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文字数 2,197文字

 石田龍拳(セッケン)の構えるビデオカメラの映像は、ZKDのサイトの中でライブ配信されているが、今のところはあまり撮れ高がない。
 天気も良く、風も微風で、目の前の雄大な大自然はどこを切り取っても深い奥行きがある。旅の疑似体験を趣旨とするならば申し分のない映像になっているとは思うが、神回と呼ばれる出来にはまだまだほど遠い。
 警察の誘導で派手に現れて最果ての絶景を目にするまでは、スケールの大きないかにも時村らしい演出だったとは思うが、客観的に見てピークはそこで終わってしまっている。
 フレームの中の時村は冬のオホーツクの素晴らしさについて滔々と話し、話すことがなくなるとクリオネの生態について語り、バッカルコーンについての蘊蓄を垂れた後は、極端に口数が少なくなっている。
 俊吾はいったい何を考えているのだろう。
 学生時代から時村を長く知るセッケンであっても、ここ最近の時村の行動は完全に謎で理解不能だった。昔から秘密主義で最後の最後まで人に真意を見せない変人だったから、今さらやきもきさせられることはないが、中継を終えるまでに、少なくとも次回の配信予告ぐらいはして貰わなければプログラムとしての格好が付かない。オホーツクの次に何処に行くかさえまだ保留になっていて、セッケンだけが仲間外れにされているのでなければ、嶋も杏も誰も今後の予定を知らされていないはずだ。もしも今日、メンバーでも驚くような発表があれば、しばらくは高視聴者数を保てるかも知れないが、大したオチもなく警察を引き連れて北海道を転々としているだけでは、飽きられるのはもはや時間の問題だ。
 事前の打合せもなく、ありふれた旅行系動画配信者と変わらないようなものを撮らされ続けるのは、セッケンにとってもストレスになり始めていた。正直に言えば、策の見えない時村を撮っているのは、つまらなかった。
 杏は海岸に打ち上げられた流氷の塊に乗って、白い世界を見渡している。
 流氷を天然のレフ板にしてあらゆる方向から自然光を浴びた杏に、セッケンはカメラを向けた。最近では杏を目当てにサイトを訪れる者も多いらしい。ズームを望遠にして捉えた無防備な顔は、セッケンからの視聴者サービスだ。
 杏がポケットからスマートフォンを出して、何かに気付いたように網走方面に視線を向ける。視線の意味を察してカメラを振ると、遠くから二両編成の列車が近付いて来るのが見えた。流石の時村も鉄道の蘊蓄は持っていないらしく、「いいねえ」とカメラ目線で言った後は、ただ満足そうに微笑みながらレトロなディーゼル機関車を目で追っている。確かに、流氷と鉄道の組み合わせは相性が良く、カメラを通して見てもなかなかの旅情があった。
 のっそりと北浜駅に入ってきた列車がうめき声のようなブレーキ音を響かせて停まると、たった二両の車両から百人ほどの人が吐き出されてホームに溢れた。ファッションや挙動から、少なくとも半分以上がZKDの支持者に見える。昨日の旭川での配信を観て今日の行動予定を知った時村信者たちが、女満別空港行きの始発便に乗ってやってきたのだろう。
 時村は「おーい」と言って手を振り、海を指さした。「最高だぞ」
 こっちを気にせずに景色を見ろと言っているのだが、その提案にまんまと乗ったZKD支持者たちは一般の観光客に混じってオホーツクの絶景を共有した。時村に置いて行かれて手持ち無沙汰になっていた先着組も現れた列車に興味を示し、良い具合に人波がシャッフルされている。のんびりとした運転士の様子から見ると、観光客のために暫くの間停車するダイヤになっているようだ。
 時村は冷えた両手を息で温め、そのまま自分の顔を覆った。指の隙間から世界を見ている。何かを考えるときにするいつもの癖だ。左目を塞いだり、右目を塞いだり。杏と嶋も、そんな時村の様子をちらちらと気にしている。
 時村が振り返って、面白い遊びを思い付いた小学生のような顔で言った。
「もうちょっとしたら、あの列車がこっちに来て目の前を通るから、みんなで手でも振ろうぜ」
 それをきっかけに、何かが始まる予感がした。
「承知致しました」
 嶋が遠慮がちに答えて、時村の隣に並んだ。
 不機嫌そうにして時村から距離を取っていた杏が面倒くさそうに近付いて来て、二人に並んだ。
 釧路方面に向かう乗客が列車に乗り込み、駅に残る者は流氷の中を走り去る列車を撮影しようとしてホームや櫓の上でカメラを構えている。
 三人の背中がフレームに収まるように、セッケンもカメラアングルを確定した。
 踏切の鐘が鳴って、遮断機が下がり始める。カンカンと鳴るリズムに合わせて、雪面が警告灯の赤い光を受ける。列車は小刻みにディーゼル燃料を爆発させ、震えながら加速して近付いて来た。
「おーいっ」
 三人が手を振り、セッケンもカメラがぶれない範囲で片手を振った。
 窓枠の中の乗客たちが手を振り返して通り過ぎて行く。
 鉄の車輪が白い雪煙を巻き上げる。
 通過した列車を見送るようなカメラワークで知床連山の方面にレンズを向けた時、右目の端に強い違和感を覚えた。セッケンは反射的にカメラを元の角度に戻した。カメラモニターから目を離せなかった。肉眼で見てしまったら、恐怖で逃げ出してしまいそうだった。
 踏切の向こう側には男が立っていて、直立した三メートル級の黒いヒグマを二頭、両脇に従えていた。
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