第3話 妻のきもち

文字数 522文字

 夫が余命3ヶ月? そんな言葉は、ドラマの中の台詞だと思っていました。あなたと二人、若いドクターの前に座り告知を受けた時、私の耳にはもう、その後のドクターの説明は、何も入ってきませんでした。

 たったひとつ私が覚えていることは、あなたが私の背中にそっと手をあてて、診察室の椅子から立たせてくれたこと。背中から伝わる手のぬくもりは、いつもとまったく何も変わることはなく、あなたから温度が消えてしまうなんて、私には本当に信じられなかったのです。
 あなたを見つめながら首を傾げてしまった私に、あなたは余命宣告を受けた人とは思えない、落ち着いたいつもと同じ笑顔で「さあ、帰ろう」って言ってくれたのでした。

 確かにあなたは、私よりも9つ年上です。だからもしかしたら、あなたが先に逝ってしまうこともあるかもしれないとは思っていました。けれど考えないようにして生きてきたのです。
 あなたはいつも、私が不安な時、自信がないときには魔法をかけて支えてくれました。あなたがいなくなってしまったら、誰が私に呪文を唱えてくれるのでしょう?
 いいえ、誰にも言えません。64歳のおばあさんが「魔法をかけて」なんて。このことは誰にも言えない、私とあなたの秘密だったのですから。
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