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文字数 1,782文字

 自宅待機を命じられ、早朝六時過ぎに独身寮へ帰宅した岸はスーツの上着を脱いだ格好のままベッドで眠りに落ち、その三時間後、悪夢に飛び起きた。制服を着た警察学校の同期生たちに囲まれて拳銃で撃たれ、蜂の巣にされる夢だった。報道が気になり、枕元のスマートフォンを掴んでネットニュースを開く。目にした情報が、頭の中で意味を成した瞬間から、自分の耳で自分の鼓動が聞こえるほど、心臓が激しく収縮し始めた。
『女性警察官が、武装したppを撃退か』
 前屈みになってニュースを読む。普段は芸能人のスキャンダルを追い回している写真週刊誌から提供されたその記事の内容は、『女性警察官と思われる人物』のしたとされる行為を概ね賞賛するものだったが、岸を動揺させたのはテキストではなく、そこにリンクされた三枚の写真だ。一枚目は上空から撮られたもので、岸が機動隊員に向かって銃を構えているもの。撃ち落とされた民放ヘリが撮っていたニュース映像のキャプチャー画像だ。二枚目の写真には、ぼかしなしの自分の顔が鮮明に写っていた。発狂した暴力団員と対峙していた時に撮られたと思われる映像から切り出された静止画で、ZKDのウォーターマークが入っている。三枚目も同じくZKDからのキャプチャーで、恐らく二人目の機動隊員を撃った直後のものだ。同じ着衣、同じ髪型、三枚の写真はそれがすべて同一人物であると示している。自分を知っている人が見たら、すぐに特定されてしまうだろう。
 貪るように情報を漁った。少年課の捜査員として日常的に未成年と接している岸は職務規定上自分から書き込みをしないまでもSNSには馴染んでいて、指先は効率良く情報を探し当てて行く。
 驚くべき事に、ほとんどの記事の中で、岸と西島は日本を救った『正体不明の救世主』のような扱いになっていた。
 カーテンの隙間から外を覗く。寮の門の外に記者然とした男が不自然に点在している。
 どうしてこんなことになってしまったのだろうか——。いつ道を間違えてしまったのか。発狂した機動隊員たちを撃ち殺してしまった時か。或いはもっとずっと前、警察官になる道を選んだ時だろうか——。
 カーテンを閉ざして気配を消している自分は、子供の頃から何も成長していないように思えた。その結果、同僚を二人も撃ち殺し、世間の晒し者になろうとしている。
 SNSでは『女性警察官と思われる人物』という言葉がトレンドワードになっている。個人を特定されるのは時間の問題だ。『女性警察官と思われる人物』はいずれ『岸ゆり巡査長』に置き換わり、もし今回のことで責任を問われ警察を追われることにでもなれば、その日から『岸ゆり』になる。書き込みの中には性的なものもあり、岸は自分が裸で放り出されるような、強い不安を感じた。
 トレンドワードのランキング上位にはZKDと時村俊吾に関連するものが多くある。彼らは時村が何らかの声明を出すのを待ちわびていて、不定期に行われるライブ配信が間もなく始まろうとしているようだ。
 ZKDのサイトに入るとまず現れたのは、大手動画投稿サイトのように整然とレイアウトされた刺激的なサムネール画像だ。自分の姿が映り込んでいるであろう動画のマルチ表示を見て、強いストレスを感じる。岸の指は事件の動画を避けるようにして、時村俊吾のライブ配信のサムネイルを開いた。
 中継はまだ始まって居らず、誰もいない白い空間とそこに置かれた椅子だけが映っている。
〈女性警察官って、ゆりさんですよね?〉
 不意に、テキストがバナー表示された。妹のように可愛がっている、宍戸流歌(るか)からだ。
 やはり、もうすでに気付かれてしまっている。このままではいずれ実家の周りにも記者が押し掛けるかも知れない。職務上のこととは言え、娘が人を殺したと知ったら、両親はどうなってしまうだろうか——。
 流歌への返事が思い浮かばない。家出少女だった流歌は心が不安定で、岸は彼女が心を開く数少ない大人の一人だと自負していた。不甲斐ない自分が情けなくなり、警察官になった時から我慢していた涙が、一気に溢れ出した。落ちた雫が画面の上で弾けた時、そこに新たなバナーが届いた。
〈ゆりさんありがとう かっこよかったよ〉
 岸の唇から嗚咽が漏れた。
 救われているのは、自分の方だ——。
 濡れた液晶画面の中では、時村のライブ配信が始まっていた。
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