第2話

文字数 2,756文字

「チャイム鳴ってるぞー。席もどれー」
 黒に金のラインが入ったスポーツブランドのジャージの体育教師。担任の八代《やしろ》先生が教室に入るなり、そう言った。クラスメイトはわいわいと騒ぎながらも、それぞれの席に着く。僕は登校した時から自分の机から動いていないので、その言葉を聞き流した。
「朝礼を始める前に、大事な話がある!」
 八代が嬉しそうに、よく通る声で話す。ハキハキとしているのはいつもの事だが、今日は特に調子が良さそうだ。
「さあ、入って」
 クラス全体がざわめく。転校生が来た、といったところだろうか。僕は興味がないふりをしながらも、たてつけの悪い横開きの戸が開くのに視線をやる。この学校は男女共に制服はブレザーで、少なくとも僕のクラスは真面目な生徒が多く、髪を染めている者はいない。だが、茶髪の彼は学ランを着ていた。
「今日からみんなの仲間になる、上山樹《かみやま いつき》くんだ。さあ、自己紹介を」
 仲間。少年漫画の読みすぎじゃないのか、この担任は。「仲間たち」は一層はしゃぎ、各々が何か話している。好きな食べ物は、とか、部活は、とか、彼女はいるのか、などだ。
「上山樹です。大阪から引っ越してきました。それで、ええと、ゾ……」
 独特のイントネーション。ここ、埼玉では聞きなれないそれはテレビでよく聞く関西弁。
「上山くんの席は、後ろに用意してあるから。それから、樹って呼んでもいいかい? それか何かあだ名は?」
 八代が僕の後ろの席を指す。列の一番後方の席なのに、突如背後に空席が現れていて嫌な予感がしていたが、的中したようだ。
 ゾ……。なんと言いかけたのだろう。転校生、上山樹の言葉は八代のつまらない言葉に遮られた。ちなみに僕みたいなのも、担任からは「牧方くん」ではなく「聖」と呼ばれている。
「いいですけど、あの」
「みんな。仲良くやれよ! 樹はもう、仲間になったんだからな」
「……よろしくお願いします」
 上山は何か言いたげだったが、諦めたのか普通すぎる挨拶で締めた。
「樹も席について。それとその髪、先生はかっこいいと思うが、黒に染めてこいよ。髪を染めるのはこの学校では禁止なんだ」
 はあい、と、はなから聞く気がないといった様子で返事をし、リュックを下ろして彼は与えられた席へ向かう。
 僕の横を通り過ぎる手前、一瞬はっきりと目があった。母親世代に流行った俳優みたいだ。濃い眉と彫りの深い顔。八代はああ言ったが、茶髪よりも黒髪のほうが似合いそうだと思った。そしてそのはっきりとした黒い両目が、例えるならば目利きするような、鋭い視線。僕の両目を捉えた後、ふと下に向かい、もう一度上がる。どきりとして、僕の方から目をそらした。
 委員長の女子の号令で挨拶をし、担任の話があり、昨日道徳の授業で見た屍喰症患者のノンフィクションを基にしたドラマの感想文のプリントを集めた後、休憩時間に入る。またしても嫌な予感がしたので、机に顔を伏せて寝たふりをする。
 そしてまた、予感は的中した。
「大阪のどこから来たの?」
「前の学校、ヤンキーとかいた?」
「部活はどこに入るんだ?」
 クラスの中心人物たちに囲まれ、質問攻めにあう転校生。それ以外の地味な生徒も、その周りに集まったり、こちらに目を向けている。ありがちな構図だ。それでも僕の周りだけは人が寄らず、みんな上山の後ろに回っている。
「大阪の、西淀の辺や。わからんかもやけど」
「ヤンキー、ってのはおらんかったかなあ」
「部活は、入らん」
 飛び交う質問を、大阪弁でさらりとかわしていく。
「聞きたいことがあったらなんでも言ってね!」
 委員長がやわらかい声で笑う。
「じゃあ、ひとつ聞きたいことがあんねんけど」
 唐突に、声色が陽気でハスキー気味のものから低くなった。
「なあに?」
「このクラスのゾンビ君。俺の前のこいつ――ヒラカタサトシであってるか?」
 体が凍りついた。僕が感染者だと、なぜわかった。周囲が気まずい沈黙に包まれる。
「え、ええと……彼は『マキカタくん』だけど」
 ばつの悪そうなどっちつかずの返答。なんだ、僕がゾンビなら一体なんだって言うんだ。
「ん……ああ! ごめん。見間違ったたみたいで。大阪にこんな漢字でヒラカタって読む地域があってな。ほら、ヒラパーってあるやろ」
「あ、ああ! 俺、行ったことあるよ。ヒラパー」
 サッカー部の男子が、あからさまに話題を変えようとしているのがわかる。屍喰症患者は、そういう扱いなのだ。差別は良くないこと、というのは口実で、皆感染を恐れている。噛まれなければ平気だということも描いたドラマを見せられた後でも。そして、「差別せずに関わりたい」と、上辺だけの感想文を書かされた後でも。服薬さえしていれば、非感染者と同じ「人間」だということがわかっていても。
「で、マキ……いや、聖《さとし》くん。君はゾンビなんか?」
 明らかに僕に言っている。が、無視する。怖かったが、返答すれば普段は誰とも喋らない僕が急に喋ったとして、笑い者にされるか、ドン引きされるか、いい結果にはにならないだろう。どう転んでも地獄。なら相手が諦めるまで寝たふりだ。それが最善だ。
「牧方くん、いつもこうだから」
 委員長も相当困っているようだ。
 不意に肩を叩かれる。
「寝てんの? 俺、興味あんねんけどなあ。ゾンビに」
 転校生が来た、ということを知った時のざわめきとは違う、出方を見るような無言のざわめき。顔は上げていないが、そういう空気を察した。
「樹くん。そういう言い方、よくないよ……」
 ぽつりと誰かが言った。ゾンビという差別用語に対して、だろう。
「なにが?」
 上山は悪びれもせずに答え、僕の頭を優しく掻くように触る。
「それに、そんなに触ったら……」
 さっきと同じ女子が言った。早くやめてくれ。僕は僕で、ひとりで生きているのだから。
「あ、そゆこと」
 悪戯っぽく上山が言った直後、
「うわあ!」
 サッカー部の男が叫んだ。思わず顔を上げる。
「触ったくらいで感染しとったら、今頃もう一回ゾンビパニックが起きてるやろな」
 右手をひらひらさせながら、へへ、と笑う姿に、さっきとは打って変わって周りは侮蔑とも恐怖とも取れる反応を向けていた。
「よろしく。ミスターゾンビ」
 目の前に、指輪のはめられた手が差し出される。
「えっと」
「なんや。関東のモンは握手も知らんのか?」
 ぐっと腕を引かれ、握手を強制させられた。上下に強く腕を振られる。上山の手と指は、僕よりも固く、太く、力強く、冬だというのにすこし汗ばんでいた。
 その時には、僕たちの周りにできていた人集りは、もうなかった。
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