序奏 ふしぎな朝

文字数 595文字

 初めて一人でお留守番した日のこと、あなたは覚えていますか。実はわたし、もう子どもとは言えない年齢だけれど、まさにこれから「その日」を始めようとしているところなんです。
 朝早く、いってらっしゃいと玄関で手を振ってしまったら、いよいよわたしは家のなかに一人きりになりました。それからは、自分で歩かないかぎり誰の足音もしないし、自分で沸かさないかぎり薬缶(やかん)がしゅうしゅう鳴ることもないし、自分でやらないかぎり(ほうき)が床を()くあの毎朝おなじみの音だって、聴こえてきません。そんなの当たり前じゃないかと言われたら、まったくそのとおりなんだけれど……こんなに静かで、こんなに広くて、こんなにふしぎな感じがする朝って、わたしは初めてです。ちっとも心細くなんかない――とは、ちょっと言いきれそうにありません。
 でもその一方で、わたしはもう何日も前から、この日の到来に向けて(ひそ)かに心を決めてもいました。
 そう、これは、考えようによっては、この家とわたしが、水入らずでとくべつな友情を築くための、かけがえのない素敵な機会でもあります。
 あふれるほど燦々(さんさん)と射しこむ朝の光のなか、わたしはにっこり笑って、居間のまんなかの(はしら)

と手のひらを当てました。まるで、相棒の肩を叩くみたいにして。
「今日はよろしくね」わたしは声に出して言いました。「仲良くやっていこう」
 こうしてわたしの、またとない一日が幕を開けたのでした。
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