3。記憶

文字数 2,936文字

 一静(イチセ)は、今、あの校舎の中にいた。とても不思議な感覚だった。姿形もなくなっていたはずのぼろ校舎の中に、入っていたのだから。1年生のプレートが下げられた教室で、そこにあった小さな椅子に座っている一静。持ってきたリュックは、これまた目の前にある、小さな机の上に置いてある。
 私は…小さな椅子に、妙にしっくりとくるわ…なんて思いながら、何気なく窓の外を見る。中央はガランとした広いグランド。右側には運てい遊具に鉄棒、砂場、シーソーがある。左側には渡り廊下があり、そこには給食室と講堂、体育館がある。確か、グラウンドと校舎の間は少しだけスペースがあって、教室前には花壇があった。渡り廊下付近には…そうだ、ウサギ小屋とニワトリ小屋、そして、クジャク小屋もあったな。
 一静は漠然と思い出していた。一度、こうかも、ああだったかな、なんて想いを馳せると、驚くほど溢れてきた。今まで、これほど小学校の校舎を思い出したことがあっただろうか?
 ここは、私が通った小学校は、大規模校ではなく、1学年に何クラスもあるわけではなかった。1学年1クラス、30名ぐらいだったように思う。小さい頃から家も近く、親同士が親戚だったり、同級生だったりと関係性が濃かった。子どもたちも、兄弟のような関係性で育ったためか、妙に仲が良かった。小学校に入学しても、新しい友だちという存在がいなくて、遊ぶ場所が保育園から小学校になった、程度のものだった。春の間は、周囲からの「お兄さんになったね~」「お姉さんやね~」という言葉に、すっかり気を良くして大人しくしていたものの、それも長くは続かなかった。1週間も経てば、あっという間にやんちゃ集団に戻った。
「授業中にケンカして、廊下に出されたな……」
 席を立ち、荷物を置いたまま廊下に出る。微かな木の香りが鼻をくすぐる。
 そう…。この香り。私にとって学校ってこの匂いなのよね。
 一静は、廊下をゆっくりと歩く。右側には掲示物が貼れる壁が現れる。脳裏に当時の掲示物風景が思い出される。
 そういえば、春は桜が舞っていた。いろんな素材で作られた桜、おめでとうの文字、保育園とは違う掲示の仕方だったな。言葉で伝えようとする掲示が多くあった記憶がある。クラス担任の書いたお知らせ。保健室からのお知らせ。校長先生からのお知らせ。地域からのお知らせ。とかとか…。ああ、子どもたちの作品も飾ってあったな。習字とか絵とか。作文も掲示してたな…。
 ほわっと、記憶の奥の方から、浮上してきたある思い出。
彰生(アキオ)……」
 その名を口にした途端、今まで思い出すこともなかった出来事を鮮明に浮かび上がらせた。ビックリする…あんなに仲が良かったのに、私、今までどうして思い出さなかったのだろう?
 ふと視線を持っていった先に、釘付けになる。
「じけん……」
 そこには、2年生が書いた作文が掲示してあった。
 そうそう、低学年の作文はうまくかけていたら掲示されていたっけ。わざわざ先生が代筆してくれての掲示だった。大人の字で、自分が書いたものが掲示されて、ちょっと恥ずかしいのと、ちょっと嬉しいのとで不思議な感覚だったな。先生の字って読みやすくて、思わず読んじゃうんだよね…。
 私は、作者を見てみた。
「彰生だ……」
 心臓がドキって跳ねる。思い出した途端に、彼が書いた文に出会う。
「なんて…感傷的な…」
 思わず苦笑いしてしまった。

“きょうの休みじかんに、とうくんとようくんとぼくで、外であそびました。”

「とう……?よう……?」
 文章に出てきた名前に、私の脳が反応した。再び噴水のように思い出が湧き出してくる。便利なことに、映像付きだ。
 とうくん、透一郎(トウイチロウ)。ようくん、耀(よう)。2人とも彰生と家が近くて、その上、透一郎と彰生は父親が兄弟のいとこという関係、耀は彰生たちの祖母と耀の祖母が姉妹という近い関係性であった。誕生日も近かったんじゃなかったかな。
「……やだ、何でそこまで知ってるんだろう?」
  3人が特に仲が良かったことは、幼馴染みであるクラスのみんなが知っていることだ。でも、今まで忘れてたのに、急に……?

“外に行くと、うんていゆうぐのところに、みんながあつまっていました。”

 ん?

 一静の記憶の引き出しの小学2年生のタグのところから、情報が外に出始める。
 この出来事、私知ってる。

“うんていゆうぐには、いちせさんともえさんと、るかさんがいました。”

 私は、あの頃から萌慧と仲が良かったのよね。何をするのも一緒で、親が2人で遊ぶと帰ってくるのが遅くなると苦笑いしていたわ。顔つきも体つきも仕草もすごく似ていて、近所のおじいちゃんとおばあちゃんは、よく私と萌慧を間違えたのよね。
「るか……ルカ……」

 あ

 瑠歌(ルカ)
 思い出した。瑠歌はお人形のようにかわいいこだった。髪はブロンドで青い目をしていた。彼女に限っては一緒に育ってきたわけではない。確か、彼女の父親がイギリスかアメリカの人?で、外国語の先生として赴任してきた。母親は日本生まれ日本育ちだったけれど、英語がとても上手だった。そういえば英語を教えてくれる塾をしていたような…。
 瑠歌は、一緒に入学すると同時に子どもたちの中でアイドル的な存在となった。流暢な日本語と時に話される異国の言語。まるで映画を見ているような、特別な存在感。本当にかわいかったのだ。だが、彼女は容姿に似合わず行動はアグレッシブであった。こちら側がどんなに友好的に話しかけてもプイッとそっぽを向いたり、意地悪なことを言って女子陣を泣かせた。転校生とは縁遠かった私たちにとって、珍しい存在だった新たな友だちとの関係は、なんとか気に入られようと、何をされてもこちら側が文句をいうことはなかった。彼女はその環境を最大限に利用した。
 最初は面白がっていた男子陣も、矛先が自分たちに向くと、一気に瑠歌を疎ましがった。かっこよかった英語を話す彼女の姿にさえ、文句を言い始めた。私も萌慧も瑠歌にしてやられはしたが、おかしなもので、彼女がちょっとしたへそ曲がりな性格だったことで、興味をもったともいえなくはなかった。みんなが瑠歌から離れようとしていても、彼女は態度を改めることはなかった。ある意味、根性あるなと思ったのかもしれない。それでも頑として自分を曲げなかった瑠歌がかっこいいと思ったのかもしれない。私と萌慧は関わるのをやめなかった。けど、気に入られようとしてではなく、ケンカもしながらだったように思う。

“るかさんが4年生とケンカをしていました。いちせさんともえさんは、「やめなよ」といっていました。るかさんは4年生ともケンカをするんだと思いました。ビックリしました。これは、じけんです。”

「なんだそりゃ…」
 思わず笑ってしまう。そうそう、瑠歌は年齢関係なかった。からだの大きな上級生にもくってかかってたわ。そういうとこ好きだったんだよね。可愛い顔してるけど、めっちゃ怖い顔で向かってくんだよね。
 でも、確かこの時は、瑠歌が仕掛けた訳じゃなく、4年が割り込んできて、それを瑠歌が注意したんじゃなかったかな?

 
あれ…?

 流れるように思い出していたのに、急に噴水が水切れになった。この後の事が、思い出せないな……。
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