マゾヒズム

文字数 1,048文字

 バラエティ番組での「S」や「M」といった言葉の流行で、以前よりはサディズムやマゾヒズムが身近なものになったが、パートナーとの房事のなかで実践している人間はごくわずかである。しかし今晩の徹と真帆はそうではなかった。
「うまく出来るかなあ」
 徹が話題になっているドイツ映画を観に行くと、作中にサドマゾキズムの描写があり、頭から離れなくなってしまった。思い切って真帆にやってみたいと打ち明けると、肉体を傷つけるのは気が引けるので、言葉による加虐だけならという条件付きで承諾した。
「どうしよう。なにかおかしなことを口走ったりしないかな」
「大丈夫。最中に言ったことは絶対に否定したり、怒ったりしなから」
「えーと……。お前なんて……、こ、こ、この」
 しどろもどろになって言葉を必死で選んでる恋人の表情に、いつもとはまた違う愉悦を覚えた。
「この、甲斐性なし!」
 予想だにしない言葉だった。徹があっけにとられてるうちに真帆は矢継ぎ早に言葉を浴びせた。
「時間は守らねえし、遅刻してもヘラヘラしてさ『ごめん待った?』、じゃねえんだよ!」
 想定していたのは、少し膨らんできた下っ腹や後退してきた頭皮のことへの罵りであった。しかし恋人からの人間としての資質を問う言葉に、心にひびが入っていく。
「すぐ芸能人に文句ばっかり言ってさ。とがってるつもりかもしれないけど、ガキのやることだから」
 自分から言い出した以上、やめてとも言えない。真帆は言葉を続ける。
「私が生理で出来ないとき、あからさまに態度変えてんじゃねえよ」
「いつまでも昔のこと引きずりすぎ。もう令和だから」
「すこしは周りとあわせることを覚えろよ」
「私への注文が多すぎる」
「自分に甘い」
 これではサディズム、マゾヒズムの関係性に名を借りた説教である。付き合いの長い恋人は自分のことをよく知っているし、そして自分のダメな部分もよく知っている。
「こんな言われようのクセに、なに勃ててんの」
 いまの自分の脳裏によぎったことを、恋人は寸分の狂いも無く言い当てた。
 
 一通りことが終わって、照明を点ける。真帆はとても満足気な表情だった。
「すごく楽しかったね。私すごくすっきりした」
 果たして性的な満足か、普段思っていた不満を吐き出して満足しているのか、判断しかねた。どちらであっても、恋人が満足ならそれで良いかと捉えることにした。
「またやろうね」
 徹は「いいよ」と答えた。最後まで真帆の言葉を否定しないのは、もはや意地だった。心が元気な時にと付け加えたいのも喉元で飲み込んだ。
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