ミルクコーヒーの朝:気怠い朝の1500字

文字数 1,652文字

 ふつりと目が覚めた。
 いつもはもう少しまどろんでいるものだけれど、その日は何かに呼び起こされるように眠りの中からするりと追い出されてしまった。2回ほど瞬きをして、羽毛の布団の感触を確かめる。僕の体温がこの布団の中の空気を温め、それを僕にフィードバックしている。ぬくぬくと温かい。

 頭は何故だかすっきり起きてしまっていたけれど、どうにも布団から出る気にはなれなかった。だからもぞもぞといじきたなくぬくもりの端っこを布団の足元に探すけれど、それはやっぱりどこにも見つからない。

 けれどもまだ布団は少しだけ温かい。残り香を探しているように。
 僕は少し前に彼女と別れた。なんで別れたのか。それはとても小さなことだったけれど、僕たちはきっともともとの関係の閾値はそんなに高くはなかった。僕は彼女がなんだか好きで、彼女も僕も何だか好きで、その淡い無糖のミルクコーヒーのようなとろけたゆるさは砂糖のような強固に2人を結びつける媒体もなく、きゅいと飲み干してタンと机の上にカップをおくとそれじゃぁまた、という気軽さで僕らは別れてしまった。

 そういえばなんだか夢を見ていた気がする。
 どんな夢だったかな。コーヒーにマシュマロを浮かべるように甘ったるい夢だった気がするけど。
 んんむ。どうやら眠りからはすっかり切り離されてしまったようだ。だからきっともう1度眠っても同じ夢には辿り着けないだろう。夢というものはたくさんぷかぷか夜空に浮かんだシャボン玉のようなもので、僕の頭がそれにあたってパチリと弾けた短い一瞬だけ頭の中にあるものなのだ。

 ……。起きなければ。
 食パンが食べたい。香ばしくトーストした食パン。
 彼女が食パンが好きだった。そういえばいつも少し高めの食パンを買って帰って、自分では買わないけれども、ちぎった時にパンとパンの間がふわりと長く残るというか、やわらかくて粘り気があったような。そう思ってキッチンストッカーを見たけれどパンは食べ尽くした後だった。
 そうすると冷蔵庫に何があったかな。よく考えると僕はもともと朝食を食べるたちではない。彼女が朝にとても香ばしくパンを焼くから僕はつられて布団から出て。

 あぁ、でも別れちゃったんだ、そっか。
 なんだか体を持ち上げた分だけ布団の間が冷たくなった。空気が入り込んだんだ。以前より大きく開く隙間。
 ご飯は食べなくてもいいから起きて、着替えないと。でもこの寒いのがいけないんだ。

ーアレキサ、エアコンつけて
ーはい。エアコンをつけます

 エアコンからぷぉと暖かな空気が流れる。部屋があたたまるまでもう少しだけ。ちょっと前みたいに布団が十分に暖かくなるまで。
 そういえばこの羽根布団は彼女が置いていったものだった。格安で買ってきたというけれど、そう安いものではないだろう。けれども彼女は1つの場所には1つの布団と決めていて、新しいところに移る時には布団は捨てる主義らしい。捨てるなら欲しいと頼んで僕は今2枚の羽毛布団に包まれている。
 包まれたままごろりと上を向くとシーリングファンの長い羽が見えた。

 付き合い始めたのは夏で、あのファンがゆっくりと回っていた。バーで出会った彼女はマリブサーフを飲んでいた。ブルーキュラソーとマリブをトニックで割ったどこか南国の海を思わせる透き通った青いカクテル。彼女に似合うような、そうでもないような。

ーアレキサ、コーヒー淹れて
ーはい。コーヒーメーカーのスイッチを入れます

 徒然とぶつぎりになって頭の中をぱらぱらと流れていく映像はそれほど古くもなく未だ劣化もしていない。いつかこれも忘れて消え去ってしまうのかと思うと居たたまれなくなる。だんだんと温風によって部屋の温度は上昇し、彼女がいたころと同じくらいの温度には至ってきた。
 ああ、起き上がると、いないことを再認識してしまう。だからもう少しだけ。
 結局の所、僕は未練たらしくだらだらと彼女の影を追い求めていて、彼女の残した布団から出られずにいる。
 せめて最初のコーヒーが入るまでは。

Fin.
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