天体観測

文字数 1,768文字

望遠鏡で空を見上げると、そこには広がった美しい場所がある。
星々は今にも私の目の前に降り注ぎそうに綺麗に閃いて、大きな惑星はそのディティールを惜しげもなく披露し未知の風景を眼前に押し付けてくる。私は子供の頃からこの世界の広がりに心を奪われ、周りの友達がゲームに熱中していた時間をすべて天体観測に費やした。そしてそれは大人になった今でも続いている。
天体観測に少年時代や青春時代を費やし、結婚した現在でもそれは何も変わらない。私にとってはこの天体観測というものが生活の一部であり、また同時にすべてでもある。
私の友人はゲームが大好きだという。とりわけ、オンラインゲームに対する熱情は爆発的なものがあり、話し出すと止まらないほどのものであるが、彼の話を聞いていて感じることは、天体観測の中にある世界観とよく似ているものだと感じている。それはどういうことからというと、そこには別次元の世界があるということだ。彼は一時は、オンライン上でのコミュニケーションが真実の世界だと感じた時期があったのだという。それは、傍から見ればとても馬鹿らしいものではないかと感じるものがあるが、本人としてはそれが本当なのだ。そして、その熱中について、私は馬鹿にすることはできない。間違いなく私も同様の熱情を有していたことがあるし、その分周辺からは白い目を向けられていた。私個人的に言えば、オンラインゲームの方が、オフラインでの交流等があったり、相手がリアルな人間であるということで、まだ生産的、社会的であるのではと思うところがあるが、天体観測はどこまでも人間的には一人だ。私はいわば孤独に天体を観測しているにつけ、社会性は乏しいのかなと思っている。そういうと、友人は、共通の知人がいるのならば、そんなことはないのではないか、ということも言ってくれるが、確かに共通の天体観測仲間はいるにはいるので、そういうものなのかな、とは感じている。
現在の私の妻は友人のいうように、天体観測繋がりでの出会いである。天体観測で星空にしか興味がなかった私に対して、隣を見ると星より美しい人を見つけた、なんてって、これはプロポーズの言葉ではなく夕食時のジョークで何度も言っている。翻って妻は、なぜこんな引き籠った旦那とくっついてしまったのだろう、星々につられて、気分が高揚してしまった、しくじったかもしれない、という。これを、夕食時ではなくシラフで面と向かっていうのだから、それを言われるたびに私の心と身体は健康を害している。
今、私は何をしているかというと、時刻は夕方で、自室から望遠鏡を覗いている。なぜこんなことをしているかというと、それは昨日からなぜか機嫌の著しく悪い妻に命じられたせいだ。
本日、休日の昼前にゆっくりと目が覚めて、リビングにあったメモ用紙を確認すると「夕方17時に、町にある港の展望台を必ず見ろ」と走り書きがしてあった。
一体なんなのだろうと思いながら、今星を眺めている。うっすらと満月も姿を現している。このまま天体観測をしていたい。望遠鏡は、遠くどうでもいいようなところを見る道具ではない。星々を愛でる為の機械というより、方法だ。しかし昨日からの妻の機嫌の悪さから、どうにも無碍にはできないと感じでいる私は、謂われたとおり5分前から望遠鏡を覗いているというのが現状なのだ。
17時になった。港の展望台の上のフロアを眺めてみた。驚いた。展望台の上で手をばたばたと降り、こちらの家の方向に合図を送っている人がいるが、あれはまさしく妻だ。周辺には他の観覧者もたくさんいる。一体何をしているのだ。恥ずかしいし、迷惑だからやめろ、携帯に手を伸ばし、電話をかけようと思った矢先、妻は何か大きなフリップを持ち上げた。そこには文字が書かれていた。
「昨日は私の誕生日だったんですけど!」
「星がそんなに大事なんですか!」
「天体観測反対!」
私はあまりのことに椅子の上から転げ落ちそうになった。まったくその通りだ。私は妻の誕生日を忘れていた。重大だ。ごめんなさい。すみやかに妻に電話し、謝罪を行った。妻は理解していただけたようで結構です、言った。節操をもって行うように、とも言った。おおいに反省するとともに、なんて妻だと驚愕した。こういうところなんだよな、と改めて思った。
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