音楽の力は偉大よ

文字数 2,281文字

「音楽の力は偉大よ」
 当時この言葉の意味がまったくわからなかった。私の中学二年次に担任教師の口癖だったが、彼女は12年ほど前まで母乳を吸っていたような私たちに対して、顔を真っ赤にして怒鳴りながらこの言葉を繰り返していた。そうした彼女の姿は「偉大」という言葉とは無縁に感じられた。


「音楽の力は偉大よ」
 東京の音楽大学を卒業した彼女は、一般的な総合大学を出た教師とは異なるユニークな教育をしていると自負しているようだった。しかし彼女の指導がどんな教師よりもユニークさに欠けていたのは、ある意味では当然のことだった。無理に特色を出そうとするとむしろ空回りすることのほうが多いのは、さすがに中学生なら理解できた。強要された楽しさが一番楽しくないのである。歌う喜びを表現しろと、喜びを微塵も感じられない表情で指揮棒を振り回していた。


「音楽の力は偉大よ」
 担任が特に力を入れていたのは合唱祭だった。私の生まれ育ったQ市にはムジーカホールという北関東で最大級の音楽ホールがあり、合唱祭の開催会場にそこが使用されていた。
 彼女は音大時代、高名なオペラ歌手による『誰も寝てはならぬ』をムジーカホールで観たことがあるらしく、同じ舞台に立てるのがいかに光栄であるかを幾度となく語っていた。その話をする度にほとんどの生徒が眠っていた。


「音楽の力は偉大よ」
 合唱祭の二週間前、美術の授業がいつのまにか音楽にすり替わっていた。彼女は美術の力の偉大さは認めないようだった。授業後、美術教師が不服そうな顔で音楽室から出ていく我々生徒たちを見つめていた。
 その後、数学や社会、国語も何回か音楽に変わった。体育だけはずっとそのままだったのは、音楽の力と同様に体育の力が偉大だからであり、体育のイワホリ先生の顔の恐さは無関係のはずである。
 

「音楽の力は、偉大よ」
 合唱祭の前日の放課後、2時間弱休みなく歌わされた我々は、女子は半べそになり、男子もかなり疲れの色が見えていた。その様子を見た一年次に同じクラスだったフジモトくんが、あろうことか例のクリシェをそっくりに真似したのだ。担任の彼女は顔を真っ赤に、それどころかショッキングピンクにして、逃げるフジモトくんを追いかけたが、野球部でセンターを守る彼には追いつけなかった。生徒に八つ当たりする彼女から威厳というものをまったく感じなかったし、むしろ野球の力は偉大だと思った。


「確かに2位という成績だけど、あんなにバラバラだったクラスが毎日一歩一歩まとまってここまで来れたんだ。D組のみんな、本当によく頑張ったな」
 いい言葉だと思った。残念ながら私たちはA組だったが。


「音楽の力は偉大よ」
 A組の『大地讃頌』は他を圧倒していた。数学や国語をつぶしてまで歌ったのだから当然だった。最下位のB組などあきらかに大して練習をしていなかったし、たかが合唱祭なんてこれくらいでいいんだ、『誰も寝てはならぬ』なんか知るかよという稚拙なハーモニーが心底うらやましかった。
 優勝の余韻に浸りながら例の呪文をのたまう私たちの担任と対照的に、フジモトくんのいるD組の担任の言葉は人間味に満ちていた。馬鹿の一つ覚えという言葉から遥か遠くにあった。


「音楽の力は偉大よ」
 馬鹿、いや担任からあろうことかもう一度ムジーカホールに出演する機会を得たことを告げられた。Q市の中学校が合同で出場する合唱祭に参加するのだという。
 それを知ったフジモトくんに「罰ゲームの力は偉大よ」と揶揄された。むしろフジモトくんが「罰ゲーム」と形容してくれたことに、救われる思いすらあった。


「音楽の力は偉大よ」
「音楽の力は偉大よ」
「音楽の力は偉大よ」
 罰ゲーム会場で担任は、面識のあるらしいQ市内の他校の音楽教師たちと会話をしていた。その最中、他校教師たちからも少なくとも3回は例のマントラが聞こえてきた。引き連れられている他校の生徒たちも我々と同じ表情をしていた。彼らも「ユニークな教育」を受けているのだろう。


*


「――――音楽の力って、もっと偉大なんですよ(笑)」
 そうしたトラウマもあり、高校時代は音楽を極力遠ざけて生活しようと心がけていたが、高校生活も半分が過ぎたころ、音楽番組で紹介されていたある女性ロックミュージシャンのファンになった。ナース服でガラス板をたたき割るパフォーマンスをしていた彼女本人の曲のみならず、彼女がファンだと公言するドビュッシー、シド・ヴィシャス、ブランキー・ジェット・シティまでも聴くようになった。彼女のインタビューが度々掲載されている音楽雑誌を定期購読するようになり、大学では友人から「音楽マニア」と言われるほどになってしまった。
 ナース服の彼女も雑誌のインタビューでかつての担任教師と同様の発言をしていたが、語尾に「(笑)」が加えられていた。このわずかな「(笑)」こそが真実であり、本質であることに気づいたのは「罰ゲーム」から10年が経過してからだった。


 東京ドームに海外アーティストの来日公演に行った帰り、偶然にも丸ノ内線の車内でフジモトくんと再会した。フジモトくんは淡路町に着く直前、彼は再びあの担任教師のものまねをした。
「音楽の力は偉大よ」
 練習で疲れ切ったあの日と変わらないクオリティのものまねだった。違うのは私の感じ方だった。むなしい響きばかりを持った言葉が正しいように感じられたのだ。国会議事堂前に着く前に私はフジモトくんに言い返した。
「音楽の力は偉大よ。……あんなひどい合唱祭と罰ゲームがあったのに、私は音楽を嫌いにならなかった。だから音楽の力は偉大よ」
 
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