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文字数 1,344文字

 前日の嵐で、東京の桜はすべて散ってしまったようだ。
 西島が世間の耳目を集めていることで不本意にも世間から再注目されるようになった岸ゆりは、目立たないように俯いて、花びらが貼り付いた歩道を歩いていた。
 5thアタックが起こると噂されている今日は月曜日で、新宿インシデントが起こったあの日のような休日ではない。科学的に証明のされない理由で仕事や用事を止めることができない人たちは多く、政府も外出注意を促すだけで積極的な策を打ち出せずにいた。それでも新宿の人流は少なく、雲一つない晴天にも拘わらず普段の平日の半分にも満たないように見えた。
 情報を持たない大手マスコミはZKDの素材に頼るしかなく、メディアで時村俊吾が話題にならない日はなかったが、当の本人は仲間と気ままに九州の観光地を転々と旅しているらしい。
 警察内にも政府にも、この問題への策はほとんどないようだった。前回の苦い経験から派手に警備を強化する訳にはいかず、無事に時が過ぎるのをただ待つしかなかった。制服警官の拳銃は基本的に銃弾を装填しないようにとの指示があり、これから数時間の間、この国の警察の戦闘能力は極度に低くなってしまう。降参した動物が腹を見せて寝転がるように、日本のリーダーたちは無抵抗を選択してしまっている。警察内での岸の立場も微妙なままで、捜査の一線からは外された状況が続いていた。
 歌舞伎町交差点の横断歩道を渡るとき、NEO JESUS(ネオジーザス) と書かれたTシャツを着た若者と擦れ違った。Tシャツには直立した二頭の熊を従えた西島巡査部長らしき人物のシルエットが描かれている。二ヶ月前、ZKDのライブ配信に現れた彼は、現代のキリストと噂され、一部の若者たちから神格化され始めているらしい。
 中野区内の路上で倒れているところを地域住民に発見された俳優の斎藤タケルは回復後に自身のSNSで、自分の頭の中に育った神様を西島刑事に奪われたと主張し始めた。ZKDのアプリを視聴している世代の者なら、その主張は理に適っていると捉えるはずだ。岸自身も、同じ筋を考えていた。動画を見た限りではオホーツクに現れた西島は岸が知っている西島とはまるで別人格のようで、何かに取り憑かれているとしか思えなかった。
 岸は一礼して、靖国通りに面した鳥居を潜った。
 流歌の始めたフリーハグは歌舞伎町からいくつか場所を変えた後、ここ数週間は花園神社の境内に落ち着いていた。
 参道を抜けて拝殿の前に出ると、その場所はすぐに分かった。
 奥に見える公衆トイレの横に二十人ほどの列ができている。
「今日はppが来るかもだからもう受け付け終了だよ。お金いっぱいくれるならウチがなんとかねじ込むけど」
 マジックで大きく『きふ金』と書かれた箱を突き出して、まだ子供に見える少女が言った。
「えっと、私はいいから」
 岸に気付いた流歌が(ちょっと待ってて)と手振りで伝え、中年男性の体を抱き寄せた。
「なんだ。グミの知り合いか」
 少女はまだ他に二人いて、その内の一人はストップウォッチで時間を計っていた。
 危なっかし過ぎて心配になる。彼女たちが犯罪に巻き込まれないために自分ができることは何だろうか。岸はこれからも定期的に彼女たちを見守らなければならないと思った。
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