第3話

文字数 2,556文字

 それからというもの、上山は授業の間、教師に何を言われようとひたすら眠り続けた。
 僕も普段からそんなに真面目に授業を聞いているほうではないが、今日は特別耳に入らなかった。なぜこの転校生は、僕にここまで興味を示すのだろう。答えはもう出ていた。僕が病気、だからだ。でもなぜ、それを知っているのだろう。見た目は他の人間と変わらないはずなのに。その答えも想像がついた。八代が話したのだろう。普通なら、病気についてはプライベートなこと。守秘義務によって、誰にもわからないはずなのだ。しかし、僕が噛まれたことは一瞬だがニュースになった。埼玉県F市立中学校の生徒が屍喰症の男に噛まれ感染したと。そのとき僕は首の傷の治療や検査のため、大学病院に入院して一週間ほど学校を休んだ。
 それだけで、クラスメイトにバレるのは容易なことだった。しかしそれだけではなかったのだ。退院してから初めて学校に行った日、八代が朝礼で話したのだ。
「聖は、少し病気になってしまったけれど……。今までと何も変わらない。保健や道徳の授業で習ったからわかっているだろうけど、聖はみんなと同じ、普通の人間だ。仲間なんだ!」
 「普通の人間」が「普通の人間」だと、朝礼で言われることがあるだろうか。八代の考えなしの空回りな正義感には、怒りよりも先に呆れさせられた。もっとも、こんな話があろうとなかろうと、友達なんていないし、僕に関わってくる人などいないのに。
 きっと八代は上山にも言ったのだろう。
「うちのクラスには屍喰症の子がいるが、みんな仲間だと思ってる。仲良くしてやってくれよ」
 といった風に。
 しかし、この転校生が八代の言葉を真に受けて「仲良くして」いるのだとは思えなかった。あの、クラスの奴らに対する挑発的な態度……。一体何を考えているのか、それだけは見当がつかなかった。
 ぐるぐるとそんなことを考えていたせいか、いつもよりも早く時間が流れた。  
 僕の悩みの種が目を覚ましたのは給食の時間になってからだった。
 隣の人と机をくっつけ、四人で一グループ。席順に沿った班を作って給食を食べるのがこのクラスのルールだった。気が乗らないのは毎日のことだが、僕も机の向きを動かす。ぴったりと机をくっつけた他の三人とはすこし離してだが。形だけでもそう見せておかなければ、八代にとやかく言われることになるからだ。
「うぐ、ああ……」
 むくりと起き上がった上山は、大きなあくびと伸びをして、その鋭い目で周りを見回す。
「寝すぎた、みたいやな。おはよう、ゾンビくん」
 寝ぼけた様子だが、はっきりと僕に向かってそう言った。僕は曖昧に笑い、彼は机のフックに吊り下げたリュックの中からスニッカーズを取り出し、包装を剥いて食べ始めた。
 一度、僕たち二年生のフロアにある男子便所で飴の包装紙が見つかり、学年全員が体育館に集められ、忠告を受けたことがある。学校に不必要なものを持ち込むな、二度とこんなことがないように、と。
 なにやら楽しそうにプリントの裏に落書きしていた同じ班の女子二名も、他の生徒たちも、呆気にとられているようだった。僕も例にならって、彼の姿を見る。
 最後の一欠片を口に入れようとしたその時、唐突に上山はそれを僕の方に向けて言った。
「……食うか?」
 その目は、なんというか、初めてのものを見るちいさな子供のように輝いていた。
「いや、その」
「なんや、『えっと』とか『その』とか。ようわからん奴やな、食えや」
 ぐっ、と差し出された手に力が入ったのが見てわかった。向けられた視線が、僕がどうするのかに強い興味を示していることもわかった。
「もしかしてチョコ嫌いか? あ、そういや前の学校でも『寝起きにチョコはありえへん』ってよう言われとったっけなあ」
 躊躇していると、彼は途中に大げさな、裏声での演技を挟みながら言った。
「ま、ええか。飯の時間ってことは、もう……見れるやろし」
 意味深に笑い、自分で自分を納得させたようだ。残りを口に放り込み、ゴミを開けたままのリュックに放り込んだ。
「ていうか俺、もしかしてお誕生日席ってやつ?」
 誰も反応を返さない。朝のアレのせいだろうか。なんだかいたたまれなくなってきた。
「う、うん。そう、かも。そうかもね」
 久しぶりに学校で会話という会話をしたせいか、うまく声が出ない。
「ふーん、なるほどなあ……」
 上山は満足したように、鼻と口角だけで笑った。 
「あんた」
 上山はさっきとは違う、貼り付けたような笑みを浮かべながら立ち上がって、落書き遊びを再開していた女子のうちのひとり、僕の真正面に座っている森本に歩み寄った。
「お誕生日席譲ったるわ。今日だけ、今だけでいいから交代してくれや」
 森本は困ったように隣の桜井と顔を見合わせている。
「……勝手に席を変わったら、先生に怒られるから」
 それを聞いた瞬間に、上山は言葉を返す。
「大丈夫、大丈夫。その辺は俺がうまいことやるっちゅうねん、なあ?」
 ニコニコと嘘くさい笑顔を僕に向けて、右肩を軽く叩いてきた。なあ、と言われてもだ。
「ひ」
 呼吸の延長のような悲鳴をあげる。
「な?」
 僕に触れた手をひらつかせながら、上山は悪そうに笑っている。どの笑顔が、本来の彼なのだろうか。
「今日だけ、なら」
 警戒しながら席を立った彼女と一緒に、隣の桜井も立ち上がり、そそくさと教室を出て行った。
「わかればええんや」
 空いた正面の席を僕の机にぴったりとくっつけた後、椅子を引いて座った。頬杖をついて、顔を覗き込んでくる。   
 その黒目は僕の何を見ているのだろうか。底のない宇宙のようだと、なんとなく思った。
 当番の生徒が配膳室から運んできた容器を、教卓と配膳台に並べ始める。それと共に、それぞれがこちらの様子を気にしている。妙な雰囲気の中、誰からともなくトレーを持って列に並びはじめる。
「今日の飯、なんやろなあ」
 何気ない発言と相反する、湿った生ぬるい舌で舐めるような表情。
「さ、さあ。なんだろう」
 当たり障りのない返事はこれでいいはずだ。上山がトレーを取りに向かったのを見て、時間をずらしてから僕もトレーを取った。
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