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文字数 3,070文字

「君が私としか話さないと言ってくれて、正直助かってる。そうじゃなければ干されてたから」
 新宿署の近くにあるフルーツパーラーで、岸はつい本音を漏らした。
「お役に立てて光栄です」
 赤沢櫂は目を逸らせてそう答え、オレンジジュースのストローを咥えた。
 通常は櫂のような未成年を保護者の同伴もなく警察署に呼び付けることなどあり得ないのだが、本人の強い主張と、それを盲目的に支持する保護者の意思によって、事情聴取は新宿署内の会議室で行われた。録音は許されたが、岸以外の捜査員は入室を拒まれ、立ち会いすら許されなかった。
 事件後、すべての捜査から外されて、捜査員でありながら聴取される立場になった岸には、聴かれる方の辛さが身に沁みて分かっていた。ナイフの先を優しく撫でるように、岸は少年と向かい合った。櫂への聴取は、自分の記憶の確かさを摺り合わせる場でもあり、岸はその時の自分を客観的に思い出すことが出来た。櫂の語る恐怖体験は、岸の抱える恐怖体験でもあった。岸が今夜書き上げようとしている書類は新宿同時多発無差別殺傷事件を最前線で目撃した少年、赤沢櫂の供述調書でありながら、偽りのない「二人の記憶」でもあった。
 聴取を終えて見送ろうとしたホールで、もう少しだけ話しても良いですか? と櫂に言われた時、岸は「もちろん」と頷いて何の躊躇いもなくエレベーターに乗り込んだ。岸もまた、同じことを考えていたからだ。録音をされていない環境で、もう少しだけ彼の話を聞きたかった。

 斎藤タケル=新型pp

 空中に翳した手帳の中にある、岸が自筆で書いた文字。
「お客さんが増えてますね」
 岸は振り返り、慌てて手帳を閉じた。本来ならば警察官である自分が先に気付かなければならないことを十六歳の少年から指摘されている。確かに、いつの間にかこの店にそぐわない人着の男が不自然に席を埋めている。その中には明らかな同業者もいる。
「だいじょうぶです。わざと彼らにも聞こえるように話したので」
 岸はぞっと背中が寒くなるのを感じた。些細なことで恥ずかしがっている自分が哀れに思えるほど、この少年は知能が高いのだ。
「根拠のある話じゃないから、ここで話したかっただけです。証明してくれる人がいるなら誰に聞かれたって構わない。だっておかしくないですか? 病院が正常だって認めたから退院っていうことなんだろうけど、そもそも彼は何の病気だったんでしょうか。宇宙人に頭を乗っ取られた病気が治ったのなら、その宇宙人はいったいどこに行ったんでしょうか。僕は彼が、というか斎藤タケルを操っているppが、この環境に順応しただけなんじゃないかと感じるんです。僕はもともとあまりテレビを観ないけど、斎藤タケルは知っています。観ましたか? 保釈された時の彼、何か変でしたよね」
「確かに」
 保釈された芸能人は通常、取材のカメラに向かって短く謝罪した後、申し訳なさそうに長々と頭を下げるものだが、斎藤タケルの行動は違っていた。不思議なものを見るような目をして報道陣の前を通り過ぎただけだ。すぐに所属事務所から、斎藤には事件をきっかけにした解離性健忘があり、記憶に空白期間があると説明があって納得はできたが、違和感は残った。
「彼は昏睡から醒めた時、担当の看護師さんに、『我々は宇宙人だ』と言ったそうです。『この星の行政のトップと話がしたい』と。本人がppだと言っているようなものなのに、警察は彼を保釈してしまった。罪状が傷害だから現行法ではどうしようもないのかも知れませんが」
「その話は私もネットの記事で読んだけど……」
 岸は手帳に文字を書き足した。

 斎藤タケル=新型pp=宇宙人?

「じゃあ、いま話題になっている明鏡止水モードってわかりますか?」
 岸は目で先を促した。
「彼が世に出た作品で彼が演じていたヒーローの変身モードです。彼に近付くと浄化されるんだそうです」
「浄化される?」声が大き過ぎたことに慌てて振り返ると、本庁捜査員らしき男たちが不自然に目を逸らした。「嘘くさいわね」
「そうですね。ただのネットのうわさ話ですから。話の出所は宇宙人自白説と同じおしゃべりな看護師さんで、彼女は斎藤氏との接触後、依存していたことから解放されたそうです」
「依存していたこと?」櫂の不自然さに気付いた岸は、そこで会話を打ち切った。「わかった。私も自分で調べてみます」
「時間の無駄だから、ソースを送りますよ。ZKDに投稿された動画です」
 櫂は数秒で必要な情報を探り出し、岸の携帯電話に送信した。
 看護師は性依存症から解放されたと話したそうだ。
「明鏡止水モードになった斎藤タケルに浄化されたんじゃないかと言い出したインフルエンサーがいて、いま急速に拡散している動画です。うまいこと言いますよね。でもこれって実は笑えない話なんじゃないかと思うんです」
「どういうこと?」
「時村さんが言っていたように斎藤タケルに乗り移ったppに斎藤タケルの自我が残っているということではないでしょうか。逆に言うと、ppが斎藤氏の自我に影響を受けていると言ってもいいかも知れません」
「で、櫂くんはこれから斎藤タケルがどうなると思うの?」
「分かりません。ただ、彼が地球外の叡智と通信をしていて、攻撃型ppの有効な投下場所についての情報を送る役割を持っている情報収集型のppだとしたら、時村俊吾さんも言っていたように次のアタックはもう歌舞伎町の交番レベルでは済まなくなるはずです。今ごろ彼はインターネットに触れているかも知れません。もしネットから学習されたら世界の軍事基地や原発の場所、各国首脳の居住地、何でも知られてしまいます。極端に言えば、ある個人を狙ってppにすることも可能になるかも知れない」
「ちょっと想像が追いつかないけど、そんなことがあり得るの?」
「あり得ませんよ。普通なら。でも僕たちは見ましたよね。あのアメーバみたいなやつ。あんなのが存在すると思ったら、もう何だってあり得ます。これだけのことが起こっているのに、みんなが目を背けてる。次にどこかがやられるのをただ黙って待っている。次はアメリカが攻撃されればいい。そうなれば本気になったアメリカが世界を代表して何とかしてくれると思っている人が、この国にはたくさんいて僕の両親もたぶんそう思っています。あんなのに乗り移られてまだ生きている人がいるなら、注意するべきです。まず誰かが、彼の額にレーザー光線を当てるべきです」
「もしかして、それを警察に伝えるために話していたの?」
「そうです。怒りましたか? こんな話、調書に書けないでしょ」
「怒ってはいないけど、楽しくもない」
 岸は珍しく不機嫌を表に出した。
「すいません。でも、もう、このこと以外に何に対しても積極的になれなくて——逆にこのことだけが、今の僕の生きがいになっているのかも知れません——。ppや、それを操っているものの思考を想像している間に、気付いたら一日が終わっているんです。僕は時村俊吾さんじゃないから、僕の考えは間違いだらけかも知れません。でも、少しでも彼がppである可能性があるなら、早く潰しておいた方がいい。捜査権を持っている人に僕の意見を伝えたい。そう思ったら、これ以外に方法がなくて——」
「それで、こんなやりかたを考えたの?」
「ひねくれててすいません」
 櫂は、点在する私服捜査員に謝るように、周囲を見回しながら答えた。
「そうだ、これも聞きたいと思っていました。もう一人の刑事さんがいたじゃないですか、あの人は今どうしているんですか?」
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