ヒロトにやさしく

文字数 1,711文字

 昼休みに弁当を食べていると、二個目のシュウマイを口にしたところで隣のクラスのオカモトが僕のところにやってきた。
「コーラのCM見た?」
 僕もオカモトと会ったらその話をするつもりだった。1週間前ほど前からアイドル女優がTHE BLUE HERATSの『人にやさしく』をカバーする、コーラのCMがテレビやネットで放映されていた。カバーといっても鼻歌程度のものだが、やはりまだブルーハーツの人気は健在で、少しばかり話題になっていた。
「ブルーハーツがいまだに人気なのはうれしいけど、女の子にブルーハーツのカバーをさせるCMが多すぎる気がする」
 1年前にも同じようなCMがあり、オカモトは1年前も今回と同様の結論に至っていた。
僕はオカモトのような熱心な甲本ヒロトのファンではなかったが、音楽ファンとして「伝説のミュージシャン」である彼を尊敬していたし、なにより甲本ヒロトを語るオカモトの語り口に好感を持っていた。子供っぽくて不器用で自虐的だが、それ以上にさわやかな純粋さと諧謔に満ちており、オカモトが長渕剛でも、甲斐よしひろでも、宮本浩次でも、峯田和伸でも無く、甲本ヒロトを語る理由がよく分かった。
「俺もあのCM大好き。いいよね」
 声をかけてきたのはカネコだった。カネコが甲本ヒロトの話題に乗ってくるのは意外だった。話したことは無かったが、端正な顔立ちでクラス内の男女でともに人気があったし、最先端の流行を追いかけていそうなカネコが、80年代の日本のロック、それも甲本ヒロトを聴くタイプには見えなかった。
「ブルハ良いよな。ブルハ」
 オカモトの顔が濁っていく。彼はブルーハーツを「ブルハ」と呼ぶのを是としていなかったからだ。
「オカモトは何の曲が好きなの」
「『1001のバイオリン』」
「いや、『1000のバイオリン』でしょ。あのカメラのCMの曲でしょ」
 オカモトの眉間の皺が何層にも折り重なった。カネコは『1000のバイオリン』のオーケストラアレンジバージョンの題が、『1001のバイオリン』であることを知らないようだった。そしてカネコが指しているカメラのCMの曲も『1001』のほうであった。
「俺の一番好きなブルハは、『日曜日よりの使者』だな」
 オカモトが震えている。『日曜日よりの使者』は甲本ヒロトがブルーハーツの後に在籍したバンドの曲だった。

 オカモトのこだわりの強さと、その強さにがんじがらめになっている部分、両方に共感できると思ったし、そこまで趣味に対して熱くなれる彼をうらやましくあり、苦労も多い生き方だろうなと思いながら帰路に就いた。
 高校から最寄りの駅のホームで電車を待っている列に並ぶと、一人挟んでオカモトの背中が見えた。声をかけようかと思ったが隣に女子がいたので慌ててやめた。
「あたしも、あの『人にやさしく』のCM大好き!」
「だよね、とってもいいよね」
「やっぱりブルハって最高だと思う」
「わかるわかる」
 盗み聴きしているわけではないのだが、聞こえてきてしまう。帰宅ラッシュ時間のホームは混んでおり、2人の後ろから移動出来る状態ではなくなってしまった。
「オカモトくんはは何の曲が好きなの」
「『1001のバイオリン』」
「いや、『1000のバイオリン』でしょ。あのカメラのCMの曲でしょ」
「そっか、なんかとごちゃにしちゃった」
「あたしがブルハで一番好きなのは『日曜日よりの使者』かな」
「いいね! エリちゃん。わかってる人の選曲だ!」
 電車が到着し、満員の車内に乗る。立ち位置の関係でオカモトと目が合うと、照れくさそうに下をうつむく。その後もオカモトの隣の女の子は「ブルハ」を連呼し、ブルーハーツに詳しくない僕でもとんちんかんな内容とわかる甲本ヒロトの話を続け、オカモトは笑顔で相槌を打った。彼女は電車を降りる寸前に満面の笑みで「『15の夜』と『卒業』も大好き!」と話していた。
 ターミナル駅に停まり、いっぺんに人が降りたがらんとした車内でオカモトは真下を向き、昼休みとは違う震え方をしている。
 「……俺のヒロトさんへのこだわりなんて、……この程度だよ……。可愛い女の子の、前ではさ……」
 どこまでも愚直な男だと僕は思った。
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