膚の色が変わる神話のなかの生きもののように、透きとおるような青に染められています。
 その昔、この家は現在の二倍の大きさがありました。今はなくなってしまったそのもう半分の方で、母が個人診療所を運営していました。私が子どもだった頃の話です。
 二つのグラスをベッド脇のテーブルに置き、私は上着を脱いで恋人の体にそれを掛けました。彼女の頬に軽く口づけすると、私は静かに決意して、崖に向かいました。
 庭の外れに、崖の下へと続く細い階段があります。私たち家族しか存在を知らない、土を削って木枠を埋めこんだだけの、少々危なっかしい秘密の階段です。断崖の壁には手摺(てすり)がわりのロープが太い釘で打ちつけてあります。私はそれを両手でつかみ、じりじりと降りていきました。
 崖を(くだ)った先には砂浜が広がっています。一面、真っ白です。誰の気配もありません。連綿と峭立(しょうりつ)する岸壁に波と風の音がぶつかり、その反響がちょっと耳に痛いくらいです。空には過剰なほどに星々が満ちています。月はほぼ満月で、(あか)りがいらないほどの明るさです。私は波打ち際をなぞるように歩きました。いつしか、酔いも()めてしまいました。
 やがて、岸壁がぽっかりと一瞬だけ途切れる場所までやって来ました。崖と崖の隙間にわずかに(ひら)けた空間があり、直上には街道の一部である石橋が架かっています。その真下には、まるで海に挑みかかろうとする軍勢のように、黒々とした濃密な(やぶ)が生い繁っています。
 私は立ち止まり、藪を見つめ、そして振り返って海を一望し、また(かかと)を回して藪を見やり、それから、藪と海の中間地点、今まさに私が踏みしめている砂地を、じっと見おろしました。
 先ほど恋人の寝顔を見た瞬間、私は――どうしてかは自分でもわからないけれど――再びここに来てみることを思い立ちました。そして、こうして古い記憶を呼び覚ますことも。
 たった一度だけ、私は男の人に恋したことがありました。
 その時私は十歳になったばかりで、それは今とおなじ春の終わりの温かい季節で、だからそれは、今からぴったり20年前の出来事ということになります。
 彼は、私が立っているこの場所に、独りぼっちでその身を横たえていました。幼い少女だったあの日の私は、夕暮れ時に一人でここまで冒険に出てきて、そして彼を見つけたのでした。
 そこから、あの短くも波乱に富んだ不思議な日々が、始まりました。
 今からその日々の話をします。


    2


 その日、母は休日でした。でも一日じゅうおてんば(十歳の私です)の相手をしたおかげで、日が暮れる頃には仕事のある日以上に疲れきってしまいました。二人で協力して夕食の仕込みを終えると、母は一時間後に起こしてと言い残してソファに埋没しました。
 朝からずっと焼きたてのパンみたいな温かさに包まれた日で、居間のテラスの窓は端から端まで開け放しにしてありました。かすかに赤く染まりだした西日(にしび)が、眠りこける母の体に注がれていました。私は彼女のお腹にブランケットを掛けてあげてから、これさいわいと、一目散に浜辺へ向かいました。この当時、自分一人で崖下の世界を開拓するのが、私にとってなにより重要な使命でした(自分で自分に課した使命ですが)。自由放任主義者の両親であっても、さすがに暗くなってから浜に降りることは許可してくれませんでしたから、この瞬間が今日という日における最後の好機だったのです。
 階段を下って砂地に降り立つと、靴を脱いで深く息を吸って、そのまま間髪を入れず駆けだしました。生温かい砂のうえを裸足で走ることほど、気持ちの良いことってありません。私は好きな歌をめちゃくちゃな音程でうたいながら、どこまでも波打ち際と並走しました。
 そしてあの場所まで来ました。果てなく連なる断崖の壁が、まるで(はさみ)でちょきんと切られたように一時中断するあたりです。ここまでやって来るのは、その頃の私にとって初めてのことでした。つまり、冒険の最長踏破距離の記録を更新したわけです。嬉しくないはずがありません。けれど、その時の私の(おもて)に、笑顔は浮かんでいませんでした。
 20年前の当時も、その場所の上空には古い石橋が渡されていて、崖の隙間からは藪がもじゃもじゃと()い出てきていました。だから遠くから発見した時、私は彼のことを、藪から転がり出た倒木かなにかだと思っていました。あるいは、崩れて落っこちてきた石橋の欠片(かけら)か、どこかから流れ着いた流木かなにかだろうと。とにかく、それがまさか人間だなんて、これっぽっちも想像しませんでした。
 私は冒険のこともそろそろ日が暮れるということも忘れて、彼のかたわらに立ち尽くしました。
 彼は独りでした。うつ伏せになって、砂のうえにばったりと倒れ込んでいました。ぴくりとも、動きません。
 死んでる。
 それが私が最初に抱いた感想でした。でも不思議と、恐怖心のようなものは湧いてきません。この浜辺ではときどき、陸に打ちあげられたくらげの死骸を見かけます。白っぽくて、透きとおっていて、くったりとしていて、まるで水のかたまりみたいに砂のうえに横たわる、可哀想なくらげ。彼のことを、私は無邪気にも、そういうくらげたちの仲間のようなものだと思ってしまったのでした。
 彼は、男の子と呼ぶべきか男の人と呼ぶべきか、いちばん判断のつきづらい年頃の男性に見えました。背が低くて、腕も脚も胴体もつくしんぼみたいに華奢で、肌には生気がまったくありません。当人の髪の毛の色と一緒で、真っ白けです。上下に着ている簡素な肌着みたいなものも、おなじく白です。
 私はその場にしゃがみこみ、彼の寝顔を近くから眺めました。長く濃い睫毛(まつげ)が、閉ざされたまぶたの境界からはみ出ています。すっと通った鼻。(かたく)なに結ばれた小ぶりの唇。初雪のように純白の髪は、まさに水中を漂うくらげにそっくりなかたちをしています。
「くらげさん」私は彼の耳もとでささやきました。「死んじゃったの?」
 やはり返事はありません。なんの反応もありません。ただ沈黙しています。茜色(あかねいろ)の光と、永遠の波の音が押し寄せるなか、倒れた()のように、あるいは墜落した石のように、深く無音を貫くばかりです。
 私は顔を上げて水平線を睨みました。その線と太陽との間隔を測りました。じきに光の部が終了し、闇の部が開幕します。それまでには、私は家に帰って母を起こさなくてはいけません。
 ところで、幼い者というのは、時として突発的に――あるいは直観的に――奇妙な儀式を発案するものですが、その時の私がまさにそうでした。私はしゃがんだ姿勢のまま両手を自分の顔の前に持ち上げました。そしてゆっくりと数えはじめました。
 いーち、にーい、さーん、しーい……
 10まで数えるうちにこの人が目覚めたら、思いっきり走って帰って母を叩き起こそう。
 10を過ぎてもなにも起こらなかったら、普通に帰って普通に母を起こそう。それから、丁寧に慎重に穏便に、このことを報告しよう。
 私はそう決めていました。
 なーな、はーち、きゅーう、じゅーう……
 彼は10が11を引き寄せるために潜在的に備えている空隙(くうげき)が現れた刹那に、こくっと喉仏を上下させました。
 もちろん私は、死に物狂いで家に飛んで帰りました。


 デビィとたいして変わらないわ、というのが、彼を背負った母が口にした最初の言葉でした。体重のことです。
 私の叫び声を聴きつけて飛び起きた母は、血相を変えて庭へ出てきました。そして娘の無事を確認していったん胸を撫で下ろしてから、息つくまもなく、私に腕を引っ張られるがままあの人のところへ連れてこられました。
 さすがの手際(てぎわ)でした。母はすぐに彼の状態をたしかめ、まだ息があることを確信するやいなや、彼の体を自分の背中に担ぎました。もちろん私も手を貸しましたが、それは本当にびっくりするくらい軽い体でした。母と私はしょっちゅう二人で山登りやキャンプに出かけます。重い荷物を運んだり長い距離を歩くのは、慣れっこです。山道で足を(くじ)いた私をおんぶして下山した経験も、母にはありました。
 庭へと続く階段をのぼるのは一苦労でしたが、それでもなんとか、私たち三人は無事に家に辿り着くことができました。
 建物の構造的に、診療設備が整っている場所は庭からいちばん遠くに位置していました。患者を背負ったままそこまで行く時間は惜しく、母は瞬間的に判断してテラスから直接家のなかに入り、居間の隣にある来客用の寝室に彼を運び入れました。私に彼から目を離さないでおくようにと言いつけると、母は身をひるがえして診療所に向かいました。家と診療所は、短い渡り廊下で繋がっていました。
 往診の際に携行する大きな箱型の(かばん)を持って、母は戻りました。そして(またたく)く間に体温、血圧、脈拍を測り、胸の音を聴き、眼球の動きを調べ、服を脱がせて全身の皮膚と骨の具合を診ました。私はさらに指示を受けて、水を張った洗面器と清潔なタオルを何枚か運んできました。それらを私が用意するあいだに、母は当時発明されたばかりだった発顕因子(はっけんいんし)測定器を鞄から取り出していました。
「この人どうなっちゃうの?」私はおそるおそる母の顔を見あげました。
「あんまり良くないわ」(ひたい)にびっしりと汗を浮かべて、彼女は言いました。でも一瞬だけほほえんで、私に片目を(つむ)ってみせました。「そんな顔しないの。大丈夫よ、死にはしないから。お母さんを誰だと思ってるの?」
 私は深く息を吸ってうなずきました。
 それから母はベッド脇に身をかがめ、患者の血液を採取しました。私は血を見るのが苦手だったので、すかさず後ずさってドアの(かげ)に身を潜めました。そこから母の背中を眺めました。まぶたを半分閉ざして、こわごわと。
 母はしかし、それからしばらく動きませんでした。眠る彼のかたわらに中腰の体勢で立ったまま、ぴたりと手を止めたきり、黙りこくってしまいました。
「お母さん?」
 私は暗がりから出ていきました。紫と群青の(ころも)をまとった午後の最後の光が、部屋じゅうに注がれていました。波の音が、やけに騒然と響き渡ります。
「お母さんったら」私はくり返しました。
「あ、うん」ぱっと背筋を伸ばして、母はこちらを振り返りました。「なに?」
「ねぇ、誰か呼んでこようか?」私は居間に設置されている鉱晶伝話器(こうしょうでんわき)を指差しました。「この時間ならまだ、看護士さんのデイジィ――」
「待って」母が(さえぎ)りました。
「え」私は手をさっと降ろしました。「でも……」
「大丈夫だって、言ったでしょ」母はにこりと笑顔をつくりました。「この人はね、ただ疲れて、ちょっと熱を出してるだけだから」
「ほんと?」私は眉をひそめました。「ほんとに、それだけ?」
「そうよ」母はうなずきます。「お母さんが嘘ついたことあるかしら?」
「……ううん」私はしぶしぶ首を振りました。「でも、それじゃあ、どうするの? 診療所の方に運ぶ?」
「……いいえ」再び患者の寝顔に目を落として、母は首を振りました。
「どうして? ここより、あっちの方が……」
「このまま動かさない方がいいわ」母は低い声で言いました。「さっきも言ったけど、この人は

。じっと休ませておくのが、いちばんの特効薬なのよ」
「休ませるって、いつまで?」私は素朴な疑問を口にしました。
 母は肩をすくめます。「さあ」
「さあ、って……」
「たぶんそんなにはかからないはずよ」こちらにやって来て、母は私の頭を撫でました。「だから、しばらくこうして寝かせといてあげましょう。ね」
「……うん」仕方なく、私は了承しました。本当に、仕方なく。
「さて、じゃあお母さんはお薬と点滴の支度をするから」母は言いました。「デビィは晩ごはんの支度をお願い」
「わかったわ」私はうなずきました。「何人分?」
「さすがにまだこの人は起きないわよ」母は苦笑しました。「だからいつもどおり、二人ぶん」
「お父さんは……」
 母は私を正面からそっと抱きしめました。そして小さな声で言いました。
「お父さんが帰ってくるのは、二ヵ月半後。大丈夫、心配しないで。お母さんがあなたと家を護るから。必ず」
 私は母に抱擁を返しました。それから二人それぞれの仕事に取りかかりました。
 こうしたわけで、この日から私たち三人の奇妙な共同生活が始まりました。と言っても、最初の一ヵ月間は、そのうちの一人はずっと寝ているだけでしたが。


    3


 彼が意識を取り戻したのは、よりによって母の医院が始まって以来最大の修羅場を迎えている日のことでした。
 この時期、スークの町は、不穏な空気に包まれていました。
 最初の火の手があがったのは、彼が目を覚ます十日ほど前のこと。場所は、繁華街にある小さな食堂でした。夜のうちに出火し、朝になるまでにその店の半分が焼け落ちてしまいました。場所が場所なだけに、店主たちも町の住人たちの多くも、そして憲兵たちも、調理場の火の不始末(ふしまつ)が原因だろうと推定しました。怪我人は数名ありましたが死者はなく、ひとまずみんなで安堵の吐息をつきました。町の新聞はこの事件を一面で取り上げ、明日は我が身、くれぐれも気をつけようと、住民たちに注意を喚起しました。
 しかしその二日後、今度はしとしとと小雨の降る夜に、町外れの農家が大きな牛小屋と鶏小屋を失いました。火は、たくさんの動物たちを苦しめ、その命を焼き尽くし、建物の大部分を崩壊させました。今回の出火原因は、憲兵隊の調査によって放火と断定されました。その日から、町じゅうの人々による互いへの声かけと厳重な見回りが始まりました。
 それでも、次の火を止めることは誰にもできませんでした。
 三度目の火は、街道沿いの雑木林のなかに立つ宿屋を襲いました。さして大きな宿ではありませんでしたが、ぬくもりのある木造建築であることを売りにしていたその建物は、あますところなく真っ黒な炭と化してしまいました。今回は、早朝の犯行でした。火の気のまったくない倉庫を起点として(おこ)り、まるで人々を嘲笑うかのように燃え広がった炎は、ついに人の命を奪いました。死者は二名、宿の経営者である高齢の夫婦でした。さらには、従業員のなかに二名の重傷者と、宿泊客のなかに四名の軽傷者が出ました。その六名は、憲兵と消防の手によって、最寄りの病院に運び込まれました。つまり、うちに。
 うちに勤めるすべての看護士だけでなく、町の他の病院に所属する看護士たちも数人駆けつけました。玄関先や庭にはたくさんの馬車や蒸気自動車が押し寄せ、おおぜいの人たちが医院に詰めかけました。私は家でおとなしくしていなさいと言いつけられて、そのとおりにしました。診療所へと通じるドアを閉めて、家じゅうの窓とカーテンも閉めて、ついでに自分の耳も両手で(ふさ)いで、ぬいぐるみと一緒に居間のソファに頭を突っ込みました。できることなら手伝いに行きたかったけれど、見慣れた診療所のベッドや母の両手が血に染まっている光景を想像するだけで、怖くて怖くてたまりませんでした。おとなたちの怒号や悲鳴、ばしゃばしゃと切られるカメラのシャッター音、がちゃんがちゃんと鳴り響くわけのわからない物音が、まるで悪魔たちの執拗なノックの音のように、私のまわりで渦を巻きました。早く終わって、消えて、消えて、みんな消えて、と口のなかでくり返し唱えながら、私は涙の浮かぶ両目をきつく閉ざし、ただひたすらに、笑顔の母が帰ってくるのを待ちました。
 そして、おそらくは、幼い精神を守護しようという肉体の防衛本能が発動したためだと思うのですが、私はソファに顔を(うず)めたまま、なんとそのままぐうぐうと眠り込んでしまったのでした。


 結局、昼前まで寝入ってしまいました。そして本能の思惑どおり、目覚めた時には嵐は去っていました。
 私の隣には母が座っていました。はれぼったい両目をごしごしとこすって、私は彼女を見あげました。淡い藤色の豊かな髪が、まるで暴風のなかを突破してここまでやって来たみたいに、彼女の顔の周囲で荒れ狂っていました。けれどその表情は、台風の目のなかのように穏やかです。消毒液のにおいの残る手のひらで、自分のものとおなじ色の娘の髪――ただしこちらは男の子より短いくらいに刈ってありますが――を、さわさわと撫でています。私は母の胸に抱きつきました。
「終わったの?」私は訊きました。
 母はうなずきました。私の髪をより入念に撫でながら。そして説明してくれました。
 軽傷ですんだ患者たちは、治療を受けたあとで各々の家族や憲兵たちに保護されて、帰宅の途に就きました。重傷を負った二名は、うちでの応急処置が完了した直後に、専門医による緊急手術を受けるために別の町の病院に運ばれていきました。召集された看護士たちは今日当直の人を除いて解散を告げられました。今はいったん診療所を閉めて、午後からの一般診療の再開までの休憩時間に入ったところでした。
 私はテラスのカーテンと窓をめいっぱい開放しました。緑の芝生と青の空が、まるでなにごともなかったかのように平然と輝いています。崖の下から湧きあがる波の音も、普段より余計にのんびりとして聴こえます。あんなにたくさん停まっていた馬車と自動車は、みんなどこかに行ってしまいました。新聞記者や憲兵や野次馬たちも、もう誰一人残っていません。
「おなかぺこぺこね」母が背後から私の肩を抱きました。
「なに食べよう」私は頭上を振り仰ぎます。
「なにがいっかなぁ」歌うような調子をつけて母は言います。「ま、とりあえずコーヒーでも淹れてから、考えますか。デビィは窓をみんな開けてきてくれる?」
「うんわかった」
 母は自分の肩や腕をほぐしながら、居間の一隅(いちぐう)にある食堂へと向かいました。私はさっそくいちばん近い部屋から始めることにして、くらげさんの寝室に入りました。そして悲鳴をあげました。
「どうしたの!」
 すぐに母が飛んできました。私は部屋の入口のところに立ちすくんで、無人になっているベッドを指差しました。
「なんてこと」頬を青ざめさせて、母はベッドに近づきます。「いったいどこ――」そこまで言いかけて、あっと叫びをもらします。
「お母さん」私は声を震わせながら、母の背中に駆け寄ります。そしてやはり私も、はっと息を吐きました。
 くらげさんは、ベッドの向こう側に転落していました。最初に浜辺で見つけた時とおなじように、床に這いつくばっています。
「しっかり」すかさず母は彼を抱き起こしました。「しっかりなさい」
 かくん、と首を後ろにのけぞらせたくらげさんは、そのまま母の腕のなかに身を委ねて、そしてついに、私たちの目に見えるかたちで、そのまぶたを開きました。ほんの、針一本ぶんくらいの幅でしたけれど。
「……ィア」彼は喉の奥でうめきました。「イ……サ……」
「なに?」母が彼の口もとに耳を近づけます。
「み……み」彼は顔をしかめます。「み、みず」
「水!」思いきり振り返り、母が私に命じました。「デビィ、水を持ってきて!」
 私は両手をぎゅっと胸の前で握りしめ、弾け飛ぶように食堂へ駆け込みました。


    4


 ひとしきり水を飲んだあとで、彼は再びベッドに横になりました。苦しそうに両目を閉じて、時間をかけて呼吸を整えると、落ち着かなげに自分の胸やお腹をまさぐりました。
「痛むの?」彼の表情をじっと窺いながら、母がたずねました。
「とけい」彼は目を薄く開けて言いました。「僕の、時計は」
 母が背後に立つ私に目配せしました。私はこの部屋の鏡台に置いておいた懐中(かいちゅう)時計を取ってきました。それは彼が身に着けていた唯一の所持品でした。はじめにここで介抱された時、その骨董品みたいなロケットペンダント型の時計は、彼の首に掛けられて肌着のなかに収まっていました。
 私がそれを手に持たせると、彼はそれがたしかに自分のものであることをたしかめてから、両手で強く握りしめて自身の心臓のうえに置きました。
「胸の音を聴かせて」母が聴診器を装着しながら言いました。「時計は、こちらで預かっておくわ」
 けれど彼の手はきつく結ばれたまま微動だにしません。
「心配いらないから」母が穏やかな声音で語りかけました。「ここは、安全だから」
「ここは?」彼は片目を開けて母を見上げました。
「私の家よ」母は言いました。「私は、ナン・コベリン。医者よ。こっちは娘のデビィ。そしてここは、ユークレス共和国のスークという町」
 彼は今耳にした言葉を、一つずつじっくりと検分しました。そういうちょっとした()と、かすかな眼球の震えがありました。
「今は……」わずかに首を横に倒して、彼は窓の方を見やりました。「……もう昼ですか。しまったな。こうしちゃいられない」
 母と私は顔を見合わせました。
「ねぇ……」私はそろそろと母の背後から出ていきました。そして彼のそばに立ちました。「なにか、用事でもあったの?」
 彼は途端に顔を(ゆが)めて、ぐっとうなずきました。
「行かなくちゃ」
「ね、それって、

?」私はさらに訊きました。
 彼は少し首をかしげました。母が音もなくため息をついて、彼の肩に片手を添えました。
「よく聞いて」母は言いました。「あなた、一カ月間も寝ていたのよ」
「なんですって」
 彼は深く息を呑みました。それと同時に、ここで初めてその二つの瞳が全開にされました。それらは、これまでどこでも見たことがないくらいに、遠くまで澄んだ青色をしていました。
「では、今日は……」彼が呆然とつぶやきます。
「えっと」私は指折り数えます。「今日は、ヤムの月の27日」
 それを耳にした瞬間、彼の体がふわっと持ち上がる気配がありました。けれど、母がそれを許すはずもありません。肩に添えた手は、その予防線でした。
「動いてはだめ」おそろしく厳しい声で母が告げました。「無理をしてはいけません。あなたの命を救った医師として、命じます」
「しかし」彼はみずからを押さえつける手にすがります。
 母は顔つきを一切変えず、手からも力を抜きません。
 そこで彼は軽く()きこみました。
「言ったでしょう」母がかぶりを振りました。「本当なら死んでいたかもしれないのよ。絶対に、まだ安静にしておかなくちゃだめ。でないと、今後の人生に重い(かせ)を残すことになるわよ」
 胸いっぱいに憐れみが広がっていくのを感じながら、私はもう一度グラスに水を注いで彼の口もとに運んであげました。彼はそれをじわじわと飲み込んで、どうにか平静を取り戻しました。
「なにか事情があるのはわかったわ」声の調子をそっと落として、母が言いました。そして彼の拳を開き、懐中時計を受け取りました。「でも、こう言ってはなんだけど、今さら慌てたってどうしようもないでしょう。ここは私たちを信じて、ひとまず体を休めなさい」
「……すみません」彼はきちんと医師と私の目を見て言いました。
 肌着のボタンを外し、その真っ白で平べったい胸に聴診器を近づけながら、母はたずねました。
「あなた、名前は?」
「一ヶ月間、なんと呼んでいたのです」逆に彼が訊き返してきました。
 私たち親子はまた顔を見合わせました。母は困ったような小さな笑みをこぼしました。
「……くらげさん」私は頬を少しばかり赤らめて、正直にこたえました。
「それでいいです」
 彼は言って、両手を体の横にどさりとこぼして、また気を失ってしまいました。


 一日がすっかり終わり、母も私もあとは歯を磨いて眠るだけ、という頃になって、くらげさんは再び目覚めました。彼の寝ている部屋から物音がしたので、母がそれに気付きました。洗面所で歯ブラシを手にしたところだった私に、あとのことはいいからあなたは早くお休みなさいと言い残して、彼女は一人で彼の様子を見に行きました。
 私は言われたとおりにしました。けれどやっぱり気になって、一度はベッドに潜り込みましたが、こっそり抜け出すことにしました。もしも彼が望むなら――そして読書するだけの体力があるのなら――貸してあげようと思って、私が大事にしている冒険小説を何冊か、手土産に持っていくことにしました。
 自室を出てそろりそろりと階段を降り、廊下の(かど)から先をうかがうと、母と彼の話し声がかすかに聴こえてきました。
「そうですか」彼は言いました。昼よりは若干声に張りが出てきたようです。「でも、なぜです。なぜ、このままここに置いてくださるのです。診療所の方か、あるいは入院設備が整っている他の病院に移した方が、なにかと都合も良いのではありませんか」
「まあね」母は嘆息しました。さすがに、一日の疲れが声に(にじ)み出ています。「それは、そのとおりね」
「それに……」彼は静かな口調で続けます。「……ナン先生。あなたどうやら、この身元不明の人間(ぼく)のことを、軍警察に知らせていませんね」
「そうしてほしかった?」母がすぐに返します。
 彼はいっとき口をつぐみます。
「そうしてほしいなら、そうするけど。今からでも」母が言います。
「ナン先生」
「なにかしら」
「あなた、調べたんだ。僕の体を」
「そりゃあ、医者だもの」
「発顕因子測定器は、まともに機能しましたか」
 今度は母が沈黙しました。ぴんと(はがね)の糸を張るような、硬く鋭い沈黙でした。
「壊れたかと思ったわ」やがて母が言いました。「だから、何度も測定し直したし、機械の調整もやり直してもらった」
 ふっと彼が笑った気がしました。そういう空気の揺れが、壁の向こうから伝わってきたように感じました。
「さぁ、それで、なにを尋ねますか。僕に」彼が言いました。
「私は医者よ」母はあっさりと告げました。まるでタンポポの綿毛を吹いて飛ばすみたいな息づかいで。「私はただ自分の務めを果たすだけ。それ以外のことについては、一切関与しない。詮索(せんさく)もしない」
 彼は深々と息をつきました。
「体がじゅうぶんに快復したら、すぐに出ていってもらうわ」母が宣告しました。「それなりの治療費と、入院費も請求させてもらうつもり」
「それでかまいません」彼は言いました。「まさかあなたのような医者が、まだいらっしゃったなんて。感謝しますよ、ナン先生」
「感謝なら、まずデビィにすることね」
「娘さん?」
「そうよ」母は言います。「あの子があなたを見つけて、ここへ連れてきたんだから。それに――」
 彼は続きを待ちます。
「それに、あの子はあなたを気に入ってると思う」吐息まじりに母は言いました。「この一ヵ月のあいだ、ずいぶんあなたの世話を買って出てくれたわ」
「そうですか」彼は微笑しました。「それは、また改めてお礼を言わなくちゃ」
「そうね」ここでとつぜん釘を刺すかのように、母は声に冷ややかな芯を通しました。「ねぇ。娘の思慕と献身に免じて、そして私自身の人を見る目に賭けて、とりあえずはあなたのこと信用する。でも、わかってると思うけど、もしあの子になにかしようとしたら、殺すわよ」
「わかってます」彼はきっぱりとこたえました。「わかってますとも」
 なんだか恐ろしいような、いたたまれないような、なんとも言えない気持ちになってきて、私はついに足音を発しました。二人の耳にはっきり届くように、ぱたぱたと。
「デビィ」険しい顔つきを早業(はやわざ)みたいに取り払って、母が振り返りました。「眠れないの?」
「ううん」私は何冊かの本を抱えて、二人の近くへ進み出ました。「あの、これ……」
「ん?」母が首をかしげます。
 その後ろで、くらげさんはもぞもぞと上体を起こしました。そしてぼんやりとした目つきで私の姿を眺めました。私はじわりと頬が熱くなるのを感じました。
「おや……」彼は目を細めました。
「なぁに、それ?」母が私の腕のなかに視線を注ぎます。
「もしかしたら、なにか読むものがあったらいいんじゃないかと思って」私は早口で言いました。そしてベッドに本を置きました。「よかったら、どうぞ」
 くらげさんは一冊の本へ手を伸ばし、丁寧に両手で持ち上げると、じっと表紙の絵に見入りました。そこでは、妖精の剣士や魔法使いの一団が、巨大な黒い鎧の兵士に立ち向かっています。
「貸してくれるのですか」彼は顔を上げて、私の瞳をまじまじと見つめました。
 私はうなずき、母の背中に体の半分を隠しました。耳の先まで熱くなるのを感じながら。
「こういうの、読むの?」母が彼に訊きました。
「ええ。小さい頃から愛読しています」彼は懐かしそうにほほえみました。そして身を前に乗り出して、私に向かって頭をさげました。「よく、僕の好きな本がわかりましたね。どうもありがとう。デビィさん」
「いいえ」ぶんぶんと首を振り、私は宙返りするみたいに一息(ひといき)でドアのところまで後退しました。そして舌をもつれさせないように気をつけて、丁重に言いました。「では、お大事に。おやすみなさい」
「おやすみなさい」二人が声をそろえました。
 一瞬で階段を駆け上がって自分の部屋に戻ると、ベッドに飛び込んでぬいぐるみたちを思いきり抱きしめました。
「デビィさん、だって」
 いちばんお気に入りの(そしていちばん古株(ふるかぶ)でもある)大きなピンク色のウサギの耳に唇を押しつけて、私は抑えた声で叫びました。そしてひとしきりくすくすと笑ってから、目まぐるしい一日に別れを告げました。


    5


 当時はとくに疑問にも思いませんでしたが、彼の快復力の凄まじさには、ちょっと目を見張るべきものがありました。意識が戻った日の翌朝には自分でお手洗いに行けるようになったし、部屋のなかを少し歩き回ることもできるようになりました。点滴で用いる薬剤の量も投与時間も一気に半分以下になり、二、三日もすると母や私とおなじ食事をとることだって可能になりました。
 目覚めてから十日もしないうちに、家のなかと庭くらいなら自由に歩いてもいいと、母が彼に許可を与えました。
 しかしそうなると当然、彼の存在を私たち以外の人に知られてしまうことになります。そこで母は、彼のことを自分の遠い親戚の家の子だという設定にしました。ちょっと体を壊してしまって、空気の良い環境で静養するためにしばらくうちで預かることになったの、と説明すると、うちを訪ねてくる人たちも診療所の職員たちも、みんなすんなり了解しました。もちろん私も、話を合わせました。嘘をつくのはあんまり気持ちの良いことではなかったけれど、でもそんなことより、独りぼっちで困っている彼を守ってあげられるのは私たち親子しかいないんだ、という使命感の方が、私にとっては遥かに、遥かに大事なものでした。それに正直、こういう

秘密を抱えて暮らすというのは、なかなかにわるくないものでした。とくに、彼みたいに

であれば、なおさら。
 彼はほんとうに優しい人でした。そして不思議なほどに、(ふところ)の深い人でした。当時の私が知っていた若い男の人で、こんな人は彼の他に一人だっていやしませんでした。私とおなじ学級の男の子たちはほぼ全員救いようがないほど愚かで未熟で、それより少し年上の男の人たちはほぼ全員どこまでも浅薄(せんぱく)小賢(こざか)しい目つきをしていました。そんな悲惨な荒野のなかにあって、くらげさんはまるで雲を突き抜けてそびえ立つ美しい塔のようでした。今よりずっと引っ込み思案で、ちょっと気難しいところのある子どもだった私なのに、彼の前では、とても()けっぴろげに笑ったりお喋りしたり甘えたりすることができました。
 おとなになった今でも、あの頃の気持ちを思い出すだけで、なんだか胸がじゅわっと溶けてしまうような感じがします。そこには恋心はもちろんのこと、ひたむきな憧れや友情、それにやみくもな母性の発露もありました。生まれて初めて抱くこうした感情を、私は(うま)く取り扱うことも、上手(じょうず)に押し隠すこともできませんでした。彼はきっとすぐに私の心情に気付いたと思います。まるで咲いたばかりの花を見守るように、あるいはそっと手を添えるように、彼は私に接してくれました。私たちは、日に日に仲良くなっていきました。
 母と私が外出している平日の日中には、彼は体調に無理のない範囲で家事を引き受けてくれたり、来客や伝話の応対をしてくれたり、庭の雑草だって抜いてくれました。それに彼はたいへんな読書家でした。一人で過ごす自由な時間のすべてを、本を読むことに費やしているようでした。私が貸してあげた冒険小説の連作をぜんぶ読み返すと、今度は父の書斎から母が持ってきた造園関連の書籍を片っ端から読んでいきました。難しい研究書や専門書も、彼はすらすらと読んでしまいました。ただ読むだけでなく、一つ一つきちんと内容を理解して吸収しているようでした。三人で食卓を囲む時に、そうして得た知識をいくつも披露してくれました。あなたきっとうちの人と気が合うわよ、と母はそのたびに苦笑しました。
 はじめの頃は警戒をなかなか崩さなかった母でしたが、三人で穏やかに日々を送るうちに、いつしか自然と心を許すようになっていました。母もまた彼を「くらげくん」と呼びました。不要な詮索はしないと最初に言明(げんめい)したとおりに、彼の本名や出自を母の方から尋ねることは、一切ありませんでした。私もやはり、彼が抱えていると思われるなんらかの事情に関して、決して触れようとはしませんでした。もちろん、関心や興味がないわけではありませんでした。むしろ根掘り葉掘りいろんなことを聞き出したい気持ちが強くありました。でも、彼がただただ静かで()い人なものだから、そんな人を困らせたくない一心で、私はずっと口の一部を封鎖しつづけました。
 私も、そして母も、どうにか彼の助けになりたいと思うようになっていました。
 どうにかもっと安心して、体をすっかり良くしてほしいと、願っていました。
 そんな私たちの想いを、彼の方でも率直に感じ取り、受けとめてくれているような、そんな手応えがありました。
 私たち親子は、実に当たり前のこととして、彼を家族の一員のように思いはじめていました。
 けれど、だからこそ、私たちにはわかっていました。
 


 そして、


 ()が沈んであたりが暗くなると、私はよく二人ぶんの温かい飲み物をつくって、彼を庭へ誘い出しました。二人ならんで芝生のうえやベンチに腰をおろし、ぽつりぽつりと他愛のないお話をしながら、長いこと星空や夜の海を眺めました。
 そんな時に、彼の横顔にときどき浮かんだ寂しげな表情を、私は生涯忘れることがないでしょう。それは私の網膜と記憶のなかに、一種の

として、深く静かに、刻み込まれています。
 それを思い出すたびに、私の心は泣きたくなります。あの頃も、そして今も。


 ベッドから出られるようになって三週間ほどが経った頃、ついにくらげさんにまともな外出許可が下りました。
 (きた)る夏の予兆を肌身に感じる、爽やかに晴れ上がったある週末のことでした。もう何日も前から約束していた親子でのお出かけが、母の急な用事によって取り()めになってしまいました。この日、スークの町にやって来ると予告されていた大道芸の一座を観ることを、私はそれはもう楽しみにしていました。なので、当日の朝になってとつぜん予定の解消を告げられて、私は崖から落ちてしまった仔山羊(こやぎ)みたいに泣き(わめ)きました。
 そんな私を見るに見かねて、くらげさんが主治医に提案してくれたのでした。それなら自分が代わりに付き添って町へ行きますと。
 意外なことに、母はさして迷うことなく首を縦に振りました。あまりに悲嘆する娘の姿に、彼女なりに思うところがあったのでしょう。それに、この頃にはもう彼に対する信頼感も、じゅうぶんに揺るぎないものになっていたのだと思います。私は地獄の(ふち)から不死鳥のごとく息を吹き返し、思いがけず訪れた夢のような機会に狂喜しました。
 くらげさんは、母に外出着を借りました。この時の彼の格好を、私はその後いったい何度思い出して、ノートやスケッチブックに描いたことでしょう。
 ぜんたいに細身だけれど(えり)(そで)だけはふんわりと膨らんでいる、染み一つない純白のシルクのシャツ。かたちの良い脚線に沿う柔らかなベージュのスラックス。それに、小さな(ちょう)型の金具がついている、ちょっとだけ(かかと)の高い優美な革サンダル。(つや)やかな白髪(はくはつ)はこの頃には少し伸びてちょうどまぶたにかかるくらいになっていて、かつては痩せこけて悲壮感が(にじ)んでいた頬には、今や春の泉のようなみずみずしい輝きが宿っています。当然、女装した男性の姿が出現するものと予期していた母と私でしたが、その予想は驚くほど華麗に裏切られました。私たちの目の前に現れたのは、「男装の麗人」といった表現がむしろぴったりとくるような、なんとも言えず可憐で中性的な存在でした。
「やっぱり変ですか」くらげさんが照れくさそうに顔を伏せました。
 私たちは首を振りました。「いいえ」母が言いました。「似合ってるわ。ちょっと感じわるいくらいに」
「え?」彼は目を点にしました。
「それじゃ、この子のことくれぐれもよろしくね」彼の肩に手を置いて、母が言いました。「あなたも、まだ無理は厳禁よ。走ったり、長いこと太陽に当たったり、重いものを持ったりしないように。なるべくゆっくり歩いて、こまめに休憩を挟んで、水をたくさん飲んで、昼の薬も忘れずに飲んで、なにより早めに帰ってくること。いいわね」
「はい」
「わたしに任せて、お母さん」私は自分の胸をぽんと叩きました。「くらげさんは、わたしが守るわ」
「あら頼もしい」母が笑いました。
 くらげさんはそっと私の手を取り、頭上からほほえみかけてくれました。
「ありがとう、デビィさん。じゃあ、さっそく行きましょうか」
「うん!」私は彼のほっそりとした手を握りしめました。「こっちよ。わたしについてきて」
 こうして私たちは、家の前まで来てもらった辻馬車に乗り込みました。二人きりで、手を繋いだまま。なにからなにまで美しくて完璧な休日になると、その時には思っていました。


    6


 雑木林のなかを通る街道を抜けて、私たちはスークの町の中心部までやって来ました。よく晴れた休日の午前とあって、どこもそれなりに賑わっています。本当は駆け出したかった私でしたが、くらげさんの手を引いて何度も振り返りながら、なるべくゆっくりと歩きました。
「くらげさん、大丈夫?」
「ええ、平気ですよ」
 そう言ってにっこりとする顔は、たしかにいつになく血色が良いようでした。足取りはやっぱりまだ少しおぼつかない感じもあったけれど、気分は優れているように見えました。彼もまた久しぶりの外出を楽しんでくれているのが伝わってきて、私は余計に嬉しくなりました。
「でも、つらくなったらいつでも言ってね。あっ」私は鞄からいそいそと水筒を取り出して、彼に水を一杯差し出しました。「これ、飲んで」
「ありがとう」
「向こうを歩きましょう」彼が飲み終わらないうちから、私は彼の腕を引っ張って木陰(こかげ)の多い通りへ連れていきました。
「ありがとう」彼はくり返しました。
 スークの町は、こう言ってはなんですが、これぞ名物というべきものが一つもない土地です。でもそれが良いところでもあって、観光客が押し寄せることもなければ、外部からの事業や開発の手が及ぶこともまったくなく、年がら年じゅうのんびりとした風に包まれています。砂色の壁と赤い屋根の家々、馬車が通るのがやっとの細い道々、樹々(きぎ)や花々で(いろど)られるたくさんの(ゆる)い坂道。そんな景色を見渡して、くらげさんは綺麗だねと言ってくれました。私は今までずっとここで暮らしてきて、この町のことが今日ほど綺麗に見えたことはありませんでした。
「その大道芸というのは、どこで観られるのでしょう」全身に木漏れ日を浴びながら、くらげさんがたずねました。
「あそこよ」私は青空に指を突き立てました。「あの高台のうえに、町いちばんの広場があるの。毎年あそこにいらっしゃるの」
「なるほど」彼は手を額にかざして坂道の彼方を見上げました。「あそこは、見晴らしも良さそうですね」
「うん。それはもう、最高なんだよ」私は意気揚々とうなずきました。そして坂のうえからうっすらと漂ってくる人々の歓声に耳を傾けました。「あぁ、きっと始まったわ」
「急ぎましょう」彼は歩幅を広げて、私の手を引いてくれました。


 高台の広場のまんなかには、大昔に海賊の襲来を知らせるために建てられたという小さな鐘楼(しょうろう)が立っていました。五人組の一座は、その鐘の前に整列して、今まさに集まった人だかりに向けて深々と礼をしました。なんとか間に合った私とくらげさんも、みんなに混じって派手に拍手を打ちました。
 赤い鼻をつけた一人のピエロが、バンドネオンを弾きながら進行役をつとめました。(あやつ)り人形を模したパントマイムの寸劇があり、箱から鳩が飛び出す手品があり、地面にならんで寝そべった人たちを一輪車で飛び越えるアクロバットがありました。いずれも盛況を(はく)しました。おとなたちも子どもたちも、おおいに笑ったり叫んだりしました。私もそうしました。そのあいだじゅう、くらげさんは背後から私の肩をそっと支えてくれていました。彼もまた、私の頭上でにこにこと笑みを浮かべていました。
 締めくくりに、ピエロ以外の全員によるジャグリングが披露されました。色鮮やかな無数のお手玉が、まるで空を埋め尽くすように乱舞しました。
「すごいすごい!」私は痛くなるほど手を叩きました。そしてくらげさんを見上げました。「ね、みんな上手ね」
「ええ、とっても」
 彼はうなずきましたが、まさにその直後、その顔色に(かげ)りが差しました。
 中央に立つ一人の芸人に向かって、他の芸人たちがまるで意地悪でもするみたいに、ありったけのお手玉をいっせいに投げつけました。観衆はどよめきました。あまりに玉の数が多すぎて、どう考えたって二本の腕だけじゃ(さば)ききれません。最前列にならんでいた子どもたち――私も含めて――は、とっさに顔を背けました。
 けれど、お手玉は一つも取りこぼされませんでした。
 それらはみんなそっくり、宙にふわりと浮かんで静止していました。
 とぼけた顔をした中央の芸人が、いかにもわざとらしいのろのろとした手つきで、玉を一つずつ空中からもぎ取っていきます。私たちみんな、ほっと息をつきます。
「なぁんだ」私の近くにいた小さな男の子が言いました。「顕術(けんじゅつ)を使えたのかよ。びっくりして損した」
「へぇ」私は目を丸くしました。「顕術士(けんじゅつし)の大道芸人なんて、初めて見たわ」
「めずらしいですか」くらげさんが小さな声でたずねました。
「うん。だって、顕術士って、誰でもなれるものじゃないでしょ」私は言いました。「発顕因子に恵まれたとくべつな血筋の人にしか、あんなにちゃんとした顕術は使えないはずだもの。そういう人はみんな、名門って呼ばれる学校や、地位の高い職場に入るのが普通っていうじゃない」
「そうですか」
「だから、あの人はきっとよっぽど大道芸人になりたかったのね」
 ピエロの奏でる終幕の音楽に合わせて手拍子を打ちながら、私はまたくらげさんの顔を見上げました。彼は無言でうなずきました。
「いろんな人がいるんですね」彼は言いました。
 その瞬間のことでした。先ほど私たちがのぼってきた坂道を猛然と駆け上がってくる、一人のおじいさんがいました。彼は広場にたむろする人々を()き分けて、芸人一座の方へ突進してきます。
「うわ……なに?」
 異変に気付いた私が眉をひそめた時には、すでにくらげさんが私の肩に腕をまわして自身の体にぴったりと寄り添わせていました。
 ピエロは演奏を中断し、慌てふためいて飛びのきました。おじいさんはわけのわからないことをもごもごと(うな)りながら芸人たちを押しのけ、鐘楼のなかに飛び込みました。そして腕がもげそうなくらいはげしく、鐘を打ち鳴らしました。
「火事だ――――!!」彼はようやく言葉らしい言葉を発しました。
 あたり一面から耳をつんざくような悲鳴が湧き起こりました。
「どこだ、じいさん!」誰かが怒鳴りました。
「あれよ!」直後、鐘楼のそばにいた中年の女性が、市街地の一点を指差しました。
 まさにその示された地点から、まるで呪われた不吉な魂のように、一筋の黒い煙が立ち昇っていました。まわりの人たちに押し流されるかたちで、私とくらげさんも展望台の(きわ)まで進み出ました。そして石肌(いしはだ)がむきだしの手摺(てすり)に両手をつき、下界を見おろしました。
「なんてことだい。まだ終わってなかったっていうのかい」最初に指差した女の人が、忌々(いまいま)しげに吐き捨てました。
「どいて、どいて!」広場を巡回していた憲兵たちが数人、人波をかいくぐって坂道を下っていきました。
 あたりが騒然とした空気に包まれるなか、くらげさんはそっと私の両肩に手を置いて、耳もとでささやきました。
「デビィさん。気分は、大丈夫?」
 私はこくりとうなずきました。「……うん。くらげさんは?」
「僕も大丈夫」
 ここではっと思い当たって、私は自分がかぶっていた麦わら帽子を脱いでくらげさんの頭に載せました。私たちのもとには、燦々(さんさん)と太陽が注いでいました。
「ここは明るすぎるわ」私は振り返って彼の腕をつかみました。「涼しいところへ行きましょう」
「ええ」帽子の角度を調整しながら、彼はひそやかな声でつぶやきました。「でも、ちょっと待って」
「えっ――」
「おい、見ろ、あいつ!」梯子(はしご)伝いに鐘楼の屋根にのぼった一人の少年が、思いきり喉を震わせました。「あいつ、なんだ……あれ、あっ、走ってくぞ!」
 彼は指先を眼下の町に突きつけます。
 この場にいる全員が、そちらの方角へ目を向けました。もちろん私も、くらげさんも。
 ますます濃く太く黒い煙を吐き出す一軒の建物の脇に、人が一人通るのが精一杯といったぐあいの、ごく細い路地がかいま見えます。それはいくつもの複雑な形状の曲がり角を経て、最後には町外れの雑木林の奥へと吸い込まれていっています。
 若い男性とおぼしき人影が一つ、その道を鉄砲水みたいな速さで疾走しています。あきらかに、町の中心部とは、反対側の方面へ向かって。
「きっとあいつだよ!」誰かが大声で言いました。「火をつけたんだ!」
「憲兵さん!」どこかで年取った女の人が絶叫しました。「あっち、あっちだよ! 絶対逃がしちゃだめだ、捕まえとくれ!」
 しかしその声はうまく憲兵たちに届きません。人々がてんでんばらばらに叫んだり喚いたりするおかげで、誰の言うことも正確に耳に届かない有様(ありさま)です。
「おいおい、そっちじゃねぇったら!」鐘楼のうえで少年が地団太を踏みます。「まったく、おまわりってのは肝心な時にゃ役に立たねぇんだから」
 黒煙を目印に駆ける憲兵たちを(あざむ)くように、放火犯らしき人物は路地裏を余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の様子で駆け抜けていきます。
「だめだ、逃げちまう……」手摺にもたれて、はじめに鐘を鳴らしたおじいさんがかぶりを振りました。
「ねぇ、もう行きましょう」だんだん胸が苦しくなってきた私は、身を(ちぢ)こませてくらげさんに呼びかけました。「わたし、もういや……」
 しかし彼は返事をしません。
 片手で軽く帽子を押さえて、目深(まぶか)に降ろされたつばの下から、じっと、路地を走る男を見おろしています。
「……くらげさん?」
「はい」視線を少しも私に向けないまま、彼はぽつりと応じました。
「ね、もう行こうよ。べつの場所に行って、休もうよ」私は眉間にたっぷりと皺を寄せました。「せっかく良くなってきたのに、こんなとこにいたらまたくらげさんの体――」
「はい」ほとんど完全に閉じてしまうほど両のまぶたを細めて、彼はほほえみました。「――ええ、そうですね。行きましょう」
「……あれっ、なんだ、あいつ」鐘楼の屋根の少年が唖然とつぶやきました。「急に、どうしちまったんだ」
「ははっ」私の隣で、父親に肩車されている小さな男の子が吹き出しました。「まぬけだぁ。転んでやんの」
 くらげさんが返してくれた帽子をかぶり直しながら、私もまた群衆と一緒に下を眺めました。男の子が言ったとおり、放火犯とみられる男は、なぜかなにもない路地のまんなかにうずくまり、まるで天空から差し伸ばされた見えない巨大な手のひらに押し潰されてでもいるかのように、その場から一歩も動くことができません。どうにか起き上がろうともがいているのが遠目からも見て取れますが、足の骨でも折ったのか、それともお腹の調子でも壊してしまったのか、もうまったく身動きが取れないようです。やがて、路地のあちらからもこちらからも、おおぜいの憲兵たちが集結してきました。
 高台の広場は、拍手と笑いに包まれました。
 倒れていた男が数人の憲兵によって抱き起こされ、確実に捕縛されたのを見届けると、くらげさんはふっと吐息をつきました。そして私の肩を抱いたまま、いち早くその場を(あと)にしました。


    7


 犯人は、なんと町長の(おい)でした。彼は放火の現行犯として逮捕されたその場で、これまでのすべての不審火に自身が関与したことを白状しました。衝撃的な(しら)せは、あっという間にスークの町じゅうに伝わりました。
「まったく、最後までろくでもない事件だったわね」夕食の席でワイングラスを傾けながら、母が嘆息しました。「捕まってくれて、心底せいせいしたわ」
「ほんと、ほんと」私もはげしく同調しました。「わたし、何度も火に焼かれる夢を見たのよ。今夜からきっともう二度と見なくてすむと思うわ」
「それにしても」隣あって座る私とくらげさんを、母が向かいの席からしみじみ眺めました。「あなたたちも、とんでもないところに出くわしたものね」
「すごかったのよ、みんな」私は大袈裟に腕を振り回しました。「ぐわんぐわんって鐘は鳴らされるし、子どもたちはきゃあきゃあ泣くし、おとなたちはめっちゃくちゃに怒鳴り散らすし。耳が痺れちゃって、そのあとしばらくは元に戻らなかったわ」
 ぴたりと食事の手を止めて、くらげさんが私の耳をのぞきこみました。
「まだ戻りませんか?」
 私は首を振りました。「ううん。もうすっかり、元どおりだよ」
「良かった」
「ありがとね、くらげくん」母がグラスを置いて言いました。
 くらげさんは首をかしげました。
「この子のこと、守ってくれたんでしょ」
「デビィさんが、僕のことを守ってくれました」彼はほほえみました。「おかげで、とても楽しい一日になりました」
「体調はどう?」
「はい。問題ありません」
「でも、今日は早めに休んだ方がいいわ」私が言いました。「だって、その……午後は、ずいぶんわたしのわがままに、付き合ってくれたし……」
 母はじろりと私を一瞥(いちべつ)し、それから心配そうにくらげさんの顔色を観察しました。彼は微笑をたたえたまま、そっと首を振りました。
「平気ですよ。デビィさんの行くところは、みんな僕も行きたいところでしたから。かえって良い運動になって、体も軽くなりました」
「ほんと?」私は彼を見上げました。
「ほんとですとも」彼はうなずきました。
「どんなとこに行ったの?」再びグラスを手に取り、母がたずねました。
「えっとね……」
 一つずつ順を追って、私は今日の午後の経緯を報告しました。()物劇(ものげき)を見届けたあと、私たちは見晴らしのよい食堂でお昼ごはんを食べました。それから、服屋さんに行ってくらげさんの新しい服(青いシャツ、白いズボン)を買いました。本屋さんに行ってお菓子づくりの本と動物の写真集を買いました。公園の噴水に裸足で入って遊びました。喫茶店でチョコレートケーキを食べて冷たい紅茶を飲みました。そして母との約束どおり、まだ太陽が高いうちに帰りの馬車を呼びました。一日を通して、私とくらげさんは、だいたいずっと手を繋いで歩きました。
「昼の薬も飲んだ?」たくさんの相槌(あいづち)を打ったあとで、母が確認しました。
 私たちはうなずきました。夕食後も飲み忘れないように、それらは今も小皿にまとめて彼の手もとに置かれています。そこにあった薬の名前や種類を、もっとはっきり記憶できていたらよかったのにと思います。そうしたら、彼が抱えていた病状のおおよそを推察することも、(のち)の私にはできたでしょうに。
「本音を言うと、ちょっぴり気が気でなかったのだけど」グラスを(から)にして、母が深く息をつきました。「安心したわ。なにごともなくて」
「ねぇくらげさん、これ食べたら着替えて見せてくれる?」私は勢いこんで提案しました。
「かまいませんよ」彼は言いました。


 実際に、私と町を歩き回ったその日あたりから、くらげさんの体調はますます良くなっていきました。薬の量もとんとん拍子に減ってゆき、もうこれ以上飲み続けても効果はないだろうということで、まもなくぜんぶ中止になりました。そのことで、母はずいぶん感心――というか、むしろ驚嘆――している様子でした。どういう理由でそうしていたのかわかりませんが、母は彼の診断記録(カルテ)を自分の書斎から決して持ち出すことはありませんでした。けれど、私は何度も目にしました。母がたびたび、その記録に新しい情報を書き加えているところを。彼女はそれを机の鍵つきのひきだしに保管していたので、その詳しい内容までは、さっぱり目が届きませんでしたが。
 二人で町へ出かけてからさらに十日ほど経ったある日の朝、診療所へ向かおうとする母をくらげさんが呼び止めました。
「どうかした?」白衣に袖を通しながら母がたずねました。
「ナン先生。お願いがあります」彼は落ち着いた面持(おもも)ちで切り出しました。「今日、僕一人でしばらく外出してきてもよろしいでしょうか」
 心のどこかでは、彼がそういうことを言い出すのはもう時間の問題だと、私も母も予感していました。でもこうして本人の口から直接に聞くと、なかなかに胸が騒ぐものでした。
「なぜ?」なるべく平坦な口調で、母が訊き返しました。「どこか行きたいとこでもあるの?」
「遠いところ?」家を出る寸前だった私は、玄関から飛ぶように引き返してきました。
「いいえ」くらげさんは穏やかに首を振りました。「スークの町で事足(ことた)りる、些細(ささい)な用事です」
「用事って」母はわずかに目を細めます。
「古い知人に伝報を打ったり」彼はちょこちょこと指先を振る動作をします。「あとは、ちょっと銀行に行くくらいのものです」
「それだけ?」私は近くからじっと彼の目を仰ぎ見ました。
「ええ」彼はうなずきます。「ついでに買い物も少し、できたらとは思っています」
「……まぁ、それくらいなら」言いながら母は途端に医師の顔になって、彼の状態を検分します。「だいぶ調子も良いみたいだし、無理しなければ、大丈夫でしょう。いいわ、行ってらっしゃい」
「ありがとうございます」彼は一礼しました。
「ねぇ、帰ってくる?」私はもう彼の腕をなりふり構わず両手でつかんでいました。「またここに、帰ってくるよね?」
「ええ」彼はにこりと笑います。「退院許可は、まだいただいていませんからね」
 不安げに立ちすくむ私の肩に、彼と母が同時に手を置いてくれました。そうしながら母がふっと顔を上げました。
「あ、でも銀行って、今日はいつもより早く閉まるわよ」
「存じてます」彼は言いました。「土曜は、たしか三時まででしたね。問題ありません、それまでには用はすみます」
「わたしも、今日は学校お昼まで」私は言いました。「晩ごはん、三人で一緒につくろうよ」
「いいわね」母は賛同しますが、でもすぐに軽く首を振ります。「ちょっと待って、ごめん。お母さん、午後は往診だったわ。間に合うかどうか、はっきりと約束できないな」
「じゃあ、その時には二人でやりましょう」くらげさんが私の肩に手を置いたまま言いました。「ね。デビィさん」
「うん」私は嬉しくなって、かぶっていた帽子が落っこちるくらい大きくうなずきました。「二人でやろうね」
 この時には知る由もなかったことですが、このなにげない朝のひと時が、三人で過ごす最後の時間になりました。


    8


 正午過ぎに帰宅した私は、母と一緒にかんたんな昼食をとってから、往診に出かける彼女の馬車を見送りました。目を開けているのが一苦労なくらいに、まばゆく晴れた日でした。芝生の色あいや海の鳴り方から、私は世界が夏の玄関に第一歩を踏み入れたことを感じ取りました。テラスの窓を全開にして、私はクッキーづくりに取りかかりました。お母さんとくらげさんに喜んでもらおうという心づもりでした。潮風にふわふわと踊るカーテンを横目に見ながら、一人きりでもくもくとお菓子の生地を練るのは、なんだかうっとりするほど静かで、豊かな感じがしました。
 一人で火を使うことは禁じられていたので、クッキーは型を抜いて形を整えるまでに留めました。あとでオーブンに入れて焼いたら、きっと素敵な夕飯のデザートに変身してくれるはずです。調理場を綺麗に片付けて時計を見たら、ちょうど二時二十分でした。くらげさんはまだ帰りません。
 一度、家の外に出てみました。彼の姿どころか、どこを向いても人っ子一人見あたりません。雑木林も街道も、(はげ)しい陽射しに耐えるように、じっと黙りこくっています。私は居間に戻り、林檎を切って少し食べて、このままここで彼の帰りを待つか、それとも崖下への冒険に出発しようかと考えているうちに、自分がうつらうつらし始めているのを発見しました。こうなっては仕方ありません。彼はもうすぐ帰ってくるだろうし、冒険の機会はこの先も無限にあります。私は二階に上がって、自分のベッドに身を委ねました。


 クッキーを焼く夢を見ました。あまりにも現実感のある夢だったので、目が覚めた時には本当にもうクッキーを焼いてしまったような気さえしていました。
 でも、違いました。
 それは、やっぱり夢でした。
 それは、眠っているあいだにものが焼ける匂いを嗅いだことで、私が無意識下に描いた実体のない(まぼろし)でした。焼けているのはクッキーではなくて、廊下でした。私の部屋の前の。
 階段の下から這い上がってきた大きな炎は、まるで心を(むしば)む恐怖そのもののように、じわりじわりと廊下の床と壁を侵食していきました。喉が引きつってしまい、すぐには悲鳴を上げることすらできませんでした。私はぶるぶると震える両手でドアノブをつかみ、渾身の力でそれを引いて閉じました。
 いったい、なにが起こってるの?
 私は部屋のまんなかに呆然とへたりこみ、壁の時計を見上げました。午後二時五十五分。まだお昼寝に入ってから、三十分と経っていません。このわずかなあいだに、いったい、この家に、この私に、この世界に、どんな運命が訪れたというの?
 ここで初めて、私の喉の封が解かれました。自分の鼓膜が破裂するのではないかと思えるほどの絶叫が、口から飛び出しました。私は泣きました。それはもう泣いて、泣いて、泣き叫びました。(あご)が外れるくらいに大口を開けて、炎と神さまを呪いました。
 しかしそれでも、まだ死んでいない限りは、呼吸を()めてしまうことはできません。私はいっとき声を()ち、()げくさい酸素を胸いっぱいに吸い込みました。
 その時でした。
 どこか遠くの方で、かんかんかん、と音がしました。ほんのかすかな、硬く乾いた音でしたが、それはどうやら、私の幻聴ではないようでした。
 瞬間的に、あの町の広場で決死の形相で鐘を叩き鳴らしていたおじいさんの姿が、脳裏に蘇りました。あぁ、おじいさん、この火に、気付いてくれたの?
 私は迫り来る炎から距離を置くために、海に面した窓めがけて後退していきました。廊下へと通じるドアの隙間から、無数の黒い魂が忍び込んできます。室内の空気が瞬く間に熱く、重く、苦しくなります。
 私は床を這い、壁にすがり、カーテンにしがみつきました。そして海を眺めました。
 

、と私は思いました。


 次の瞬間、最初のめまいが私を襲いました。私は両手で口を押さえました。もうこの時には、部屋はオーブンのなかのように熱くなっていました。空気の質は、もはや言うまでもなく、生物が体内に取り込んでいいものでなくなっていました。ごおう、ごおう、と、ドアの背後で炎の悪魔たちが私を呼んでいます。ばちばち、めきめき、と、私の部屋が、家が、断末魔の(うめ)きをもらしています。
 意識が一段階下降するのを、私は私の内で感知しました。
 直後、りん、りん、と別の音がしました。りん、りん、りんりんりんりん……。これは、さっきから鳴っている鐘の音とは、違う方向から、響いていくる。あ、そうか、きっと、消防車の鐘ね。そんなふうに、なんだか他人事のように、私はぼんやりと考えました。
 でも、残念。もう遅いわ。なにもかも。
「ごめんね」
 私が生まれた日から一緒に暮らしてきた大きなピンク色のウサギに、私は心から謝りました。ごめんね、守ってあげられなくて。ごめんね、このまま一緒に大きくなっていけなくなっちゃって。ごめんね、ごめん、許してね、みんな、お母さん、お父さん……
 私は息をするのをあきらめて、瞳を閉じました。
 それと同時に、ぴしっ、と鋭い音が走って、私の目の前で窓がまるごと消滅しました。
 それはまるで、生地から型で抜かれたクッキーみたいに、すっぽりと窓枠ごと外れて裏庭に落下していきました。
 そうして出現した壁の大穴の外に、雲一つない青空を背景にして、くらげさんが浮かんでいました。
「ただいま、デビィさん」とても悲しそうな顔をして、彼は言いました。「遅くなってごめんなさい。一人で、よく頑張りましたね」
 彼は私の体を正面から抱きしめました。
 彼の体温を、私はたしかに肌に感じました。
 不思議でした。
 自分がまだ、生きているということが。
 というのも、彼が私のもとへ飛来した時には、もうすでに煙も火も、私のいるところまで押し寄せてきていたはずだったからです。
 それなのに、私は、そして彼も、まったくの無傷です。
 私たちは、まるで目に見えない大きなガラス玉のなかに閉じ込められているみたいでした。煙も火も、そのガラスを破ることができません。それらはガラスの内側から噴出する風に()されて、ほんの一本の毛筋(けすじ)ほども、こちら側に侵入してくることができません。
「くらげさん、くらげさん」私は思いきり彼に頬擦(ほおず)りしました。
「もう大丈夫ですよ」彼はそれを拒むことなく、そっくり受け入れてくれました。「さぁ、行きましょう」


 それから私の視界のなかで起こったことが、衰弱した自分の精神がでっちあげた夢物語なんかじゃなかったとは、いまだに、言い切ることができません。
 だからとにかくここでは、

を記します。
 私を救出したあと、くらげさんはそのまま空中を鳥みたいに飛んで、庭の敷地や崖やその下の浜辺からぐんぐん遠ざかって、海のうえまで移動しました。
 そしてそこで彼が強く息を吐くと、まるで命令を授かった使い魔かなにかのように、私たちの眼下の海水がごぼごぼと泡立ちました。
「行け。消せ」
 くらげさんがそう言うのを、私は(にご)った意識のなかで聴きました。
 海面から山のように盛り上がった大量の水は、一瞬のうちに束ねられて巨大な滝となって、あたかも命を得た竜かなにかのように、陸地めがけて飛翔しました。
 その奔流は断崖を軽々と飛び越え、まっすぐに家へ向かって驀進(ばくしん)し、壁にぶつかる寸前でいくつかの細い滝に分離しました。()かたれたそれらは、それぞれが寸分の狂いもなく無数の窓を突き破り、あっという間に建物内のすべての炎を消し去ってしまいました。
 この(かん)ずっと、私たちは宙に浮いたままでいました。ちょうど、いつか彼と一緒に見た、あの顕術を使う大道芸人さんのお手玉みたいに。
「ねぇ……ねぇ、くらげさん」私はしゃくりあげました。「あなた、いったい……」
 しぃ、と彼は短く息を吐いて、わたしを抱きしめたままさらなる高度へ上昇しました。
 そこから私たちは、まるで机のうえに広げた記録写真でも眺めるみたいにして、地上の光景を一望しました。
 町の広場で、誰かが鐘を打ち鳴らしてくれているのが見えます。それに重なって輪唱するように響き渡るのは、やはり消防車輌の警鐘(けいしょう)のようです。それらの車列はまるでアヒルの家族みたいに連なって、石畳の街道を敢然(かんぜん)と突き進んでいます。続いて徐々に、騒ぎを聞きつけた町の住人たちや一般車輌も、私たちの家の周囲に散見されはじめます。
 私の背中をそっと撫でながら、くらげさんは(やいば)のように両目を細めて、そんな一つ一つの車輌の動向を、そして一人一人の人間の挙動を、一瞬たりとも見逃さないように、(くま)なく厳しく精査している様子でした。
「あ。ほら、ごらん」突然ぱっと声を明るくして、くらげさんが遠くを指差しました。「あの馬車はきっと、ナン先生だね」
 たしかにそれは、母が往診の時にいつも雇う馬車でした。昼過ぎに、私が玄関先で手を振って見送ったあの馬車です。それは今、雑木林の奥の道をものすごい勢いで走ってこちらに向かっています。
 くらげさんは人目(ひとめ)につかないように一度崖の下へ降りると、そこからこっそりと浮上して、家の裏庭に私を立たせました。
「さぁ、お行き」彼は言いました。そして丁寧に私の顔や髪を手のひらで(ぬぐ)ってくれました。「お母さんに、早く元気な顔を見せておやり」
「待って、待って!」私は直感的に悟り、彼の青いシャツの胸もとをわしづかみにしました。「いやよ、行かないで!」
 彼は暴れる私を優しくなだめ、そして、最後の抱擁をくれました。
「デビィさん、ありがとう。僕を見つけてくれて」彼は私の瞳を深く見つめました。「短いあいだだったけど、きみたちと一緒にいられて幸せでした。きみときみのお母さんが、僕はとても好きだよ」
「やめて。そんなこと、言わないで」
「今日見たことは、早めに忘れちゃってね」
「いや! いやだ! 約束したじゃない、一緒に晩ごはん――」
「またいつか、会えたらいいね」
「いや!」
 彼は、さよならは言いませんでした。
 そのことが、ほんの気休め程度ではあるけれど、私の救いになってくれました。だってそのおかげで、彼が言ったとおり、

がきっとあるのだと、思えるのですから。またいつか彼に会えるかもしれないって、私は今でも信じています。真っ青な空の彼方に彼の笑顔を見送ったあの初夏の日から、ずっと、ずっと、変わることなく。


    9


 結論から述べると、それもまた放火魔による犯行でした。新たな犯人は、先に逮捕された町長の甥の仲間でした。これまでに発生した火災事件はすべて、彼らが二人で共謀しておこなってきたものであることが、当人たちの自白によって判明しました。私の家に火をつけた男は、野次馬に混じって自分の仕事の成果をのうのうと鑑賞したあとで、なぜかその日の午後のうちに、みずから憲兵隊の詰所に出頭してきたとのことです。詳しいことはよく知りませんが、うちの近所を巡回する憲兵さんから聞いたところによると、その犯人は

といいます。まるで、この世に牢獄より安全な場所は自分にはもはや残されていない、と信じ切っているようだったよ――と、彼は話していました。
 私たちの家が――それに

が――焼失を(まぬが)れたことは、あれから20年の月日を経た現在でも、いまだに奇蹟(きせき)が顕現した出来事として語り継がれています。もしかしたら、あなたもいつかどこかで耳にしたことがあるかもしれません。それは〈スークの奇蹟〉という名で知られています。数多くの患者を救ってきた医師の善行に報いて、海の神さまが彼女の家族と家をお(まも)りくださったのだと、人々は伝えています。さらにそれに加えて、その一件が落ち着いた直後に、匿名の人物によって多額の再建費用が医師一家に寄付されたことも、しばしば心温まる逸話として語られます。それは本当に、目玉が飛び出るくらいとんでもない金額でした。診療所と家を元あったより立派に建て直しても、お釣りが来るほどでした。私たち家族は、ありがたくその援助を受け取ることにしました。診療所が再開した時には、たくさんの人たちが花や贈り物を持って訪れてくれました。郵便箱にも、私たちの再出発を祝うお手紙が(あふ)れました。
 そのなかには、くらげの絵が印刷された美しい絵葉書も一枚、混じっていました。


     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 ひとしきり記憶を辿り終えて、私は立ち上がりました。波の音を一身に浴びながら、お尻や背中の砂をはたき落としていると、ふいに誰かの気配を感じました。波打ち際を、ゆっくりとした足取りで、恋人がこちらへ向かって歩いてきます。
 私たちは夜の海のほとりで抱き合いました。
「ごめんね、一人にして」私は言いました。
「ううん」恋人は私の腕のなかでくすっと笑いました。「わたしは一人で寝起きするのは平気な方だよ。誰かさんと違って」
「あら。なぁに、その言い草」頭をのけぞらせて、私はこぼしました。
「知ってるんだから。わたしがいない時、いつも大きなウサギを抱きしめて寝てること」
 ふくれっ(つら)をつくろうと頑張りましたが、私も思わず吹き出してしまって、そのまま二人で笑いながら歩きだしました。
「なにしてたの、こんなところで」恋人が訊きました。
「思い出に浸ってたんだ」私は月を見上げて、ささやくように言いました。
「それって、どんな?」彼女は月より明るく瞳を輝かせて、私の目をのぞきこみます。
「えっとね」私はほほえみました。「それはね、私が子どもだった頃の、ちょっとした冒険のお話……」
「聴かせてよ」
「そのうちね」私は悪戯(いたずら)っぽく言いました。
「え~。なにそれ。気になるなぁ」
「そう?」
「うん。じゃあさ、わたしの子どもの頃の話、聴きたい?」
「もちろん」
 私は恋人の柔らかな手を握りました。そしてほんのいっとき瞳を閉じて、静かに深呼吸をしました。それから満天の星空を仰ぎました。まるでそこに、白くて半透明でふわふわとしたものが、漂っていないか探すみたいに。
 くらげさん、とわたしは胸の奥で呼びかけました。あなたは今もどこかで、月夜のなかを独り寂しく飛んでいるのかしら。あなたのための鍵を持っている誰かに、あなたはちゃんと会えたのかしら。私は、またあなたに出逢うことができるかしら。ねぇ、わたしの愛しいくらげさん……。
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