第3話

文字数 1,144文字

「こんにちは。2号車Bの方ですか?」
快活な声を掛けて来たのは弾けるような笑顔の女性だった。真っ赤なミニドレスが良く似合い、オシャレなメガネの向こうに賢くも美しい大きな瞳が輝いている。
「ええ。2号車Bの一向一鍵(いっこういっきい)と姉のここあです」
一鍵(いっきい)が自己紹介をする。
「2号車Cの花吹雪(はなふぶき)みやめです。こちら主人の大地(だいち)と息子の(そら)です」
「お若いママね。赤ちゃんを抱っこしてなければ女子高生に見えるわ」
ここあが目を丸くする。
「よく、言われます」
みやめがはっきり答える。
「よく眠ってますね。お嬢ちゃんですか?」
一鍵(いっきい)が聞いた。
「男の子です。私に似て可愛いから間違われるんです」
「みやめ……」
影のように寄り添う夫が遠慮がちに妻の名を呼ぶ。
「ああ、ミルクの時間ね。ちょっと、ボーイさん、ベエレスト山麓のスバラシキ水*2) って、あるかしら?」
みやめが、傍を通り抜けようとした青年を呼び止める。
「ベエレストですか?」
コックコートを着た青年は一瞬、キョトンとし、直ぐに笑顔で、こう続けた。
「いえ、そのような水はございません」
ニキビの浮かんだその顔は未だ、あどけない少年のようだった。

*2)いっき『それでもお前を愛してる!』(2017)(星の砂)宇都宮ケーブルテレビ.(2017/3027アクセス)




「困ったわ。絶対、(あた)らないって聞いたのに……国じゅうの名水を取り揃えてるんじゃなかったの?」
「はあ、申し訳ございません。こちらの『富士山麓の湧水』も安心、安全と好評でございます」
「みやめ……」
大地が再び声を掛ける。  
「じゃあ、それでいいいわ」
みやめはペットボトルを受取り、「ミルク飲ませて来るから、食べててね」と、急ぎ足で部屋へ向かった。
「みやめ……」
大地は、ひとり取り残された。  
「今のコック、ジャニーズみたいだったわね」
ここあが囁く。
一鍵(いっきい)は無視して、大地に話し掛ける。
「やあ、赤ちゃん連れでは大変ですね」
「……」
大地はにこにこ笑っている。
「このご旅行は奥様のご希望で?」
「……」
大地はにこにこ笑っている。
「ええと、見事な車両ですよね」
「……」
大地はにこにこ……。

「ああーっ。チョコレートタワーよ」
ここあが、一鍵(いっきい)の腕を掴んで走り出した。
「素敵ぃ。一度、やってみたかったのー」

大皿に盛られたフルーツに串を刺して流れ落ちるチョコレートに潜らせる。
甘味と酸味が程よくマッチして得も言われぬ美味しさである。
「姉貴、虫歯になっても知らないぞ」
「いっきーもやってみな。楽しいよ」
「いや、甘いの苦手だし」

茶褐色の塔の周りには女性が群がっていた。
女は甘い物が好きなのである。

「ご覧あそばせ。あのダイヤ時価100億ですって」
「元は某国の姫ですもの……」
ひそひそ声が聞こえる。

タワーの向こうに、紫色のドレスを着た1人の女性が佇んでいた。




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