私とあなたと映画の行方:映画と思い出と1000字

文字数 1,165文字

 さてこの世の中というのはいかにもおかしげなもの。
 惚れた腫れたのおっしゃいますが、そんなものは一夜の夢うつつでございます。
 本日ご紹介致しますのはある『髪結の亭主』。髪結というのはまあ昔の言葉でございますが今の言葉で申しますと美容師さんでございますね。アントワーヌは髪結のマチルダに求婚致します。さてその結末は。

 そんな口上を聞いているうちにカタカタとあたりは暗くなり、正面のスクリーンにザラザラとした少し黄ばんだ映像が流れる。なんだか酷く懐かしい。全てが懐かしいのだ。何もかもが。

 ここは場末の映画館。場末といっちゃぁなんだが今風に言うとミニシアターというものなのだろう。珍しい欧州や色々の映画をここで上映していた。そういえばここで初めてみたのは『美女と野獣』だった。『美女と野獣』といっても1991年制作のアニメではない。1946年のジャン・コクトーが監督したモノクロ映画のほうだ。
 ジャン・コクトーが紡ぎ出す幻想的な世界の中でヒロインのベル役のジョゼット・デイが夢幻のように美しかった。

 私がその映画を最初に見た時、隣りに座っていたのが今の妻だ。すらりと背が高く美しかった。
 その時のことをぼんやりと思い出していた。その映画を見つめながら、妻は『見た目じゃないのね』と呟いた。それは至極すとんと私の腹に落ちてきた。それは野獣の恐ろしい姿と美しい心の対比について述べたものであって、とても納得できる言葉である。世の中とは見た目とは違うことも多いのだ。それは私は自らの経験でも体感していた。
 私の古くからの優しい友人は妙に体が大きく、とはいえそれを活かせることもなかったのでよく風船さんと呼ばれていたからだ。けれどもその風船さんはとても素晴らしい人物だった。
 だから見た目と内面が全く違う、そのようなことはよく、そして十分にありうる。私は大きく頷いた。

 それから私は妻と色々な映画を渡り歩いた。この『髪結の亭主』も一緒に見て、愛や映画について語り合ったものだ。語り合うべき映画ではあったが少々刺激が強かったことはさておき、それで私と妻は結婚することに決めたのだ。

 そしてその結婚がよかったのかどうか、それはなんと最早よくわからない。相変わらず時間があれば一緒に映画を見て、楽しく過ごしたいと思う。そして私は思い知っているのだ。映画というものは人生を映し出す道標であることを。そしてやはり妻と見た『美女と野獣』は正しいということを。

 私の妻はとても優しい。そして私の妻は私を、というか共通した価値観を理解してくれている。それは何者にも代えがたいものなのだ。
 たとえ私の隣にいる姿が以前の凛と咲いた水仙のような姿とは全く異なり野獣のようにたくましかったとしても。
 見た目じゃないのだ。

Fin.

付言
髪結いの亭主に特に意味はないです。
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