21世紀の渡り鳥

文字数 3,925文字

 平日の昼過ぎ、代官山にあるお洒落なカフェに一人居る女性。テーブルの上にはラズベリィをあしらったパンケーキとアイスカフェオレ。その隣にはノートPCもあり、現在はノートPCと格闘中である。それもそのはず、彼女は今割と巷でぶいぶいと言わせているエッセイスト。本日も休日ののんびりした時間などではなく、がっつりと就業中なのであった。
 目の前のPCには文筆家御用達のアプリがインスト―ルされており、その原稿用紙を親の仇のように睨みつけている最中であったが、しかし幾ら原稿用紙を睨みつけていたからと言って、空欄が目立つ原稿用紙が埋まっていくわけでもない。原稿用紙を埋めるためには自身の持つ5本ずつの指先を高速に働かせ動かさなければ不可ないのであるが、残念ながら彼女の脳みその方は一向に動かす命令を下さない、いや正確に言えば下せないのであった。件の状況を世間では不調。英語で格好良く発音すればスランプと言った。
 「ぜんっぜんええの思い浮かばへん!」
 かれこれ2時間ほど眉間に皺をよせ続けたあと、女流エッセイストは大きな声でお店の天井を仰いだ。周りに居る平日の昼間から管を巻いているような代官山有閑マダム共が一斉に此方を向いた。大阪弁のようなお下品な言語に露骨に嫌悪感を表明した表情であった。その辺りの雰囲気を察した女流エッセイストは、小さくすんません、と言いながら、そういえば上京したての頃、牛丼専門店吉野家に来店して
 「牛丼大盛、つゆだく」
 と発言した際、周りの客連中が一斉に此方を向いたことを思い出し、特に標準語しか発声していないように思ったが、そのイントネーションがばればれなのだなぁということを何となく思い出したのだった。そして、その連想とはまったく関連性はないが、有閑マダムに対して小さく舌を出したのである。そのとき、不図目の横で、人が立つ気配が感じられた。
 「すみません。」
 声の方を見ると、おそらくハタチ前くらいなのだろうか。若い男の子が立っていた。
 「はい。なんでしょう。」
 「初めまして。僕、名も無い学生の身分でございます。失礼ですが、和賀谷レイさんでしょうか?」
 「はい。その通りです。」
 「あぁ、良かった。僕、大ファンなんです。少しだけ、僕の話を聞いて頂けないでしょうか。」
 女流作家は少し動揺をしたにはしたが、元来が人一倍好奇心の強い人間であった。今自身がエッセイストとして飯を食って居られるのも、この性格の所為であると言えた。そして、その自身のアンテナがこの男の子の話を聞いた方が良いかもと直観している。そして、自身の仕事も今日はなんだか行き詰っているし、ここで一つ仕切り直し、という感じで新な風を吹かせた方がよいのかもしれない。そう考えたところで、女流エッセイストは若者の申し出を快諾した。


 女流エッセイストの向かいに座った若者は、臆することもなく女流エッセイストに相対すると注文したアイスコーヒーを一息で三分の二ほど飲み込んだあと、ただひたすらに機関銃のように話し始めた。
 「どうも、突然申し訳ございません。どうやらお仕事中でしたようですね。少し後ろからPCの原稿が見えましたもので。粗方まだ白紙のような状況でしたので、分筆はこれからというところでしょうか。あるいは、しばらく新作に取り組んでいるところですが、筆が中々進まない、と言ったところなのでしょうか?あぁ、あまりそういう創作のところについてはお答え難いところもありますよね。うん。まさしくその通りだ。申し訳ございません。プロの文筆家が、一介の名も無き何処の馬の骨とも分からない男に仕事の状況等問われても答え難いですものね。その通りです。本当に申し訳ございませんでした。其処まで思い至らなかったのは恥ずべきところです。ところで、僕は先生のエッセイ作品を全て読んでいるのです。ええ。僕は先生の文章のファンなんです。イヤ、ファンという言葉も生ぬるいのかもしれない。僕は先生のお書きになった文章は全てスクラップしていますし、どんな雑誌の小さなコラムにだって必ず目を通すようにしているのです。ハイ。いえ、それくらいあなたの文章の構成に魅せられているんです。あなたの文章には所謂ノリがある。それは本当に魅力的だ。何時の間にかするすると次の文章にエスカレートされていく。それが全く苦痛では無いのです。勉学の間に少しだけ先生の文章を読もうと思ったが最後、1万文字の文章を読破してしまうということもしばしばなのです。あれは本当に不思議な魅力だ。ここで誤解を恐れずに言わせていただければ、先生は正直文筆の能力はそれほど高くない。いや、ごめんなさい。そんなに露骨に不機嫌な顔をしないで下さい。しかしこれは紛れもない事実なんです。一日に一冊のペースで乱読する僕が言うことですから間違いようが無い。あなたは文章が上手くは無い。上手くはないのであるが、ノリがある。これに尽きるのです。ノリ。文章を滑らかに読ませる、これも構成力なのでしょう。濁点の入れ方、文章の長さ、句読点の使い方。それらが合わさって、心地よいノリを文章に与えている。これこそがあなたの文章の魅力です。そして、それは先生が大阪出身ということも関係しているのではないでしょうか。先生の出身は大阪の天王寺区。最寄り駅はJR桃谷駅でしたよね。所謂大阪の下町出身。つまり、大阪のおばちゃんイズムを強く受け継いだ先生。大阪のおばちゃんは良くテレビでも見る事が多くなりましたが、とにかく話が止まらないですよね。そして、にも関わらず、ほぼ高確率でおばちゃんの話は面白い。あれほどの話術が普通の通常の一般のおばちゃんが持ち得ているということが、僕は本当に驚愕としか言いようがない事実なのです。そして、そんな中で育った先生は屹度知らず知らずのうちにそのような話術の方程式を身体にしみ込ませていると思うのです。そう、先生の育ってきた環境というものが、その先生の鋭い感受性を大いに育てあげたのです。いいですか、先生。言葉を一つ。『才能は静けさの中で作られ、性格は世の激流の中で作られる』良いですか。これはゲーテ。先生の感受性は全てあなたの生まれ育った環境が生み出したのです。ええ。良いですか。そして、此処からが本番なんです。いえ。すみません。此処からが本番だ。僕がつまり、今此処にこうやって来た理由なんです。すみません。ちょっと、此処でアイスコーヒーを残りを飲ませて下さい。緊張で異常に喉が渇いているんです。いやいや、はい。ちょっと。… ………。ハイ。有難うございます。美味しいですね、ここのコーヒー。うん、いや。お代わりは要りません。これ以上長居は無粋だ。残りを言い尽くしてから帰りますね。だがまだ帰らない。それで、ですね、先生。僕が言いたいことは、先生の近頃の文章だ。あなたの文章は最近はなまくらになっている。それは一体どういったことですか?以前のような鋭さが微塵も感じれない。ネタ切れですか?いや、ちょっと言い過ぎましたが、一体どう成されたのか。先生がデビュー以来、2年を経過しているとのことですが、才能が枯渇するにはあまりにもそれは早すぎる。全く、これは不可解だ。そこで、僕は直接対決に相成ったというのが、この今回の強行というわけです。ね、先生。もしかして、東京に来てそれとなくチンタラしていても、それなりのお給料をもらえると思ってだんだんとなまくらになってしまったのですか?それとも東京の恋人が出来て其方に現を抜かしてしまったのですか?いえ、本当は一読者でしかないこの僕が、先生のプライベエトに口を出すなんてことは間違っているのかもしれない。一歩間違えれば屹度犯罪だ。しかし、その一読者がですね。あなたの作品について物申す事を、言わざるを得ない衝動と言うものを、一介のデリッタンティの戯言としてお聞きになる機会があったとしても、偶には笑い飛ばしながら聞いて頂けないでしょうか。で、そのような原因。此処については是以上言及はしますまい。起こってしまった事実というものは仕方のないものです。ですが、是からのことです。今後のことをアドヴァイスをしに参ったといっても過言ではありません。先生のお力になりたいのです。で、此処でまた先ほどのゲーテです。『才能は静けさの中で作られ、性格は世の激流の中で作られる』。才能は静けさの中で作られるものなのです、先生。先生は最近静けさの中にその身を置いておられるでしょうか?一つ考えてみてください。最近の生活状態は如何なものでしょう。締め切りや人間関係に追われて内省する機会など無いのでは無いでしょうか。そのようでは不可ません。あなたの心と対話をするのです。それも誰も居ない静かな場所で。あなたのその外面的な形はあなたの環境から作られたものでしょう。ですが、その魂は真空の暗闇からしか生まれ得ないのです、わかりますか。先生。あなたの心はあなた自身が対峙してあげないと、死んでしまいます。そこのところ、よろしくお願いします。ね、先生。変人ではないですよ、僕は。一介のデリタンテ、ね。吐き捨てても良いような戯言ですが、その頭の片隅に少しでも忍ばしていただければ、僕は救われるのです。ね、有難う。あ、そろそろ。僕、アルバイトなんです。古本屋の。古本屋。全く暇ですよ。暇こそが仕事なんてね、そういうことが仕事になることもあるみたいです。不思議なものだ。それでは、失礼しました。とにかく、頑張ってください」
 無帽蓬髪(むぼうほうはつ)、ジャンパー姿の痩せた青年は、水鳥の如くぱっと飛び立つ。


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