じゃんけん屋

文字数 1,758文字

「じゃん、けん、ぽん」
 無邪気な掛け声ががらんとした教室にこだました。
「じゃんけんの練習なんてしても」
 ヤスダが所属する郷土資料研究部唯一の友人である、オクノの正論にヤスダは返す言葉がなかった。もっともオクノも10分後には、小さな声で「ちっ、けっ、た」とじゃんけんの練習をしていたのを、ヤスダは見逃さなかった。オクノが祖父から教わった、東京の下町での古い言い方だという。
 
 ヤスダの高校の文化祭は、部活動単位で必ず催し物を開かねばならず、郷土資料研究部も例外ではなかった。郷土資料研究部がほかの部活と異なるのは、「生徒は必ず部活動に参加すること」という校則への救済措置として機能しているような部活であり、ほかの部活からつまはじきにされた者や、校外での活動に参加する生徒が籍だけ置いている状態が大半であった。全校で13人所属しているらしいが、部長であるヤスダですら誰が部員なのか把握できていなかった。当然のことながら、郷土の資料研究をしたことなど一度たりともなかった。
 夏休みを無為に過ごすうちに企画提出締め切りがきてしまい、オクノがその場しのぎで思いついた「じゃんけん屋」を開催することになった。当日までになんとかすると言っていたオクノは、彼なりにアイデアを考えてはいたようだが、結局使われていない教室で無料でじゃんけんの相手をするだけの企画になった。

 
 チョークで「JANKEN」と書かれた黒板くらいしかない空き教室で、無意味な時間がただ流れた。退屈に耐えかねたヤスダとオクノはときおりじゃんけんをしては、どちらも勝敗とは関係なしに静かな虚無感に苛まれた。
 郷土資料研究部に属しながらも「じゃんけん屋」に参加しない、それどころか同日に行われる別の高校の文化祭でフランクフルトを焼いている人間もいると、ヤスダは人づてに耳にした。会ったことはない、そもそも誰なのかわからないが、ヤスダは無性にその部員に腹が立った。せめて「じゃんけん屋」に変わるアイデアを出してから焼きに行けよ、そんな奴の文化祭など台無しになってしまえ、パーになってしまえと、オクノの前で開いた手のひらを見つめた。もちろんオクノのチョキに敗れた。
 

 うなだれていたところに唐突にドアが開いた。長い襟足から軟派な印象を受ける、他校の男子生徒がひとり入ってきた。彼が財布を出そうとするので、あわてて制止しようとすると、「500円出すから。そのかわり絶対グー出して」とヤスダの耳にささやいた。
 ためらいはあったが、実際にグーを出すと、彼はパーで勝利した。
「ほらー、俺、グーで勝てるっていったじゃん。エリカちゃん約束だからね」
 「じゃんけん屋」の教室のそばに、いつの間にか彼の彼女らしき女の子が立っていた。どうもじゃんけんの勝敗で結果が変わる、他愛ない賭けをふたりはしているようだった。こっそり返そうと思った500円玉も、仲睦まじいふたりの間に割って入るのも野暮かと思い、結局オクノと野球部が作る焼きそばを買うのに充てた。その後だれも「じゃんけん屋」に誰も来なかったが、すこしだけ心が晴れがましくなっているのがわかった。

 ★
 
 10年の歳月が経過したある日、ヤスダが仕事の取引先の忘年会に誘われると、「じゃんけん屋」にやってきたあのエリカという女性も参加しているのを発見した。一応「会ったことがあるのですが」とは伝えてみたが、まったく覚えていないのは予想通りの反応だった。
 忘年会はエリカの復帰祝いも兼ねる会のようだった。夏に子供を出産し、育児もひと段落したので年初から復帰するという。
 エリカが見せてきたスマートフォンの画面には赤ちゃんとその父親が映っていた。父親は間違いなく、あの時八百長を持ちかけた襟足の長い彼であった。すっかり精悍な顔つきになり、これなら娘に賭け事を教えることはないだろうと、ヤスダは妙な安堵を覚えた。
「あの、お嬢さんの名前は」
「アイコ」
「え」
「愛する子供で“愛子”ですよ。アイコ」
 唯一「じゃんけん屋」という少しいびつな記憶でのみ繋がっている女性は、その後アイコという、じゃんけんに通じる名前の子供を育てていた。ヤスダはあの時のお返しにと、忘年会の飲み代をひとり頭より500円、誰にも言わず多く払った。これでおあいこのはずである。  

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