或るボーカロイド(なにわ歌ごよみ)

文字数 3,090文字

1.()るボーカロイド 2010

 ボーカロイドという、人工音声が入力したデータを歌唱してくれる音楽ソフトは以前から存在していたようだが、『遥歌(はるか)リラ』というメガ・タイトルが現れてからというもの、その存在は一般的なものになった。
 パッケージに描かれたキービジュアルの少女・リラも人気となった。ターコイズブルーの髪色はSFチックな印象を与え、次第にファンアートや仮装(コスプレ)をするファンも目にするようになった。単なる音楽ソフトという枠組みを超え、「ボカロP」と呼ばれる製作者たちが音楽以外の様々な面で彼女全体をトータルプロデュースできる存在となった。
 ちょうど同時期にインターネット動画サイトが発展したこともあり、オリジナルの曲を歌わせるものから往年の名曲をリラにカバーさせるものまで多種多様なボカロPたちによる、それぞれの物語を持った遥歌リラが生まれたのである。そうした多様性を持ったリラこそネット文化の象徴だと言う人もいた。
 
 私が高校のころ、高名なテクノアーティストが楽曲にリラの歌声をミクスチャーし、当時一番人気のあった音楽番組で披露したことが話題になった。そのほかのメディアも「ネットで話題」と銘打って続々とリラの特集を組み、満を持してアニメ化がなされるのではないかという噂も流れた。ボカロPたちとリラのファンもかつてない盛り上がりを見せていた。
「遥歌リラ、人気になって良かったね」
「いっちゃん、上手く言えないけど……あれは違うんだよ」
 黎明期からボーロイドに注目し、私に遥歌リラという存在を教えてくれたソダという友人はなぜか不服そうだった。リラを「ネットの象徴」だと言いながら、テレビのような旧来のメディアが取り挙げてくれてうれしいと言うのは矛盾している。さらにボカロPごとにそれぞれのリラのストーリーを作れるところが魅力なのに、「テレビで特集してくれた」というストーリーに集中してしまうのはおかしい、これがソダの意見だった。

 ソダとの会話の6年後、たまたま目にした雑誌に遥歌リラの開発者のインタビューが掲載されていた。そこにはアニメ化が実現しなかった理由が語られていた。
  
――アニメの企画も大変魅力的で、かなり迷いましたが断念しました。公式の形でリラという女の子にストーリーが出来上がって、肉付けしてしまうのは良くないと考えたのです。もったいないことをしたかなと、今でも思います(笑)。しかしあの時リラにストーリーを作らなかったからこそ、未だにみんなが「新しいリラ」を作ってくれるのかなと。
(『カルチュアル・ジャパン』vol.256 P24 「遥歌リラの時代 開発チームは語る」)


2.或るボーカロイド 2020
「いっちゃん、遥歌リラの小説書かない? できれば歌詞も」
 ソダとは高校を卒業し、彼が大阪芸術大学に進学して以来連絡が途絶えていたが、1年前に埼玉に戻ってくると再び交流を深めていた。ソダも私も日中は会社勤めをしつつ、夜や週末は創作活動に充てていた。
 私が大学時代から書いている小説をいくつか見せると、ソダからの依頼が来た。ソダの周囲で複数の人数でリラの楽曲を作成し、その楽曲にまつわるイラストや動画などもセットで創作するのが流行っているようで、私もそれに誘われたようだった。
 執筆を頼まれるうれしさから引き受けてしまったが、安普請をするんじゃなかったと少し後悔した。私は遥歌リラを含めてほとんどボーカロイドにまつわる知識を持ち合わせていなかったのだ。一週間まったくアイデアが出なかったので、ソダに困っていることを正直に告げると、東武線志木駅近くにある彼の自宅に招かれた。実際にボーカロイドで曲を作っているところを見れば思いつくものがあるのではないかという理由だった。

 意外だったのはソダのアパートに彼女がいることだった。それも大阪芸大在学中に知り合い、わざわざ大阪の羽曳野(はびきの)市からソダと一緒に埼玉まで来たのだという。芸術家肌で、女性どころかあまり人付き合いを求めないソダが仲睦まじく彼女と話している姿のほうが、パソコンでリラのビブラートを調整する光景よりも小説のアイデアの源泉となった。
「ソダくん、いっちゃんのことよく話してるのよ」
 2音目にアクセントがくる彼女のしゃべり方は、まさしく関西で生まれ育った人間のものだった。
「よくってほどでもないわ。たまに、たまにやねんて」 
 パソコンをいじりながら彼女につられ、関西弁になるソダのしゃべりは間違いなく偽物の、無理をしている関西弁だった。


3.なにわ歌ごよみ
 蕎麦よりもうどんの文化が強い大阪の町で、リラは東京生まれの大将の蕎麦屋にもう10年も働いていた。安治川(あじがわ)にほど近いこの店が開店した時から働いているリラにとって、もはや家のような場所だと思っていた。最初はターコイズブルーの髪色を「店の雰囲気に合わない」と言っていた女将さんとも、今では定休日にふたりで出かける間柄になっていた。
「リラちゃんも今度みんなでカラオケいったらええのに、楽しいで。別に無理に歌わんでもええよって。来るだけでええねんから」
 「大阪のお母さん」と思っている女将さんと、リラが唯一行動を共にしない場所がカラオケだった。もちろん女将さんもリラがかつてボーカロイドであることを知っていた。「歌わんでもええよ」と付け加えてくれるやさしさに、リラの人工の胸が痛んだ。


 インターネット上で細々と活躍していたはずの平凡な歌手だったリラは、一晩で運命が一変した。高名なテクノアーティストがリラの曲を好きだと公言すると、次の日からあちこちで歌うことになった。
 多くの人に褒められ、自分の歌によって多くの人が動くのはこれ以上ない喜びだった。一方で気がかりなのはPだった。Pはリラにとって音楽の基礎を教わった人物であり、自分の魅力を一番知っている友人であり、心のうちをさらけ出せる唯一の男性だった。
 歌えば歌うだけ自分の周囲に人が集まるのは、Pとの距離が離れていくようでもあった。リラはSFチックな自分の衣装とは裏腹に、古風な女性であることを認めていた。自分が楽しく歌を歌い、心を許した一人の男性が褒めてくれればそれでいい。そんな不器用な自分が嫌いだった。


 メジャーデビュー、海外進出、自らをモデルにしたキャラクターのアニメ化。全て断って安治川近くの蕎麦屋で働き、気が向いたときにだけ少しだけネットで歌っていた。蕎麦屋で働いていたのはPの好物だからであった。Pと初めて鴨せいろを食べた店によく似ていたのが、この店で働き始めたきっかけだった。
 ラストオーダーの30分前、店にPがやってくる。Pが店に来るのはいつもこの時間帯だった。Pが何回この店に来ようとリラはいつもどおりの接客をするのだった。
「お客さん、なににします」


「あたしな、あんたも知っての通り、もっとぎょうさんの人があたしの歌を褒めて、ちやほやしてくれたんやで。ほんまのほんまやったら、あんたみたいな男はひっかけもせえへんわ。わかっとんの」
「ほんまにリラは……」
 Pが口元だけで微笑む。
「……下手やの」
 リラが下手なのは河内弁なのか、嘘のつき方なのかは聞き取れなかった。聞き返さなかったのはその両方だと思ったからだ。



『なにわ歌ごよみ』

天保山(てんぽうざん)に 沈む()
あたしもあんたも あかね色
あそこはちょけた山やけど
阿呆(あほ)なあたしに よう似とる

夢も声も 枯れたけど
ネオンとあんたが()ろうてる
ふたりのリズムは 知らんけど
どれあい あんたと()りたいの

なにわの歌は 恋の歌
調子はずれの歌やけど
なにわの歌は 夢の歌
ささやくような 歌やねん 
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