第16話

文字数 946文字

 年が明けても、だらだらと続く世間の正月呆け。上野の国立科学博物館へ行った帰りの電車の中、遊び疲れた体に揺れが心地いい。樹は展示物を見て予想以上にはしゃいでいたが、僕は樹の黒髪ばかり目で追いかけていた。
 僕が惹かれたのは、博物館の端っこにあったブースの展示物。感染性屍喰症界のアダムとイブ――そう称されてふたりの男女の写真が飾られていた。疎ましい病気の感染源の二人は、僕たちのように確かに愛しあっていたのだろう、なんとなくそんな気がした。
 その時、クリスマスプレゼントと称して買ってもらった携帯電話が鳴った。古い型のものだが、両親との連絡用には充分だった。案の定、ディスプレイには「母さん」と表示されている。
「もしもし、今――」
 電車の中だから、そう言いかけたところを歓喜の声に遮られる。
「聖、特効薬が配布されてるって。駅で待ってて、すぐ大学病院に行きましょう」
 特効薬。なんのことか一瞬わからなかった。返答に困っていると、母さんが続けて言う。
「だから、屍喰症の特効薬よ。完治するのよ、傷も消えるって。テレビの速報で入ってきたの」
 どうした? と隣に座った樹が問うてきた。目配せだけやって電話の向こうに話しかける。
「それ、本当?」
「本当よ、さっき保健所からも連絡が来たわ。子供を優先して配布するから、近くの病院へ行ってくださいって」
 わかった、駅で待ってる、と答え、通話終了ボタンを押す。周りにも、僕と同じように電話を受ける人、かける人、声をあげて喜ぶ人、色々な人がいた。
「治るって」
 何が起こったのか、正直理解できなかった。
「何が?」
 近頃の僕は、自分がゾンビだということを忘れていた。
「わかんない」
 病気、と呼ぶのも違うな。そう思って曖昧な言葉を返したが、車内の様子を見て、樹は電話の内容を察したようだ。その証拠に、樹が僕に抱きついてきた。
「この噛み跡も消えるん?」
 変わらない、汗ばんだ手が首を撫でる。指輪は冷たいはずなのに、なぜだか暖かく感じた。
「うん。消える」
 何度も確かめるように噛み跡に触れる指先のくすぐったさに悶え、それ以外の噛み跡――樹が噛んだ跡を見て僕は苦笑した。
「これが消えても、また新しく傷がつくよ」
「へへ、悪かったなぁ」
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