2。予感

文字数 2,955文字

「どうしちゃったのかしら……」
 萌慧(モエ)は大学の講義を受けながら、不思議な感覚にとらわれた。胸騒ぎがするというか、嫌な予感がするというか、それは萌慧の感覚で間違いないのに、俯瞰している誰かの感情のような……。じゃあそう感じている私って何……って、
「なんだそりゃ……」
疲れてるのかな~……、最近、レポート多かったからな、何だかお誘いも多くてそっちもしっかり参加する優等生だから、うん、疲れてるんだ、きっとそう!
 萌慧、自分の中で推測を確信に変えた瞬間、机上の教科書、ノートを鞄にしまいこみ、時計を確認する。
ああ……あと15分で終わるのか…。それなら講義聞いた方がいいよね…。
 本来は時間に関係なく講義はしっかり聞くものである。
 勢いを削がれた萌慧は、ふっと窓の外に視線をもってく。

 ん?

 大きく手を振っている男がひとり。それは私が知ってる子で、サークルの後輩で、
(カイ)……なにしてんの?」
 テニスサークルの後輩で、何かと私を慕ってくれているのだが、残念ながら、私は年下は好みではない。彼にもはっきりと伝えているが、一向に気にしている様子はない。私ってそんなにいい女かしら?と勘違いししてしまいそうになるほど、純真に真っ直ぐに思いを伝えてくれる。
 そんな快が私の時間割りを把握していることは珍しいことではない。こうして窓際に座っていると、外で気をひくべくなにやら四苦八苦することは、これもよくあることだけれど……
「なになに…」
 快は大きなわら半紙をばっと地面に敷く。そこには…
「萌慧~、“至急連絡請う”だって、これって萌慧への新手のラブレターだよね」

か~い~……

「あはは…かな~…、あと頼んだね、」
 私はそういうと、教授の目をぬって、そっと後方から教室を出た。そして出てくる溜め息。胸騒ぎって、この事だったのかしら?嫌だわ、まったく……。
 確かにこの出来事と関係なくはないのだが、直接の原因ではなかった。
「何よ!全く、至急連絡請うって、何事?!
「萌慧さん!」
 快は、私が怒っていることなど全く動じることもなく、ぽくっと可愛く微笑むと頭をかいた。
「…今日もすこぶる可愛いです」
かーいー……
「あのね、怒っているのよ、私は!もう、みんなに色々言われて、恥ずかしいでしょ!」
  たったひとりにちょこっと言われただけなのに、そこはお年頃の女性、

の濃淡をつけての発言になる。
 だが、快には全く効果がない。
「萌慧さんのお友だちにまで認めていただいて、光栄です!」
 ほっといたら倒れかねない勢いだ。どうも憎めないのである。だいたいこれだけ好かれれば、たいしたもんだ。萌慧は苦笑すると快と中庭のベンチに腰を掛けた。
「……で、至急っていうのは何よ?」
「そうでした!萌慧さんの美しさにすっかり酔いしれてしまって、忘れていました!何しろ僕は萌慧さんのことしかみえてないっていうか、」
「はいはい、そこまで。用件は?何、」
「萌慧さんに会いたいって人が来てます。急いでたみたいなので、僕がこうして知らせに…………」
 萌慧の顔が赤くなっていくのを見て、快は口をつぐんだ。


 2人は会った瞬間に初対面かしら?と疑問に思った。おかしな感覚だわ、とも思った。確かに記憶にないのだし、名前すら知らないのだから初対面に違いないのだが…。
「すみません、授業中だったんですよね?」
 相手の声でハッと我に返る。
「い、いえ、いいんです。もう終わるところだったし……」
 萌慧がそういうのと同時にチャイムがなる。
「ほらね」
 相手はそれを聞いて少し微笑んだ。ボーイッシュな雰囲気の彼女は、フードのついた袖のない黄色のシャツに、濃紺のジーパンというカジュアルな格好をしていた。ショートカットの髪は焦げ茶色で、ふわふわというよりは、サラサラな髪質なんだろうな、と感じた。
 2人と萌慧のくっつき虫である快は、中央にある噴水を眺めることができるベンチに腰かけた。喫茶店を打診したのだが、ここがいいと彼女が言った。陽射しが少々厳しくなってきた今日この頃、それじゃあと少しでも陽が当たるのを避けるべくして、木陰へベンチを移動させた。もちろん、移動させたのは快くんなのだが。
「で、私の記憶が、まだ衰えていなければ、初対面だと思うんですけど……」
 少し遠慮がちに彼女の顔を見た。
 キョトンとしている。え、あれ?しまった……どっかで会ってる?そか、そうだよね。どっかで会ったるから私に会いに来たんだよね?自慢ではないが、知り合っているのに覚えていないことがよくある私。人を覚えることが苦手なのだ。これは、やってしまったかな…?
 最初に、何だか会ったことがあるような気がしていることもあり、すんなり“知り合い枠”にいれてしまった。
「……っと、あ、失礼!勘違いで。会ってるよね?この間のサークル合同の練習日に……」
「初対面です」
 しばしの沈黙。
「萌慧さん!そんなアバウトなこと言ってるから」
 快の発言に、さすがの私も赤面する。
「ごめんなさい!あなたがあまりにもキョトンとしているから私、絶対にどっかで会っているものだと…!」
「そうですよ!柚南(ユズナ)さんが思いもよらない態度をとっちゃったから、萌慧さんがとっ散らかっちゃったんです!」
「快!ちょっと黙ってて……!」

ん?

「柚南、さん?」
 その名前、聞いたことがある。
「はい。柚南といいます」
 彼女はニコッと笑った。
「一静から聞いていたとおりの人だ」
 不意に彼女の口から出た親友の名前。脳裏に一静とのさまざまなやり取りが思い起こされる。確か、やり取りの中に頻繁に出てくる名があった。
「一静が“自然な形を理解してくれて、離したくない友だちだ”って、萌慧さんのこと。小学生からの親友だって」
 彼女から向けられている微笑みが、何だかくすぐったくなった。一静のやつ、そんな風に言っているのか……私のこと。
 全身の力が抜けて、思わずベンチの背もたれに体をあずけてしまった。少しずつ、鼓動が落ち着いていく。
「快」
「はい」
「ごめん、冷たいもの、買ってきてもらえる?」
「分かりました」
快は、ベンチから立ち上がると、柚南に一礼をして購買へと向かう。
「かわいいね、カイくんだっけ?」
「うん、快いっていう一文字で(カイ)
 快の後ろ姿を見送りながら、ふーっと息を吐く。
「私も……よく聞いていました。楽しい人だって。行動的で、プラス思考を持っているって。すっごい強い原動力があって、それにこっちも引っ張られちゃうって」
 お互いに顔を見合わせる。何だかおかしな感覚だ。私たちは、一度も会ったことがないのに、共通の友だちを通じて相手を知っていた。会ったことがないのに、会った気になってしまうほど、相手を知っている。多くの人がいるなかで、こんな不思議な出会いはそうない。
「ところで、快の話だと急用ってことみたいだけど……一静のこと…?」
  彼女と私の共通する話題と言えば、一静しかいない。一静絡みの何かだと考えるのが妥当だ。
 柚南は、今日、出会って初めて浮かない表情をうかべた。それが、今までの笑顔とはあまりにも違いすぎて、一日中感じていた“嫌な予感”が再び蘇る。
「何か…あったの?」
「何かあったのか、なかったのか……どうなんだろう……」
 柚南の返答は、萌慧の不安を一層大きくした。
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