心臓に甘い棘:後ろ暗い8000字

文字数 8,282文字


(三題噺系トライアル)

 重い樫の扉がギィと開けられる音と共にカランとベルが鳴る。
 テーブルを拭いていた手を止めて入り口を見ると、入ってきたのはやはり修二(しゅうじ)さんだった。

「こんにちは」
「こんにちは。いつもすみません」
「いえ、仕事ですのでお気になさらず」

 修二さんは店内をざっと眺めていくつかの観葉植物をチェックする。このBARユトリカは修二さん、和久井(わくい)修二が働いているフローリスト華沙(かしゃ)と植物のレンタル契約をしている。
 普通は2ヶ月に1度植物を交換するのが一般的のようだけど、ユトリカは地下で日が当たらないから交換は1ヶ月に一度。頻度が多く割高なので、サービスで半月に一度ほど開店前に植物の様子を見に来てくれている、ことになっている。
 いつもどおりのモスグリーンのポロシャツに黒のエプロン。肩周りが少し分厚くて首元が逞しいのに腰が細い。正直なところ修二さんは僕の好みだ。そんな修二さんには花がとても似合っていて花をチェックしている姿を眺めているとなんとなくうっとりしてしまうから、目があっても不自然にならないよういつも僕からその背中に声をかける。

「最近はどうですか」
「そうですね、母の日は忙しかったけど父の日は平和です」
「全国のお父さんは悲しみますね」
「正直なところ花をもらって喜ぶお父さんも少なそうですけどね。今は他の商品とセットの配送サービスもしていますからそちらがメイン」
「そうなんですね。和久井さんは何をもらうと嬉しいですか?」
「やっぱり花かな。薔薇とか蘭とか、派手な花が好きなんですよ」
「へえ、いいですね。ところで今日は仕事終わりですか?」
「まあね。開店前だけど大丈夫ですか?」

 重い樫の扉がギィと開けられる音と共にカランとベルが鳴る。
 テーブルを拭いていた手を止めて入り口を見ると、入ってきたのはやはり修二(しゅうじ)さんだった。

「こんにちは」
「こんにちは。いつもすみません」
「いえ、仕事ですのでお気になさらず」

 修二さんは店内をざっと眺めていくつかの観葉植物をチェックする。このBARユトリカは修二さん、和久井(わくい)修二が働いているフローリスト華沙(かしゃ)と植物のレンタル契約をしている。
 普通は2ヶ月に1度植物を交換するのが一般的のようだけど、ユトリカは地下で日が当たらないから交換は1ヶ月に一度。頻度が多く割高なので、サービスで半月に一度ほど開店前に植物の様子を見に来てくれている、ことになっている。
 いつもどおりのモスグリーンのポロシャツに黒のエプロン。肩周りが少し分厚くて首元が逞しいのに腰が細い。正直なところ修二さんは僕の好みだ。そんな修二さんには花がとても似合っていて花をチェックしている姿を眺めているとなんとなくうっとりしてしまうから、目があっても不自然にならないよういつも僕からその背中に声をかける。

「最近はどうですか」
「そうですね、母の日は忙しかったけど父の日は平和です」
「全国のお父さんは悲しみますね」
「正直なところ花をもらって喜ぶお父さんも少なそうですけどね。今は他の商品とセットの配送サービスもしていますからそちらがメイン」
「そうなんですね。和久井さんは何をもらうと嬉しいですか?」
「やっぱり花かな。薔薇とか蘭とか、派手な花が好きなんですよ」
「へえ、いいですね。ところで今日は仕事終わりですか?」
「まあね。開店前だけど大丈夫ですか?」

 なんとはなしに手を動かしていると、すでに開店の準備はおおよそ完了していた。
 修二さんはたまに夜に飲みに来てくれることもあるけど、チェックの時に時間があれば開店前にこっそり一杯奢ることにしている。サービスで植物の確認に来てくれるお礼ということにして。
 修二さんのオーダーは決まってドライマティーニで、ヘミングウェイの小説と同じでジンとベルモットを15:1の割合でステアして、そのとろとろした透明な液体を逆さまになった円錐形のグラスにゆっくりそそいでオリーブを添える。

和真(かずま)さんは独立したりはしないんですか?」
「そのうちしたいとは思うんですが、ここのお店も気に入っていて」

 修二さんは何故か僕を名前で呼ぶ。花屋さんは親しみが命ですよとか言ってたけど、修二さんと呼ぶ勇気はない。名前と一緒に思いが漏れてしまいそうだから。だから心の中だけで修二さんと呼ぶ。修二さん。
 ライトのせいか緑色がかった修二さんの瞳がきらきら奇麗だ。ゆっくりグラスの縁を舐めるその柔らかそうな唇もなんだか目が離せなくなる。だからぼくは手元を見つめてロックアイスをピックで円形に削っている。

「その際は御用命くださいね」
「是非お願いします」

 取り止めのない会話をして、最後に修二さんがキュッとグラスを干したらそれでお仕舞い。また次に会えますように。BARというものは一期一会があたりまえ。常連さんでもそのうち不意に姿を表さなくなるのもいつものこと。でも修二さんはまた来てくれる。この契約が続いている限り。

 さて、それじゃ今日もユトリカを開けますか。新たなお客様と、それから取引のために。

◇◇◇

 録画を再生する。
 2箇所からの映像はその全てを映し出していた。客側から見えない手元も明確に。ふぅ。本当にね。嫌になっちゃうな。あのバーは居心地がよかったんだけど。うーん。
 原田(はらだ)の手元が動いて小さな紙片に数字がかかれる。数量と、金額。やっぱそうだな。原田和真、29歳。表面上はバーテンダー。でも実体は薬の仲介屋で間違いない。どこまで関与しているのかわからないがバーテンダーというのは隠れ蓑だ。

 俺も人のことは言えないけどな。
 花は好きだから花屋の仕事は嫌いじゃない。原田にも言ったように特に派手な花が好きだ。薔薇とか蘭とかハイビスカスとか。大きくて美しいものは薄暗さを隠してくれる。

 実際のところ、花屋というのは情報収集に都合がいい。観葉植物なんて置きっぱなしで誰も顧みない。だからその幹がくり抜かれてその中に小型のカメラや録音機が仕込まれていることなんてザラだ。普段は無線でデータが送信される。けれどもBARユトリカは地下にあって電波が届かない。だからデータの回収には植物の確認という名目で実際に回収に行かなければならない。無線が飛ぶ範囲に近づけばオートでデータコピーが可能だから怪しい素振りを見られることはない。だから労力はたいしたことはない。
 俺の収入的な本業はこちらのほうで、奇麗な花を隠れ蓑にして盗撮やら盗聴やら、場合によっても殺しも請け負う。なんでこんな仕事に片足突っ込んだのかってのは色々あるが、今のところ後悔はしていない。おそらく。

 それで今回の仕事だ。俺の裏は基本的には青山総会(せいざんそうかい)っていう組の第六隊っていうところだ。最近そのシマから薬が流失したらしい。それで組織がいくつか候補を絞ると、そのうちの三箇所が観葉植物のリース契約をしていた。それぞれ違う花屋との契約だったが名刺を三枚用意すれば事足りる。俺は担当者が変わったと言ってするりと隙間に紛れ込む。

 他二件はハズレでこのBARユトリカがビンゴ。写真を添えて組織に報告する。そうすると多分、次の展開はわかってる。見せしめだ。チョロマカが許されると組織が舐められる。だから制裁される。流石に原田が首謀者とは思わないが、仲介してるなら多分命はないだろう。
 原田か。悪いやつじゃ、なかったな。だが売人をやっているやつがみんな悪いやつというわけじゃない。末端には柄が悪いやつもいるにはいるが、大半はそうじゃない。需要があるところに供給しているだけ。俺と同じただの商売だ。俺も同じようなもの。

 本命はここのオーナーなのか、それともオーナーは無関係なのか。こっからは俺とは違う組織の誰かが調べるだろう。回ってくるとしたら、原田の拉致か。気が向かないな。俺が定期的に出入りしていることは近隣にも認識されているだろうし。いや、それは理由にならない。俺は真っ当な理由で出入りしている業者だから。あと一回植物の交換に行って、それで全ての証拠を回収して、俺は次から担当が変わると原田に告げる。

 原田は組織に捕まるだろう。捕まったら殺される。その前におそらく拷問される。覚悟はしてるんだろうか。小柄な濃いめの茶髪。白いシャツに蝶ネクタイに黒いベスト。人懐っこい笑顔。笑うと笑窪ができる。あんな稼業をやってるにしては妙に擦れていない様子だっった。死ぬのはしかたないかもしれないが、ああいう純粋そうな奴が苦しむのは気がとがめる。捕まってひどい目に合わされるならいっそのこと俺が一思いに?
 ぼんやりそう思いながら手元の蔓薔薇を手に馴染んだナイフでカットする。これは来週末の結婚式のデコレーション用だ。花屋の仕事は嫌いじゃない。本当に。でもまっとうな道に戻れるタイミングはとうの昔に見失ってしまった。

◇◇◇

 二時十六分。
 僕の1番好きなカクテルはモヒートなんだ。
 キャプテンモルガンのふくよかで濃いバニラの香りと揺蕩うダークでとろりとした口中を恍惚で満たす香り。それからフレッシュミントとアクセントのライムが爽やかさをもたらす。それをステアしてるだけでゆったりといい気分になれる。だから僕は仕事終わりに毎晩、この自分の1番好きなカクテルを作って飲むことにしている。でも今日はまだ飲めない。

 ユトリカの閉店は午前二時。今日は閉店間際に修二さんが飲みに来た。修二さんが仕事外で飲みに来てくれるのはだいたい一時とか二時近くが多い。普通の花屋さんって朝早いイメージだから大丈夫なのかなと思うんだけど、まあ、大丈夫なんだろうな。
 それで二杯くらい飲んで帰る。夜の修二さんは仕事終わりの夕方と違ってあんまり喋らない。だから僕も他のお客さんがいるときは他のお客さんと話して、そうでない時はグラスを磨いたりしている。修二さんを見つめすぎないように。

 でも今日はちょっとまずいな。閉店後にお客がくる。あんまり長居されるとよくない。例の取引があるから。僕がOK出さないと来ないけど遅くなりすぎるとまずい。今後の取引の信用にかかわる。

「和真さん、今日はもう少しゆっくりしていってもいいかな」
「ごめんなさい。このあと僕用事があって」
「こんな時間に? 彼女さんとか?」

 修二さんにプライベートなことを聞かれるのは初めてかもしれない。
 先週、修二さんがユトリカの担当を外れると聞いた。これまで取引先だったのが、今は来訪が約束されない純粋なお客さんになってしまった。そのことは色々な意味でとても残念だったけれども、それは『お店の事情』だから仕方ない。でも、ただのお客さんになっても来てくれたことは純粋に嬉しい。
 瞳を覗き込んでもあまり酔っ払っているような様子でもないけど。彼女さん、か。でも気づいているんでしょう? 僕が修二さんを好きななこと。それから。

 今日はドライマティーニ2杯。いつもは最初の一杯はドライマティーニだけど、二杯目はクリーム系の甘めのもう少し弱いお酒にする。その日の気分でグラスホッパーだったりパパゲーナだったり、修二さんの雰囲気に似合わない注文が面白い。ひょっとしたら酔ってもあまり顔に出ない人なのかな。そう思ってチラっと見ると、その少し緑がかった瞳が揺れているように思えた。

「彼女ではないですが、すっぽかせないので」
「そうですか。残念です」
 
 特に未練な様子もなくカタリと椅子が動いて修二さんが立ち上がる。伏せられた目からはその感情はよくわからない。お札が皮のトレイに置かれ、それを受け取って小銭を置く。

「じゃあ、お休みなさい」
「またのご来店をお待ちしております。いい夜を」
「……いい夜を」

 修二さんが出て行ったのを確かめて道路に設置された看板を回収に行く。店に降りる階段の前にかけられたOPENの札を裏返してCLOSE にする。これがこの店の本当の開店の表示。店に戻って手元のメモの番号をコールした。

◇◇◇

 普段はそんなに感傷的にはならないんだがな。
 そう思ってBARユトリカを出る。この後原田は『いつもの客』に薬を売って、組織の誰かがその後をつけて薬の行き先、つまり転売先の組織を確定する。その連絡が入ると俺の知らない誰かが原田を拉致りにいく。
 バッティングしないよう、転売先と間違えないよう、その日程だけは教えられていた。

 時刻は三時半。
 街路にはすでに人通りはなく、規則正しく設置された薄汚れた街灯に小さな蛾が群がっている。昼間は雑踏に隠されていたこびりついた汚れや油の据えた匂いが漂う。この物寂しくどこか不穏を孕む暗がりは妙に落ち着きはするけれども、今感じたいものじゃなかった。

 俺はなぜ未だにここにいるんだろう。原田はそうは見えなくとも薬の売人で、底辺で、おそらく何もなくともどのみち闇の中に消えていく存在だ。そのタイミングが今というだけ。どちらにしても原田は青山総会から逃げきれない。

 俺にはどうすることもできない。何をグジグジしている。早く離れよう。離れて忘れよう。カメラを仕込んだ観葉植物は既に全て回収した。今はただの植物があるだけだ。俺はもう関係ない。原田にはその時に担当が変わると告げていた。原田は残念そうに、そうですか、と言い、お客さんとしてはまた来てくださいね、と微笑んだ。それで先程最後にバーに客として訪れた。
 このまま立ち去れば俺は何も見なくて、想像しなくて、明日またここを訪れればきっと店は閉まったままで、そのうち新しいバーテンダーが現れる。
 けれどもやっぱり原田のあのはにかんだような笑顔が頭の後ろのあたりにふいに浮かんだ。

 他の誰かに殺られるくらいならいっそのこと俺の手で、せめて苦しまないように。今であれば客に殺されたように見せかけることも。

 その時、カランと聞き慣れたベルの音が響き、一人の目立たない男がゆっくりと階段を登り、そのまま通りを歩き去った。その後ろ姿をよく知る諜報員が追いかけてゆく。もう時間がない。
 気がつけば俺は電気の落ちた暗い階段を潜ってカランという音を鳴らしていた。
 そこには店内の清掃をしていた原田がいた。

「あれ、和久井さん、どうされました?」
「忘れ物をした気がしたんだ」
「忘れ物? 何かあったかな」

 俺は仕方なく先ほど座っていた席のあたりを弄った。つるつるとした木の一枚板のカウンターは、その裏側部分まで綺麗に磨かれていた。原田の几帳面な性格が見てとれた。俺とはもう関係ない、と思うと余計にそういった、仕事ではわざと無視している人間的な部分が目についてくる。そうだ、関係ない。何かの勘違いだ。

「勘違いだったみたいだ、すまないな」
「いえ。それじゃあ最後に一杯いかがですか? ドライマティーニならすぐできます」
「だがしかし」
「僕の予定は飛んじゃったんです。和久井さんが来ちゃったから」

 原田はそう言って微笑む。
 最後に、一杯。これは本当に最後の一杯。俺はきっと原田の作る酒が好きだった。きっとそう。そう心の中で呟くうちに、目の前に円錐形のグラスが押し出された。

「じゃあ、頂きます、最後に」
「ええ、最後に」

◇◇◇

 気がつくと頭の中がぐらぐらと揺れていた。直前の記憶もおぼつかない。瞼がひどく重だるい。一体何が起きて……?
 左右を見ようとしてもその動きは緩慢で、なんだか様子がおかしい。妙に生暖かい。それから花の香りがする。薔薇?
 起きあがろうと思ったけれども無理だった。頭の不調が連動しているのかと思ったがどうもそうじゃない。指先は動くのに腕は持ち上げられなかった。
 ふと、腕が柔らかく台に拘束されていることに気がつく。腹の上に柔らかそうなシーツが掛けられている。どういう状況なんだ。そう思ったら聞き覚えのある声が聞こえた。

「起きましたか?」
「ん……和真さん?」
「そうです。おはようございます」
「俺は?」
「修二さんが悪いんですよ。戻ってきちゃったから」

 気配が近づくも身動きが取れず、少し緊張すると頭がふわりと撫でられた。なんだ? 頭がうまく働かない。まるで脊髄の中にウイスキーでも流れているようだ。体を起こそうとしてもやはり動かない。

「どういう……ことだ」
「簡単です。僕を捕まえにくる人とバッティングしそうだから先に修二さんを攫いました」
「何の」
「惚けても無駄です。修二さんは青山総会第六隊の下請けでしょう? 本名は篠山(しのやま)修二さん」
絆赤会(はんせきかい)か?」
「違います。それに修二さんが知ってももう意味はない」

 もう意味がない。
 そうか。原田は下っ端だと思っていたが思ったより中心人物だったのか。捕まえて殺そうと思ったら逆に捕まった。だから俺は殺される。それだけだ。でもまあ俺もこれまでたくさん殺してきた。いずれは殺されるだろうとも思っていた。仕方ない。

「そんな諦めたような顔しないで」
「諦めてるよ」
「そう? ところで修二さんは役割でお花屋さんをしてるの? それとも花が好きだから?」
「花が好きだから、かな。薔薇は特に好きだ。前も言っただろ?」
「そう、よかった」
「この香りは香水か何かか?」

 薄ぼんやりした視界で見渡したけどもあたりは何かの機材に埋め尽くされて花の姿は見えない。が、確かに薔薇の香りがする。何となくこれは、生花の香りに思われた。俺がいつも嗅いでいる香り。

「修二さんは僕を殺しにきたんでしょう? 誰か他の人に僕が酷い目に遭わされる前に」
「……」
「それは僕が好きだからと受け取ってもいいのかな?」

 なんと答えたものか。

「そもそも修二さんが僕を殺したとして、それを上の人にばれちゃまずいんじゃないの?」

 それは勿論そうだ。組織が確保しようとした情報源を潰す行為。敵対行為。馬鹿げている。そんなことを組織に知られるわけには行かない。バレたら。俺も追われて消される。
 なんとなく気詰まりになって原田から目を逸らすと、原田は俺の反対側に回り込んで再び目が合った。諦めて口を開く。

「まあ、そうだがどのみち捕まったなら俺の負けだ。どうとでもするがいい」
「僕は修二さんが好きなんだ」
「……そうか」
「本当は知ってたでしょう? でもうちの組織は身内を大切にするところでさ、身内を害そうとした人の存在を許さないんだよね」
「捕まった時点で諦めている。そういうものだ」

 ふと目を動かすと、俺の鞄とその中に入っていたナイフが並べて置いてあった。原田を殺そうと思って入れたナイフ。

「そう。僕を殺そうとした時点で修二さんが生きることはどのみち僕の組織は許さない。僕も庇えない。修二さんが青山総会から僕を守れないのと同じように」
「……そうか」
「だから人間の修二さんは死んで、僕のお花になるのはどうかなと思って」
「お花?」

 俺の上にかけられていたシーツがゆっくりと捲られる。ふわりと薔薇の香りが広がる。その光景に俺は困惑した。
 俺の腹から一本のバラが生えていた。緑の茎と真っ赤なバラ。匂いの元はこれか。何故腹から花が? 夢でもみているのか。

「修二さんは僕のお花。寝ている間にお腹の中身をよせて一部を切除して、そこに水栽培のポッドを入れた。水の循環と肥料はおなかの脇から出ているドレーンでまかなうから心配はいらないみたい」

 ふと、横腹を見ると巻かれた包帯の隙間から何本かの管が出ていた。それ以外にも何本か。現実感が、ない。思考が追いつかない。花?

「俺はどうなるんだ?」
「どうもならない。人間として死にたいならそこのナイフで殺してあげる。そうでないならお花になって。僕が世話しないと枯れてしまって、動けないお花なら組織は気にしない。そういう変なとこなんだ。僕は修二さんが好き。修二さんは?」

 顎の先から始まって胸のほうに向かって和真の指先がゆっくりと肌の上を這う。その感触は胸骨の途中で唐突に失われた。感覚がない。動かない。これは不可逆的なものなのだろう、おそらく。もう多分動けない。動くと死ぬ。

「花……」
「生きている間、きれいに咲いてくれればそれでいい。食事はもう無理だけど、腕は動くから本を読んだり映画を見たり、そういったことは自由だ」
「この状態で俺はどのくらい生きられるものなんだ?」
「さあ。僕は生き物は詳しくないな。組織の学者がいうには修二さんが嫌になって体力が落ちるまで、または体内で伸びる薔薇の蔦がその心臓を止めるまで」

Fin.

お題:
TemppのBL本のタイトルは「心臓に甘い棘」で、帯のフレーズは【 他の誰かに奪われるくらいなら、いっそのこと―― 】です。
心理的なテーマなんだろうけど、物理にしてみた(テヘ。
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