チェス盤のチャーリー・ブラウン

文字数 1,919文字

 下の弟が「ちっちゃくていらない人形、なにか持ってない?」と尋ねてきたので、私はほこりのかぶったチャーリー・ブラウンのキーホルダーを手渡した。彼の意外な再就職先はチェスの盤上だった。黒と白のナイトやクイーンの駒に囲まれ、居心地悪そうに黒の一員として隊列の端に立ち尽くしていた。

 弟ふたりが、チェスを始めたいのでルールを教えてほしいと父に言ってきたとき、父と母は大いに驚いた。雨の日すら泥まみれで野球やアメフトに興じる彼らから、チェスというインテリジェンスな遊びの名前が発せられたからである。
 しかし勝負がつくたびに彼らはアメフト仕込みの大喧嘩をし、婦人警官だった母からアリゾナ州立警察学校ツーソン分校仕込みの拳骨を賜るのだった。そして取っ組み合いに巻き込まれてバラバラになった白黒の駒を拾い集めると、何事もなかったかのように仲良く再びチェスを始めるのが、彼らの無邪気さの象徴であった。対局、喧嘩、拳骨の一連の流れは古典演劇のように繰り返されたが、我が家の「女王(クイーン)」たる母は、怒りはするものの、内心チェスという頭脳を使う競技に目覚めた息子たちを嬉しく思っているようだった。

 先ほども母が「次やったら、授業参観にスリップで行く」という独特な表現でふたりを叱っていたので、また喧嘩したのだろう。そしてその過程でチェスセットを放り投げたかして、駒が足りなくなったのは容易に想像がついた。
 チャーリーの役どころは黒のポーン(歩兵)だった。チェス盤上で最弱の駒の代役をするのは、チェスに詳しくない私でも「やはり」という気がした。私は盤上の彼の心中を察した。どうして僕はチェスの盤上にいるんだろう。本当は野球か凧揚げがやりたったのに。ライナスが代わりにマウンドに上がり、僕より良い球を投げていたらどうしよう。妹のサリーから「お兄ちゃんが黒のポーンだなんて恥ずかしいわ。学校で笑われちゃう」とか言われるんだろうか。物憂げな表情でビショップやルークによる捕虜の奪い合いを見つめていた。そして彼は一度も動かされないまま、勝負がつき、弟たちが胸ぐらを掴みあうと、母は「これからラペルラのランジェリーで校長室に行く」と叫び始めた。
 我が家でほぼ毎日繰り返された出来事だが、今日はチャーリーが盤上でこれを見つめているのだ。なんだか古い友人に家族の恥部を晒しているようで、いつもとは違う感情になった。

 
 弟たちのチェスから正規の駒が続々と減り、チャーリーの

も、超人ハルク、スーパーマン、ジミ・ヘンドリクス、ロッキーのときのスタローン、イチロー、ポンティアックGTOと多岐に渡るおもちゃが代役を引き受けていた。新しいセットをプレゼントしようかと考えたこともあったが、上の弟が隣人一家の娘のマギーに「僕の家のチェスはスーパースターズだ」と自慢しているのを見て、やめにした。彼らは「チェス」ではなく「超人ハルクのいるチェス」が好きなのだ。
 流石に弟たちもこの半年で分別がつくようになっていた。母がわざわざラペルラのカタログを取り寄せてまで叱ったのが効いたのかもしれない。相手の手を見て戦術の意図を見抜き、さらに自分の陣形を見直すようになったのが、表情でわかった。
 弟たちが成長しても、相変わらずチャーリーは黒のポーンだった。あまり目立った活躍はしていなかったが、時折強い駒を獲る活躍を見せることもあり、傍から見ている私は、ほかの代用の駒が動くよりも心躍るものを感じた。理髪店のさえない長男坊は、いまでは「スーパースターズ」の一員なのだ。サリーも鼻が高いだろう。
 
 ある日、私が学校から帰ると弟たちの対局が終盤に差し掛かっていた。いつもと違うのはチャーリーが縦横無尽に動かされていることだった。
「今日のチャーリーはポーンじゃないの? ポーンってこんなに動けたかしら」 
 珍しく私が口を挟むと、弟たちは特別なルールを教えてくれた。プロモーションといって、ポーンが最上段まで前進すると、他の駒の動きが出来る様になるという。一応はナイト、ルーク、ビショップも選べるが、大体の場合、上下左右斜めの八方を自由に動ける、最強の駒であるクイーンを選択するという。
 チャーリーはついに女王陛下にまで上り詰めたのだ。ジェンダーについては想定外ではあったが、王室なき合衆国の、アメリカンスターが集まったこのチェスの盤上で、最上段の扱いを受けるようになったのだ。もうルーシーから意地悪もされないだろうし、恋焦がれていた赤毛の女の子も、彼に気付くことだろう。
 晴れがましい気持ちになっていたが、すぐさま女王たるチャーリーはポンティアックGTOを

ナイトに捕まり、あっさりと白軍の捕虜となった。
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