山彦のアルバイト

文字数 3,984文字

30分ほど車に揺られて深い獣道を進むと、漸く開けた場所に着いた。
「おつかれさん。」
運転手の鈴木さんが僕に一言言うとドアを開けて降り始めたので、窓の外を眺めていた僕も慌てて外に出た。
本当にただ広いというだけの土地は、おそらく脇にひっそりと建っている小さな山小屋の為に作られたものだと思った。今乗ってきた車とは別に、もう一つ車が止まっていた。僕が辺りを眼を丸くしながら眺めていると、先に山小屋に歩いていった鈴木さんが、ドアノブに手を掛けながら此方を向いていった。
「後から、なんぼでも見学したらええから、とりあえずこっちにおいで。」
「あ、はい。」
返事してすぐに鈴木さんの後を追って、ドアから中に恐る恐る入った。
「ただいま。」
鈴木さんが部屋の中に入ると、被っていた鳥打帽とコートを脱いで脇のソファに置いた。
「どっか、自分も荷物とかそこに置いとき。」
と僕の方に向いて言う。僕は言われるがままに、背負っていたリュックをソファにゆっくりと置くと、丁度そのタイミングで奥からもう一人、鈴木さんと同じくらいの年配の男性が現れた。
「おお、おかえり。その子が新入りか。」
「まぁ、そうやな。まだ、仕事の内容見てもらわな、なんとも分からんけどな。なぁ?」
鈴木さんが鼻の頭を掻きながら俺の顔を見て言う。
「あ、はい。」
「試用期間、ちうやっちゃ。ちょっと仕事の内容見てみて、出来そうやったら、続けたらええがな。」
「はい、そうさせてもらいます。」
今日が初出勤ということで、僕はすこぶる緊張していた。というのも、このアルバイト内容自体がとても珍しいものだからだ。
「こっちの人が、大岩さんで、一応責任者や。」
「よろしく。」
「ほんで、話ってどこまで聞いてる?」
鈴木さんが、ソファの空いてるところに座ってといったジェスチャーをしながら話を促してきた。大岩さんも近くにあったパイプ椅子を持ってきて座る。鈴木さんは手に持っていた缶コーヒーを開けた。
「あ、はい。そうですね…。なんや、やまびこのアルバイトやと聞いてますけど…。なんか、そんなん僕初めてで。正直、びっくりしてます。」
僕は改めて自分で説明してみて、変な感じがした。山彦(やまびこ)のアルバイト。山登りした際に、向こうの山々に向かって『ヤッホー』と叫ぶとその反響が返ってくる。それが山彦だが、それのアルバイト?その反響をするアルバイトがあるのか。あれって、原理は音の反響なんじゃないの?なんて、業務の全容もよく分からないまま、僕は友人からこのアルバイトを紹介された。元々僕は山の中のSAでアルバイトをしていた。其処の同僚だった友人の辻川にこの山彦のアルバイトを紹介された。聞くと時給が2000円だと言うし、SAで働くよりも割が良い。話だけでも良いって言うから少し興味があり今日来たのだった。怪しいとも思ったが、その友人は懇意にしている奴だし、騙したりするようなことは無い。そもそも、友人もこのアルバイトをやっていたようだが、辞めた原因は暇すぎるからだそうだ。暇が耐えられない奴には中々しんどいアルバイトらしい。
「そうなんや。オッケー。そりゃ、びっくりするわな。ほな、ちょっと順を追って説明するわな。ほな、ここからの話は、大岩さんにバトンタッチするわ。」
そう言って、鈴木さんは大岩さんの肩をポンっと叩いて、大岩さんの後ろ側の方へ歩いていった。其方側には、何かよく分からない計器類が積み上げられてある大きな机があった。どうやら実作業は其方でするような感じだった。
「了解。ほな、よろしくお願いします。大岩、いいます。坂本君は、ここの話を誰から聞いてきたんやっけ?」
低音で落ち着いた話し方で大岩さんが聞いてくる。とても優しい表情をした人だ。
「昔ここで働いていた、辻川って奴から紹介を受けました。」
「あ、そうなんや。辻川君か。そうかそうか。あの子もしばらくここでやってくれてたんやけどね。勉強が忙しいからって辞めてしもうたけど。元気してるんやね。」
「はい、めちゃ元気にしてますよ。」
「なるほど、そりゃ良かった。有難いなぁ。ここのこと気にして、人に紹介してくれてたんやね。助かるわ。あ、そうや。これ。飲みや」
大岩さんは手にもった缶コーヒーの片方を僕の目の前のテーブルに置いた。
「有難うございます。… …でも、僕、実際どんなことをやるのか、全然知らないんです。山彦のアルバイト、とだけしか聞いてないので… …。」
「せやんな。そりゃそうや。ウチも国から委託されてるものの、お金が全然無いところやからな。できるだけ経費削減してるから、求人雑誌とかには広告出さへんねん。」
お金が無いという割には、時給が良いけど…、と僕は思ったが、それくらい出さないと人が来ないのか?とも思った。
「んで、実際の業務は何をするんかってことやねんけど、そこは坂本君が聞いての通りのことや。山彦をしてもらうんや。」
「山彦をする?」
「せや。あの機械あるやろ?」
そういうと、大岩さんは後を向いての計器類の詰まった机を親指を立てて指した。
「あれが、山彦を出す機械やねん。あれを操作して、山彦を出してもらう。それが仕事やねん。」
機械を使って山彦を出す。どういうことだろう。あれは遠くにいる山々からの反響で起こっている現象では無いのか。
「はは。みいんな、この説明受けたら、今の坂本君クンみたいな顔するねん。ほな、一から説明するわな。」
「… あ、はい……」
「あのね。昔から山彦って言うのは、まぁ山彦(やまびこ)、つまり山の神様が返事をしてくれるって現象やった。こだまもそうやんな。木霊(こだま)が返事をしてくれよってん。これはほんまの事や。昔はな、わしも、山に登って大声出したら返事してくれよった。それがいつの頃からか山の神様も木霊も返事をしてくれんようなった。それは、大体バブルが始まった頃からや。その頃から世界が人工的なネオンに包まれた。それから神様が返事をしなくなってきた。… …んで、その頃から後は、うちらのような会社が山彦の仕事を始めたんや。よう学者の人が、山彦は科学的に、音の反射なんて言うてるけど、あれは嘘やねん。あれはほんまのことやなくて、作られた嘘。国がそういう風に学者に言わしてるねん。山彦は元々、そんな物理現象やなくて、ほんまの神様の返事やってん。」
大岩さんが淡々と話す。僕はその話を聞いて、なんとも言えない後ろめたい気持ちになってきた。大岩さんが言う通りだと、世間の人は山彦を自然現象だと思い込んでいるのに、実際はそうでは無いということだ。
「あそこの、後ろの機械。あそこで四六時中、超広範囲録音をしてる。で、誰か登山客が『ヤッホー』なんて大声を上げると、その録音箇所を巻き戻して、再生する。音は山小屋から別のところにある大型スピーカーから大音量で再生される。その作業時間が、丁度反響のタイムラグみたいな感じになるわけ。」
「へー。なんか、… …そういう感じになってたんですか… …。ということは、僕は今まで山彦は自然が起こす現象だと思ってだけど、実際は人が起こしていたってことなんですね。」
「そうやね。この話すると、最初はみんな、やっぱり残念そうな顔するわ。なんか、ちょと人を裏切ってるような気持ちになるよね。」
そう言って、大岩さんは少し決まり悪そうな顔をして、缶コーヒーを一口飲んだ。
そこまで聞いたところで突然、室内に音声が響き渡る。
「この山めっちゃ綺麗~~~~!!!」
登山者の山彦だった。室内に緊張が走る。仕事だ。鈴木さんが真剣な顔をして、大岩さんの方を見る。大岩さんもすぐ様、その顔を見返し、小さく頷く。突如として、仕事モードの顔になった。
「丁度いいわ。ここは、坂本君にやってもらおう。」
「え!?」
突然の無茶ぶりに僕はびっくりした。鈴木さんが僕の方に向かって、カモン!って感じで左手でこっちに呼ぶ。大岩さんも、僕の肩を叩いて、頑張れ、と小さな声で言った。
僕は言われるがまま、計器類の集まった机の前まで行った。其処には色々なグラフや周波数のような画面が沢山あった。雑誌で見た戦闘機のコックピットのようだった。
鈴木さんが僕の顔を見ながら、机の目の前にある赤い大きなボタンを指さした。
「ここ。ここ、押したら、今の声が再生されて山彦が鳴る仕組みになってる。… …押してみるか?」
押してみるか?と言った鈴木さんの顔は、物凄く凛々しいものに見えた。僕はその顔を凝っと見たまま、小さく頷き、ボタンに指を乗せる。
「… …一気に押すんや。」
僕は言わるがまま、心を決めて、力を込めた。ぐっと赤い大きなボタンが押し込まれる。その作用により、音声データが山小屋から山の上に設置された大型スピーカーへ転送され、その後どれだけのヘルツか分からないが、ともかく物凄い大音量がスピーカーから吐き出される。
『この山めっちゃ綺麗~~~~!!!』
山彦は成った。
僕が山彦を発生させた。
その気持ち。どうとも言えない、呆然とした気持ちだった。僕は自分の両手をなんとなく見下ろした。そこに鈴木さんと大岩さんが近寄ってきた。
「どや。君が山彦を作ったんや。」
「… …ようやった。」
僕は顔を上げ、二人の顔を順番に見た。
「… …これだけ、ですか?… …やることって。」
「そや。これだけや。」
二人は、何かやりきったというような顔をしていた。
「… ……有難うございました。僕、やめときます。」
「… …へ?」
鈴木さんと大岩さんのどや顔が大層気持ち悪かったのと、赤いボタンを押すだけと言う仕事の詰まらなさ具合に僕は辟易して、丁重に失敬することにした。友人の辻川の辞めた判断は正しかったと思った。

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