8。彰生②

文字数 2,190文字

「どうして…こんないい出来なのに……」
「しょうがないよ……。むこうさんが気に入らないと言えば価値は下がるんだ。分かってることだろ」
 今朝仕上がったばかりの俺が描いた絵がここにある。今日、この時間には、すでにお得意さんの手元に渡っているはずであった。なのに、俺の目の前に佇んでいる。それは信じられない光景……。
「要望に、応えたじゃないか…」
 俺は、高校を卒業後、美大へ通い始めた。プロデューサーという業界の仕事に就いていた俺の親父は、美大に通うことについて、賛成も反対もしなかった。あの人は俺が美大に通っているってことも知らないのではないかと思う。家に帰ってくるのは、今も昔も月に2~3度程度。お袋はそんな親父に対して不満を抱いている風でもなく、帰ってきたら「お帰り」と笑顔で迎える。今でもそれは同じだった。
 20(ハタチ)も過ぎれば、どうして親父が家に帰って来れないかの見当ぐらいはつく。いくら仕事が忙しいって言ったって、月に2、3度しか帰って来れないってことはない。どっかに俺の兄弟がいるんじゃないかって本気で考えてしまう。それでもお袋は、親父を責めたことはない。出来た妻なのか、現実が怖いのか、今さらどっちでもいいことだ。
 俺は、そんな中でも意外に普通にここまで来た。まあ……普通がなんたるかって分からないが。学業もしっかり納めた。恋人も人並みにいて、失恋も経験した。親は必要以上に俺へ執着することはなかった。自分の人生の決断は、自分でしてきた。美大に行こう、と決めたのは結構前からだった。合格した時は心から喜んだ。俺の人生のメリハリがついたのはこの時だけだった。
 おかしなもので、人は、メリハリがつくと挫折が待っているものらしい。きっと、物事に執着するようになるので、失敗すると必要以上に悔しく思うからなのだろうが。俺は幼い頃から絵画や習字、いろんな習い事をしてきた。その中で、なぜかとても興味深く、楽しく、ずっと挑戦したいと思ったのが絵画だった。
 小さい頃、誰かに言われた「魔法使いみたい」という言葉。俺にとっては、親にもかけてもらえなかったような言葉、それが嬉しくて。
 俺の絵って魔法がかかってるんだ、小さい頃はそれがワクワクした。周りも評価してくれた。そのことが俺の思いを確信へと変えた。

「なんて素晴らしいんだ」
「将来は画家だ」

 大人たちの言葉を真に受けて、俺は有頂天になった。美大生時代、俺の絵画を買いたいという人が現れた。その時は、いくらなんでも出来すぎた話だと思った。けれど、対価として払われる金額、羨望の同級生の眼差しが、いつしか俺の感覚を麻痺させた。噂がウワサを呼び、絵画の注文がくるようになる。いつも、思わぬ高値で相手のものになっていく俺の絵画。確実に売れていて、ここまできた。なのに、
「むこうから注文してきやがったくせに、何様だよ」
「えー?お客様のつもりだろ?」
後ろのテーブルでコーヒーを飲んでいた幼馴染みが答える。
「描きたくもない邸宅の絵を描かされて、その上、気に入らないなんて……バカにしてる」
「だな…バカにしてるな」
「だろ?俺の絵をなんだと思ってるんだ」
「だな…お前は絵を何だと思っているんだろうな。俺も一度聞いてみたかった」
「は?」
  俺の言ってる意味との齟齬(ソゴ)をかんじて、振り返る。コーヒーを飲む手を止めて、彼も俺の方をみていた。彼は幼馴染みでもあり、同級生でもあり、従兄弟でもある。
「どういう意味だよ、透一郎(トウイチロウ)
 鋭い切れ長の目は、俺を射抜くように見つめている。
「さあ、どういう意味だろうな」
 透一郎との付き合いは、とても長い。生まれてから今日まで、人生のほとんどを一緒に歩んできている。俺の絵が評価された時、まるでじぶんの事のように喜んだ。
 けれど、今は、俺に冷たい視線を注いでいる。端正な顔立ちの透一郎から、笑顔をとると、たちまち冷淡な人間に思えてしまう。綺麗すぎて、彫刻のようなのだ。
 透一郎は、深いため息をつくと、俺から視線を外した。
「とにかく、もう留学費用は貯まっただろ?これを機に、勉強し直してこいよ。それが当初の目的だったろ?足りなきゃ俺も力になるから」
 俺は唖然とした。
 俺も、このままでいるつもりはなかったが、言われなくても分かってることを、今さら「お前何やってんだよ」って、一番俺のことを分かってくれてると信頼していた男に、「いい加減にしろよ」的なニュアンスでいい放たれた。
 透一郎の言い方は、今までのそれと何ら変わってないのに、俺は、すごく腹が立った。
「へー、偉くなったんだな(トウ)。俺に意見すんのかよ」
 透一郎の眉間にシワが寄る。
「意見だって?バカか。心配してるんだろ?そんなことも分からなくなったのか?」
彰生を見つめる透一郎の視線は、まっすぐ俺に刺さる。
「お前には才能があるよ。お前を知ってるやつはよくわかってるさ。俺なんかガキの頃から一緒だよ、嫌ってぐらい分かってるよ。だから言うんだろ?最近のお前の絵には何もねえ!」
「はあ?なんだと…!」
「自分だって気づいてるんだろ?描きたくもない絵を描いて、売って、また描いて。最初はお前の夢に近づけるならって思ったけど、ダメだ。お前、どんどんお前らしくなくなってった。絵はうまいよ、でもそんだけだよ!」
 透一郎の言葉が胸に刺さる。
 
 なんだよ、透一郎…。お前までそんな目でみるのかよ……。
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