第1話

文字数 605文字

 不治の病。エイズ、狂犬病。僕が生まれる前まではそれらがそう呼ばれていたらしい。いま代表的なのは感染性屍喰症。屍喰症患者――いわゆるゾンビ。ゾンビというのは今では差別用語だが。
 ゾンビが世に溢れたのも僕が生まれるずっと前の話だ。人間は戦い、科学者たちはその知識と技術でゾンビに勝利した。症状を抑える薬が開発され、それは著しく肉体を損傷した患者を除いてだが、患者を健康状態に戻し、やがて世界は均衡を取り戻した。
 薬を飲めば、人間を襲いたいという衝動はなくなる。ウイルスは肉を噛まれることによってだけ感染し、食事やトイレ、性的接触においては感染しない。
 僕が感染したのは少し前のことだ。中学校から帰る途中、ワンカップを片手にふらふら歩いている老人に首筋を噛みつかれた。首の大きな血管に当たったらしく、笛のような音とともに大量の血が噴き出したが、不思議と痛みは感じなかった。医者によると、一種の興奮作用が働いていたらしい。通行人の助けもあって、老人は捕らえられ、僕はまだ生きている。
 日常生活において、特に困ることはなかった。母さんは悲しみ憤ったが、僕に対する接し方は変わらない。差別意識は蔓延していたが、皆それを表に出すことはない。障害者を思い遣れ、というのと同じで。元から学校に友達はいなかったし、今更すこし避けられるようになったからといって別段落ち込むこともない。
 なにも変わらなかった。今日までは。
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